第9話 これからのこと

■ハルディラント・メイ・アトフラスト・エス・イスキュリア(19)


 中からの「入りなさい」という声に扉を開くと、父王は正面の椅子に座って足を組み、肘掛けに頬杖をついていた。そしてその傍にもう一人の人物が立っている。父は黙って右手にある長椅子を示す。座って待っていろ、ということらしい。


「……事案が三件ございます。まず、トアの西方の山間部で水晶病の発生が確認され、最寄りの村が封鎖されたとのこと。トアからの正式な報告は未だございません。二件目、昨日イスクに入港するはずだったオーダリア籍の商船が一隻、行方不明になっております。船主から捜索の依頼は出ておりませんので、こちらは様子見になります。最後に、南デルニアに旱魃と不作の兆候が見られるとのことで、次の満月日に再度現状の報告が上がってまいります」


 文官から政務の報告を受けている最中のようだった。邪魔しないように黙って入室し、シイレインと並んで長椅子に腰を下ろす。父王は聞き終えると、ありがとう、憶えておこう、と応じて、文官に退出するよう言った。男はうやうやしく頭を下げ、ハルディラントたちにも「お待たせいたしまして申し訳ございません」と丁寧に詫び、部屋を出ていった。


「すまないね、ちょうどかち合ってしまった」


 父王は椅子から立ち上がると、自ら飾り棚の方へ歩み寄って用意されていた酒杯を手にした。


「ゆっくり話したくて人払いをしてある。不便があるかもしれないが、ま、くつろいでくれ」


 そう言いながら、父王手ずから杯を卓に並べ、酒差しの葡萄酒を注いだ。それを座って待っているのは落ち着かなかったが、やります、と手を出すのも違う気がした。結局、ありがとうございます、と素直に礼を言う。隣のシイレインも、恐れ入ります、と頭を下げた。


 さて、と呟くように言って父王が向かいの長椅子に座る。そして、シイレインの顔を見やると不思議そうな顔をした。


「シイレイン卿、顔の怪我は誰かに治していただいたのか?」


 ハルディラントは目を泳がせる。シイレインが表情に出さないまま、何をどう返事をしようか必死に考えているのが、隣にいて伝わってきた。


「……さきほど、殿下に魔法で治していただきました。お見苦しい姿をお見せして申し訳ありませんでした」


「見苦しいなどとんでもない、騎士に傷跡は誉だろう。――とはいっても、治るまでは痛いものだしな。見かねたんだろう?」


 最後の問いはハルディラントに向けてのものだった。


「そうです。見ている方がつらくて、つい」


 笑顔でそう返事をする。四捨五入すれば間違っていない。そこに至る感情的なあれこれは置いておいて。


「私は魔法はあまり詳しくないが、オーダリアではよく学んできたようだね」


「はい。良き師に恵まれました」


 魔法に関しては、心からそう思っている。ハルディラントに豊富な魔力と魔法の才があるとみるや、ガーナー師は詰め込めるだけ詰め込んでくれた。王族が自ら魔法を行使する機会などあまりないし、ないほうがいいのだが。


「そこは感謝せねばな。ハルディラントには、これからはこのイスキュリアの国のことを色々学んでもらわねばならないからね」


 精進します、と笑顔のまま返す。そういう話になるよね、とあまり楽しい気分ではなく思う。魔法を学ぶのは知的探究と技術の習得の積み重ねで純粋に面白かったが、政務の勉強はあまり心惹かれない。とはいえ第一王子としてはそちらが本分なのだから、好き嫌いなど言っていられない。


「本心は、急かしたりせず、ゆっくりこの国に馴染んでもらいたいんだがね……」


 父王は嘆息し、長椅子の背もたれに寄りかかって脚を組む。


「オーダリアが長いことお前を引き止めていたからね。成人前に帰してくれていたら、慌てる必要もなかったんだが」


 今まで聞かされなかったことを訊いていいものかどうか、ハルディラントは迷う。だが当事者として、成人した王族として、政治的背景を訊く権利はあるはずだ、と思い直す。


「私が帰れなかったのは、オーダリアの世継ぎの問題が理由ですか?」


 オーダリア王には世継ぎとなる男子がいない。三人生まれたがいずれも早逝、女子は既に嫁いでいる。王自身の年齢は五十近い。今度エレーナが嫁ぐ王弟がいるが、こちらも亡室との間に子はおらず、後継問題の解決は急を要するはずだった。


「そうだな。……お前を養子に、という話も何度もあった」


 ハルディラントは黙って眉をひそめる。自分を連れてオーダリアに里帰りの最中、病を得て亡くなってしまった生母は、オーダリア王の従妹に当たる。そのまま長年留め置かれた挙げ句、帰国できず養子にされていた可能性もあったのか。世話をしてくれた周囲の人たちへの愛着もあり、オーダリアに対して悪感情はそれほどないのだが、それでもイスキュリアに対する横暴はひどいと感じる。


