第5話

 教室の中に西日が差し込み始めていた。前の方から椅子を引く音がして、少女が一人立ち上がった。丸い眼鏡がよく似合うクラスメイトの小野ちゃんだ。


「天野っち、まだ帰んないの?」

「うん、今日日直だから」


 カバンを持って近づいてきた小野ちゃんに私は真っ白な日直日誌をひらめかせる。小野ちゃんは「ドンマイ」とでも言いたげな顔をした。


「なにか手伝おうか?」

「ありがとうでも大丈夫。もうこれ書くだけだから」

「そう? じゃあ私、先帰るね」

「うん気をつけて。バイバイ」


 軽やかな足音が次第に教室から遠ざかっていった。これで教室に残っているのは私だけ。一人の教室は広いしなんだか怖い。だけど、私はこの時を待っていた。


「もういいよ」

「はぁ〜待ちくたびれた〜」


 私の合図とともに、光がカバンからはい出してきた。手のひらを差し出すと、ヨイショとよじ登ってくる。これがまたけっこうくすぐったいのだ。落とさないように気をつけながら、机の上まで光を運んだ。


 光は机の上で大きく伸びをした。今日は体育や移動教室がなかったのでずっとカバンの中に閉じこもりっきりだった。きっと窮屈で退屈だっただろう。


 あくびしてできた目の端の涙の玉を拭って、光は教室を見渡した。私から見ても広く感じるこの教室は、今、光の目にどう映っているのだろう。


「よし、まずはあそこからだ」


 振り向いた光はにいっと笑ってみせた。


 ♢♢


 光だけじゃ届かないところ、光にしか行けないところ、私たちは教室中を探し回った。魔法使いの正体のヒントや元に戻る方法がどこかに落ちていないかと思って。


「やっぱりここが一番嫌な感じなんだよな…」


 眉をひそめた光は足をどんどんと踏みつけた。光が立っているのは大和くんの机の上。前から光が怪しいと言っていた私の隣のサッカー部のクラスメイトの席だ。


「私は何も感じないけどな」

「ヒナは鈍いからな。いろいろと」


 なんだかジトっとした目で睨まれた。いや、私結構鋭いほうだと思いますけど?


「こいつ今日休みだったよな」

「そう。体調不良だって。心配」


 光がまたしてもジトっと睨む。なんでよ。昨日まであんなに元気そうだったから普通心配するでしょうよ。


「俺はヒナとこいつが一緒に日直当番しなくてすんだから良かったけどな」

「もう…」



 どうしてそんなに大和くんが嫌いなのか、さっぱり私には分からない。だけど、光が言うように、もし本当に大和くんが光に小さくなる魔法を掛けた張本人なのなら…


 そんなことを思っていたときだった。


「天野さん…僕の机で何してんの?」

「?!」


 声のしたほうを振り返る。教室の入り口に大和くんが立っていた。肩が上下していて息が荒い。顔も真っ赤だ。相当な熱があるに違いない。


「これは…」


 私はとっさに光を庇うように前に進み出た。手振りと視線で「早く隠れて」と伝える。


 もし大和くんが魔法使いじゃないなら、光の秘密がバレて大騒ぎになってしまうし、もし大和くんが魔法使いなら、光に危害を加えた犯人だ。また何をされるか分からない。とにかく、まだ光の存在を知られるわけにはいかないのだ。


(「絶対に光を守る!」)


 大和くんが教室に入ってきた。足がふらついている。本当にとても調子が悪いみたいだ。光はちゃんと隠れただろうか。横目で確認しようしたその時、大和くんが突然両手で鼻と口を覆ってうつむいた。


「この匂い…やっぱりだ…天野さん…だったのか?!」

「何のこと?」


 本当に一体何のことだろう。

 

 そう言って私を睨む大和くんの目が朱い。耳が長くなり、鼻も前に伸びた。両手の指には鋭い爪が生え、体中毛むくじゃらになった。切り裂かれたように大きな口がゆっくり開き、白い犬歯が剥き出しになる。


 教室の窓という窓を狼の遠吠えが震わせた。


「狼男?!」

「ヒナ、しゃがめ!!」


 光の怒声に体が反応する。とっさにそばにある大和くんの机の影に隠れた。衝撃音がして恐る恐る顔を上げると、狼男の鋭い爪が机に突き刺さっていた。


「ひぇ…」


 私は腰が抜けてしまった。膝が震えて立つことができない。その時、光が狼男の腕を登っていくのが見えて、息が止まりそうになった。


「光、危ない!」


 狼男は机から爪を引き抜いた。体を這い上がる光を苛立たしげに振り落とそうとする。光は狼男の爪を辛うじてかわした。私の心臓が悲鳴をあげる。光は狼男の頭上にたどり着いた。


「ヒナは俺が守る!!」


 このとき私と光には命の危機が迫っていた。だけど、そんな緊迫した状況だったけど、光の言葉に私は胸がキュンキュンするのを止められなかった。この時の光は、誰がなんと言おうと、この世で、この宇宙で、過去現代未来どの時空においても、一番カッコよかった。


 光は狼男の背中を見て何かに気がついた。そしてにいっと笑った。


「狼男さん、こんなところにファスナーがありますよっと」


 光は狼男の背中に生えたファスナーの引手を引っ張りながら滑り落ちた。狼男は体をのけぞらせて遠吠えし、毛皮の中からは意識を失った大和くんが転がり出てきた。


 ◇◇◇


「じゃあ、おまえも魔法使いに狼男の魔法を掛けられたってことか、大和ダイチ」


 光と私と大和くんは誰もいないサッカー部の部室で顔を突き合わせていた。今日はサッカー部自体が休みだったらしい。だから誰も来ない。大和くんがため息をついた。


「なんか最近妙に匂いに敏感になったんだ。あと肉好きになった。まさか狼男になる魔法だったなんて」


 大和くんによると、1ヶ月ほど前にグラウンドでフードを被った男に杖を向けられたらしい。そのときは光が見えて少しの間気絶していただけだったから、あまり気にしていなかったとのこと。

 だけど、この前、私のカバンから魔法使いと同じ匂いがした気がして気にはなっていたらしい。

 そして今日、最低に気分が悪くて休んだけど、最高に嗅覚が冴えていて、魔法使いの匂いをたどってきたら、教室に私と光がいて…と、まぁこんな具合だ。


 ちなみに、狼の毛皮はいつの間にか消えていた。

 だけど、大和くんいわく嗅覚がまだ落ちてないから狼男の魔法は解けてない可能性が高いらしい。またいつか、ああやって狼男に変身してしまうかもしれない。


 光はがっかりしたように大きなため息をついた。


「魔法使い探しは振り出しかぁ」

「僕は仲間が増えて嬉しいよ。これからは光とヒナって呼んでもいいかな」

「うん、いいよ」「ダメだ!」


 私と光の声が重なる。光はジトっと私を睨んだ。


「俺の名前は呼んでもいいけど、ヒナの名前は駄目だ」

「別に私は良いんだけど」

「俺が嫌なの!」


 何よそれ。光の考えることはさっぱり分からない。


 だけど―

 

 魔法使いが見つかるまでにもっと光のことを知れたらいいなと思っているよ。

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