第4話
「あいつ、怪しいな」
光の声に、私は顔を上げた。ちょうどデザインにいき詰まっていたところだ。私は色鉛筆を置いて、ドールハウスのバスタブでくつろいでいる光を見た。
お姉ちゃんが「ここぞ」というときに使うちょっとお高めのバブルバス。
その隠し場所を私は知っていた。姉妹だから結局思考回路が似るのだろう。
光のためにちょっとだけ拝借した。冗談抜きに本当にちょっとだけだ。だって光のバスタブは人間用とは比較にならないくらい小さい。
フローラルな香りに包まれながら、光は気持ち良さそうに目を閉じていた。
「あいつって?」
尋ねると、光は薄目を開けてチラッと私を見た。そしてすぐにまた目を閉じてしまった。
「あいつ。ほら、
「なんで大和くん?!」
意外な名前に、私は思わず大きな声を出してしまった。今日ほとんど初めてちゃんと話した彼だけど、すごくいい人そうだった。それなのになんで?
「もしかして…霊感ってやつ?」
光には霊感があるらしい。大和くんから負の波動でも感じたのだろうか?
光は髪をかきあげた。その仕草が妙にセクシーでなんだかどぎまぎする。
「霊感っていうか、感ってやつ? なんかあいつ気に入らない」
なんだそりゃ。
「そうかな。私はすごく良い人だと思ったけど」
光はバスタブの縁に肘をついて私をじっと見た。何か言いたげな視線だ。目力がすごくて圧倒される。
「な、なに?」
「あいつ、部活は?」
今日までほとんど接点のなかった私でも、それはもちろん知っている。
「サッカー部だよ。すごく上手くてスカウトの人も狙ってるんだって。プロ入り間違いなしってみんな噂してる」
「ふーん…じゃあやっぱり、俺を小さくしたのはあいつだ」
「なんでそうなるの」
「だってサッカー部は朝練するだろ。早く学校に来るだろ。だから、きっとあいつだよ」
「えー…」
大和くん以外にもたくさんサッカー部員はいるし、朝練するのもサッカー部だけじゃないから、その推理はちょっと強引すぎるような…
突然、ザバッと水音を立てて、光が勢いよく立ち上がった。もちろん全裸だ。
ちょっと!!
私は慌てて目をそらす。
「とにかくあいつは怪しいから、ヒナもあいつとはあんまり関わらないこと」
「うーん…」
せっかく仲良くなれそうだったのに、それはちょっと残念かもしれない。
「分かった? 返事は?」
光はいつの間にかパジャマ姿で、私を下から見上げていた。「リリカちゃん人形」のために作ったパジャマだから、女の子用なんだけどよく似合っている。少し大きいのか萌え袖で、しかも訴えかけるように瞳をうるうるさせていた。
そんなことされたらこう言うしかないでしょう。
「分かったよぅ」
光は嬉しそうにニコッと笑った。私は胸を抑えた。抑えとかないと心臓が弾け飛んでいってしまいそうなのだ。こんなに小さくてもこの破壊力。実物大の
一瞬、そんな心配をしてみたけれど、そもそも光が元に戻ったら、もうこんなふうに話すことも、それどころか会うこともなくなるだろうってことに気がついた。だって、光は今をときめく超スーパーアイドルで、私は超普通のしがない中学生。私たちは本来は交わるはずのない二人なのだから。
「早く元に戻れると良いね」
そう思う気持ちは本当だ。だけど、ちょっと言い方にトゲがあったかもしれない。我ながら吐き捨てるような言い方だった。
自分でも気になって光の表情を確認してみたら、光は真顔で私のデザイン帳をじっと見下ろしていた。片手で顎を触りながらすごく真剣に見ている。
「この前さ」
「ん?」
光は続けた。
「この前さ、『ダサい』って突然言って悪かったな」
そういえばそんなこと言われたかも。ミニチュア光登場のインパクトが強すぎてあんまり覚えてなかったけれども。
「あの時は小さくなったばかりで、まだ動揺してて、不安で、ちょっとイライラしてたんだ。だから、とっさにひどいこと言っちまった。傷ついたよな。本当にごめん」
光はしゅんとしていた。人の心の痛みを自分の心の痛みとして感じられる。意外と繊細で優しい人なんだろうな、光は。
私は光にこれ以上傷ついてほしくなくて、ヘラヘラ笑った。
「全然気にしないで。自分でも、まだまだだなって分かってるから。たしかになんかダサいよね」
「うん、ダサい」
は?
