第2話
それは四日前のこと―
私は部活に入っていないにも関わらず、土曜日の朝に学校に来ていた。職員室にいた教頭先生に頼んで教室の鍵を借りる。先生は用事が終わったらすぐに帰るようにと眼鏡を光らせていた。
まっすぐ窓辺の自分の机に駆け寄り、勢いのまま手を突っ込む。
「やっぱりあった!」
取り出したのはB6サイズのスケッチブック。中をパラパラめくるとスーツやドレスのデザインが描いてある。全部私がデザインしたものだ。数はまだ少ないし、そんなに上手くないものあるけれど、私にとっては大事なもの。これを探しに、休みの日だってのにわざわざここまでやってきたのだ。
時計を見ると学校に来てから5分も経っていなかった。教頭先生もまだ怒らないだろう。私は筆箱を取り出すと、今朝歯磨きしながら思いついた新しいデザインをスケッチブックに描き始めた。
こういうのは思いついた時にやらなきゃ駄目なのだ。「思い立ったが吉日」だとか「鉄は熱いうちに打て」だとか、昔の人もそう言っている。
私はとっても集中していたから、突然、声が聞こえてきて、飛び上がった。
「なんだそれ。ダサいな」
なかなか酷いことを言われた気がするが、周りを見回しても誰もいないのでそれどころでは無かった。最初は教頭先生かなと思ったけれど、聞こえきた声は明らかに男の人の声だったし。
取りあえず、気分は悪いからスケッチブックをそっと閉じた。キョロキョロしながらシャーペンを筆箱に戻していると、
「こっちこっち」
さっきと同じ声がまた聞こえてきた。どうやら前の方から聞こえてくる。そう思って目を凝らしてみると、カーテンがひらひら揺れて、カーテンに包まれた人形が私に手を振っていた。
は? 人形が私に手を振っている?!
アーモンドのような切れ長の二重に、形の良い眉、すっと伸びた鼻筋、透き通るような白い肌…まるでおとぎ話の王子様のような美しい人形。
その顔に見覚えがあった。
「『ブエナヴィスタ』の
「そ」
人形は桜色の唇をにぃっと持ち上げた。自分が城風光だということに絶対の自信を持っている笑顔だ。他の人がやったら嫌味にしかならないけど、城風光だから全然嫌な感じじゃない。
最推しじゃないけどやっぱりかっこよすぎる!!
私は無意識に心臓を抑えていた。
「あっぶな! やられるところだった…最近のグッズすごいな…」
アイドルグッズといえば、定番のTシャツ、タオルやペンライトはもちろん、最近はアクスタなんてのもある。
今をときめくトップオブトップアイドルの「ブエナヴィスタ」のことだ。きっと本物そっくりのおしゃべりフィギュアなんてグッズもあるに違いない。かなり高くつきそうだが、このクオリティーなら欲しい人はいっぱいいるだろう。
―え、待って。
私は気がついてしまった。
「てことは、
欲しい! けど、貯めてたお小遣い、糸と布に使っちゃったぁ……ぁあーでも欲しい!!」
ミニチュア光は、天を仰いだり机に突っ伏したりする私をまじまじと見て、突然吹き出した。
「おまえ、表情がくるくる変わっておもしれぇ。『お子ちゃま』かよ」
なんだって。
私はちょっとムッとした。
「フィギュアの光、口が悪いな。こんなキャラだっけ」
もしかして不良品だろうか。だから捨てられたとか?
光が気まずそうに頬を掻いた。
「んーと…俺、フィギュアとかじゃないんだよね」
「えっ?」
私は慌ててカメラを探す。
「いや、ドッキリでもないから」
光が楽しそうに声を出して笑った。その笑顔にキュンとしてしまう。く、悔しい…
「おまえ、名前は?」
聞かれたら答えないわけにはいかない。
「ヒナ…天野ヒナ」
「ヒナか、可愛い名前だな」
光の歌声は天使の歌声と呼ばれている。そんな美声で自分の名前を呼び捨てされる破壊力。しかも可愛いって言った? 言ったよね?!