「もちろん断固拒否した。その結果、お前を取り返すまで時間がかかってしまったし、エレーナを差し出すような形になってしまったがね……」


 父王は、やりきれない、といった表情で首を振る。

 エレーナも、王族としては結婚相手が決まるのが遅すぎるくらいだった。かつて縁談がいくつかあったようだが、いずれも成立には至らなかった。推測するに、こちらもオーダリアの介入があったのだろう。


 父王はふと思い至った様子で顔を上げ、シイレインを見やった。


「申し訳ない、シイレイン卿。ハルディラントの傍にいるとこういう話も耳に入ってくる、と思って聞き流していただきたい」


 シイレインは静かに頷いた。


「承知いたしました。口外いたしません」


「ではまず、卿の今後のことについて話をさせていただこうか」


 シイレインが居住まいを正す一方で、ハルディラントは少し気を抜いて、酒杯へ手を伸ばす。多分、自分の話は長くなるんだろうなぁ、と遠い目になる。もともと酒精には強い質だが、こんな席では飲んでも全く酔わなさそうだった。


「シイレイン卿が受けてくださるなら、私から契約を提案させていただこう」


「それは……、願ってもございません」


 礼を言うため席を立とうとするシイレインを、父王は両手を上げて引き止める。


「よく考えてから決めていただきたい。我が国は卿の生国であるオーダリアとはわけが違う。卿の今後の勲功に対して、封土で報いることは、おそらくできない。そもそも武勲を上げる機会はめったにないだろう」


 イスキュリアは東方と北方を海、そして残りの二方の国境はオーダリアと接している。宗主国として従っている以上、オーダリアとの戦は起こり得ない。オーダリアが他国と大規模な戦を起こしてイスキュリア王に命令を下し、イスキュリア王から配下の騎士に命令が下れば、参戦することもあるかもしれないが、それはよほどのことだろう。


「ゆえに、俸給と官職という形でしか報い得ない。俸給はオーダリアのころと同じだけを、加えてハルディラントの護衛官という官職とその俸給、住居を用意させていただこうと思うが、いかがかな」


「家」


 シイレインより先に、ハルディラントがつい声をもらしてしまう。父王の視線に、失礼いたしました、と頭を下げる。家を与えられるということは、イスクの街中に住むことになるのか。


「別に必ずそこに住むべきだというわけではない。護衛官という職を考えれば、この館に住んでいただいたほうが都合がいいかもしれないな。支度金くらいに思っていただければいい。持て余すようなら人に貸し出してくれても構わぬ」


 シイレインは改めて席を立ち、床に片膝をついて頭を下げる。


「身に余る光栄でございます。ご厚遇、感謝の言葉もございません。身命を賭してお仕えいたします」


「いや、ハルディラントと我が国を選んでくれた方に、このくらいしか用意できず申し訳ない。契約は後日行うとして、今はそう畏まらず、くつろいでいただきたい」


 恐れ入ります、と頭を下げ、シイレインは再び席に戻る。


 俸給を積み上げたあたりに、父王の本気が窺える。野心を持ってイスキュリアを去りオーダリアへ移る騎士はいても、逆はまずいない。契約を快諾され、細められた父王の目は嬉しそうに見えた。

 護衛官かぁ、とハルディラントは隣で言葉に出さないまま反芻する。今後、武官として正当な理由で傍にいてもらえるわけだ。オーダリアにいたころより、一緒にいる時間は長くなるかもしれない。


「では、ハルディラント」


 父王がこちらへ向き直る。今度はハルディラントのほうが姿勢を正す。父はシイレインと話していたときとは打って変わって、眉間に皺を寄せ悩ましげな表情を見せた。


「……帰国の旅の途中、何者かに襲われたそうだね」


 その話か、と得心する。犯人は未だ不明であるし、脅威が完全に消えたわけではないのは分かっているが、無事到着して一息ついてしまったのと、嬉しそうに迎えてくれた父には言い出しづらいのとで、そのままになっていた。


「はい。ご報告が遅れて申し訳ありません」


「いや。報告は既にコーデルから受けている。言わなかったことに対して叱責するつもりはない。――むしろ詫びたいのは私の方だ。政治的な歪みが原因であろうし、であれば私の責任だ。危険な目に遭わせてすまなかったな」


 いえ、とハルディラントは首を振る。仮に父王の執政に対する不満からのことだとしても、息子が襲われることが父の責任とは言えないだろう。


「犯人の捜査は指示したが、オーダリア領内でのことだから、難しいかもしれんな……。警備も強化するよう言ってある。この国ではお前が安心して過ごせるよう約束する」


「ありがとうございます。私は父上と騎士の皆さんを信頼しています。不安はありません」


 もちろん不安がまったくないわけではない。解決していない以上、また襲われる可能性はある。それでもこう返すしかなかった。恐いと言って寝台に潜り込んでいるわけにもいかない。