光は転がっていた鉛筆を持ち上げ、私のデッサン帳に次々に印をいれていった。
「ここの肩はもっと大きくしたほうがいいし、腰の位置が低すぎる。こっちはドレスの丈をもっと短くしたほうがいい。それに――」
「えっ、ちょっとちょっと…」
めちゃくちゃ言うじゃん。光、めちゃくちゃ言うじゃん。
でも、たしかに光の指摘はごもっともだ。光に言われたとおり、頭の中でデザインを修整してみる。
うん。すごくいい感じ。
「デザインのセンスもあるんだ…」
顔良し、スタイル良し、歌声よし、そのうえセンスも良しって、いったい何なんだろう。なんかもう雲の上の人って感じだ。とても手の届かない遠くの遠くのそのまた遠くの遥か遠い存在…
「仕事柄いろんな衣装着るから自然とそういう感覚が身に付いたんだよ。どうやって着たら俺の見え方がベストになるか、とかさ」
光はパジャマな萌え袖を口元にやって可愛らしくウインクした。うわぁあかわいぃ脳みそとろける!
「センスだけじゃなくてさ。歌もダンスもレッスン死ぬ気で頑張ってるし、スタイル維持のために筋トレ欠かさないし、日焼け対策もばっちりだし、顔は…最初から良いけど、それでも髪型や表情で印象全然変わるから常に研究中。だから最初からなんでも完璧だったわけじゃない」
光が努力??
あの完璧で欠点無しのスーパートップアイドルの光が??!
「意外…」
思わずこぼれた私の言葉に、光は不安そうに頬をぽりぽり掻いた。
「理想が崩れてがっかりしたか…?」
私はぶんぶん首を左右に振った。むしろ胸がじんと暖かくなった気がした。
「光も普通の人なんだってなんか嬉しい。ちょっと親近感が湧いたっていうか。こっちの光の方が私は好きかも」
完璧な光は、そりゃもちろん絶対カッコいいけど、私はもしかしたら、普通の人間みたいな光の方がむしろ好きかもしれない。
うん、好きかもしれない。
好きかも…
なんだか顔が熱くなってきた。
「好きかもってのは、アイドルとしてってことね!!」
光に何を言われたわけでもないのに反論する。なんだか反論しておかないといけない気がしたからだ。反論しておかないと「好き」に引っ張られそうな気がしたからだ。特に意味はない!絶対に!
光はニコッと笑うでもなく、照れたようにはにかんでいた。テレビでは見せないあの表情。
「ヒナならそう言うと思ってた」
「ん、何?」
光の声が小さかったのでよく聞こえなかった。光は「なんでもない」と首を振る。そして、いつもの力強い目力を向けて、私を指差した。
「いっぱい描け。そしていっぱい作れ。良い奴をな。そしたら俺がヒナを「ブエナヴィスタ」の専属デザイナーにしてやる」
「!!」
人形の服をデザインして、作って、それだけでも楽しいのに。
人間の、しかも、「ブエナヴィスタ」の、専属デザイナー!?
「だから、まずは俺が元に戻る方法を早く探そう」
「うん!!!」
私は興奮していて、光の呟きをまた聞き逃した。
「元に戻っても、ヒナにはずっとそばにいてほしいんだ…」
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