光はカーテンから右腕を抜き出した。むき出しの二の腕は意外と筋肉があってたくましい。いや、そんなことより。なぜ彼はカーテンにくるまれているのだろうか。
「じゃあ、ヒナ、とりあえず何か布持ってない?」
「布?」
「そ」
そう言って、光はカーテンから出てきた。
そう、全裸で。
私は叫びながら両手で顔を覆った。だけど、指の隙間から見えてしまったシックスパックはしっかり網膜に焼き付けた。
◇◇◇
「私のクラスに魔法使いがいる?」
私はまつり縫いする手を止めた。目の前には、私のハンカチを古代ギリシャ人みたいに着こなすミニチュア光が、ドールハウスのソファに腰掛けている。
私たちは学校から私の部屋へと場所を移していた。
小さい頃から大好きだった人形遊び。ドールハウス捨ててなくて良かったぁ。そして今、私は光のためにせっせと洋服を縫っている。趣味がドールやぬいぐるみの服作りで良かったぁ。
光は持て余し気味の長い足を組み替えた。今、彼は布一枚だ。見えそうだから気をつけてほしい。私のほうがなんだかハラハラしてしまう。
そんな私の気持ちなんか知るわけもない光は両手のひらを上にしてわざとらしく肩を竦めた。
「そう。魔法使い。それで俺はこうなっちゃったってわけ」
「そ、ソウデスカ…」
たしか光は17歳だったはずだ。私よりも年上なのに魔法使いだなんて…発想が子どもみたいだ。
光が不服そうに目を細めた。
「今、俺のことガキみたいって思ったろ」
ひぇ…バレてる。「ソンナコトナイデス」と口を開こうとしたけど、光が手を振ってそれを制した。
「俺だって馬鹿げてると思ってるよ。でもそれしか考えられない。今思えば、こうなる前からあの学校には違和感があったんだ…」
光の話をまとめるとこうだ―
光は人気漫画原作の映画『陰☆陽☆師☆探☆偵』の撮影で、私の通う向日葵中学に来ていたらしい。
撮影は決まって早朝で、生徒はもちろん先生たちにもほとんど知らされていなかったみたい。
そもそも『陰☆陽☆師☆探☆偵』の映画化の話すら世間にはまだオープンになっていない。
まぁ確かに、あのトップアイドル城風光が学校に来るなんて事前に分かっていたら、人がわんさか集まって撮影どころじゃなかっただろう。
「ちなみに何の役だったの?」
「陰陽師探偵
光に言わせれば、これは運命らしい。光の祖先には陰陽師がいたんだって。本当かな?
「だからかな。昔から霊感みたいなのがあって。まぁ感じるだけだけど」
その霊感が向日葵中学でもはたらいた。負のエネルギーとでも言おうか、あまり良くない波動を撮影中から感じていたらしい。
今日、つまり土曜日の早朝にも、撮影の予定があった。今思えば、何かに誘われるように私たちの教室に入っていたらしい。無意識に負の波動に引っ張られたのだろう。
ふらふらと窓辺に寄って誰もいないグラウンドをなんとなく眺めていると、いつの間にか入り口に男が立っているのが窓に映って見えた。男はローブを深く被っていて顔は見えなかった。
「今日の撮影チームにこんな人いたかなって思ったんだけど、油断した」
光が振り返ると同時に、その男は、杖を向け、杖の先から閃光が放たれた。
「そんで気がついたら、小さくなってて、ついでに裸で、途方にくれてたところに、ヒナがやってきたってわけ」
光は笑っていたけれど、その綺麗な顔には明らかに疲れや不安が見えて、気づいたら私は言っちゃってた。
「私が光を絶対元に戻すよ。だから、安心して」
その時の光は一瞬きょとんとして恥ずかしそうにはにかんだ。ドラマで何度もラブシーンを演じている光だけど、そんな顔は見たことなくて、私の胸はキュンと苦しくなった。
だから、私は光を助けると言ったことを少しも後悔なんてしていない。
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