「なにか気になることがあったら言ってくれ。すぐに対処する」


 そこでこの件については一旦終わりのようだった。父王は小さく息をつき、険しい表情を緩める。では今度こそ今後の話だ、と続ける。ハルディラントとしては、まだ気が抜けない。


「まず前提として、エレーナの婚礼が三月後の満月日に決まっている。その二月前の満月日にはイスクを出立する予定でいる」


 二月前の満月日、ということは、出立まで一月半、自分も列席することになるのだから、またすぐオーダリアへ戻ることになるわけだ。忙しないな、とハルディラントは内心でため息をつく。


「それでだ。そのあとになってしまってすまないが、秋にはお前の立太子礼を行おうと思っている」


 秋、というと婚礼の二月、三月後くらいになるのだろうか。今からなら半年ほど先か。

 立太子礼だって国中の封臣と他国の賓客を招いて行う国家行事だ、婚礼と同じくらい準備に手間がかかるものだろう。


「失礼ですが、間に合うのですか……?」


「お前の帰国が決まった時点から計画はしていた。ある程度の準備は進めてある。現時点で問題はない。本来なら成人の際にやるべきことだ。早ければ早いほどいい」


 そう言われてしまえばなにも言えない。そもそも準備が大変なのは周囲であって、自分がしなければならないのは、式次第と誓いの言葉を頭に叩き込んでおくことくらいだろう。自分のために周りの人に迷惑をかけてしまっているようで落ち着かないが、遠慮したり拒否したりしたところで、どうにかなる話でもないのだろう。


「承知いたしました」


 返事に父王は頷いてみせ、また一つ息をつくと葡萄酒を口にした。ハルディラントは父王の心中を察する。自分の帰国、姉の結婚、立太子と、厄介だが今のこの機を逃すわけにもいかない事案が立て込んでいて、さぞ心労が重なっていることだろう。

 自分ももう子供ではないのだから、早く父の負担の何割かを引き受けられるようにならなければ、と思う。今はまだ、右も左も分からないけれど。


「王太子になってからは、私の仕事を少しずつ引き受けてもらうようにするからな。なに、できる範囲で構わん。なるまでは少し慌ただしいだろうが、なってからは落ち着いて自分の立場に慣れてくれ」


 はい、と素直に頷く。優しい人だな、と思う。自分が距離感を測りかねているのだから、父の方も同じだろう。離れて暮らしていて成人した息子がいきなり帰ってきても、扱いづらいだろうに。


「シイレイン卿も、慣れるまでは戸惑うことも多かろう。困ったことがおありだったら遠慮なく言っていただきたい」


 恐れ入ります、とシイレインが頭を下げる。


「そういえば、シイレイン卿のご家族はどうなさっておられる?」


 あ、ここで雑談に入るんだ。ハルディラントは緊張を解いて背もたれに寄りかかる。今後の自分の身の振り方について、まだ話が続くのかと思ったが。


「両親とも健在です。兄夫婦が支えてくれているはずです。幼い弟がおりますが、手のかかる分、両親の生き甲斐になっているかと」


 シイレインの返答に、父王は穏やかに頷いた。


「よかった、と言ってはなんだが、卿は長子ではないのだな。一家の後継ぎをハルディラントが攫ってきてしまったわけではないのだね」


 ハルディラントは黙って父王の顔を見やる。今、さらっとすごい言い回しをしなかったか。

 シイレインは冗談に小さく微笑んだ。


「攫われてまいりましたが、私を含めて困る者は誰もおりませんので、好きにしていただければ」


「だそうだ、ハルディラント」


 話を振られてハルディラントは額に手をやる。なんで急に自分をからかうような流れになっているのか。


「……それは、言質を取ったということでいいのかな、シイレイン卿。本当に好きにするよ?」


 シイレインは言葉で返事をせず、肩をすくめた。


「まあ、せっかく移籍していただいたのだから、イスキュリアで家庭を築いて末永く暮らしていただければ、私としては嬉しいがね。――ああそうだ、ハルディラント」


 今の会話でなにかを思い出したのか、父王は再び真面目な表情で話を向ける。ハルディラントは慌てて口にしていた酒杯を置き、聞く姿勢になる。


「お前の結婚のことも考えねばな。今、妃として来ていただく候補となる方を何人か選んでいる。もちろん、お前の気持ちを最優先する。立太子礼の際、婚約礼までできれば一番だが、こればかりは相手のいることでもあるし、こちらの都合だけで進められるものではない。焦る必要はないが、そういう心積もりでいてくれ」


 ハルディラントはすぐに返事ができない。隣に座るシイレインの様子が無性に気になったが、今そちらに視線を送ってはいけない気がした。いつまでも黙っているわけにもいかず、小さく、はい、とだけどうにか返した。

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