第5話 秘密の庭にて

■ハルディラント・メイ・アトフラスト・エス・イスキュリア(19)


 シイレインを伴い、ハルディラントが姉エレーナの部屋へ向かうと、その手前の廊下で行き合う形となった。あ、来たわね、と軽い反応をされる。両手にはなにやら敷布や掛布など布の塊を抱えていた。


「ハル兄様? お帰りなさいませ、ハル兄様、お待ちしておりました」


 エレーナの背後、部屋の中から少女が飛び出してきて声を上げる。栗色の髪に青い瞳、義母によく似ている。異母妹、ルイルーディアだった。確か七歳になるのだったか。同じように大量の布を抱え込んでいる。


「ただいま、ルル。――これは何?」


 ハルディラントは片膝をつくと、ルイルーディアの荷物を片腕で受け取り、もう一方の腕で妹を抱きしめた。


「お兄様たちがいらっしゃったらお庭でゆっくりお話しましょう、ってエル姉様と相談していましたの。その支度をしておりました」


「ルルが自分でやっていたの? すごいね。私も手伝うよ」


「ありがとうございます」


 立ち上がったハルディラントをルイルーディアが満面の笑みで見上げる。ルイルーディアにもこれまで数えるほどしか会っていないが、なぜかずいぶんと慕われているようだった。


「そちらは私がお持ちいたします」


 シイレインが前に出てエレーナの荷物を受け取る。


「すまないわね。シイレイン卿ね? 弟がお世話になってるわね。堅苦しい挨拶は必要ないから、庭に着いたら気兼ねなくくつろいでください」


 そう言うとエレーナは踵を返し、廊下を先に歩き出した。そのあとをルイルーディアが裾を翻して続き、振り返ると「ついてきてくださいな」と声を上げた。


 きちんと挨拶をする前にエレーナと会話を交わすことになってしまったのを、シイレインが少し戸惑っているのが表情で分かる。姉はこういう人だから気にしなくていいよ、とハルディラントは耳打ちをした。これまであまり接してこなかった家族の中で、姉だけは例外で、離れていても頻繁に手紙などでやりとりをしていた。為人はよく知っている。

 大人っぽくなったな、と姉の伸びた背筋を見てハルディラントは思う。自分と同じ金色の髪は、以前会ったときは下ろしていたはずだが、今はきれいに結い上げている。一歳しか違わないため、自分と変わらない気分でずっといたが、自分が成人しているのだから、姉も大人になっていて当然だった。


 姉妹の後に続いて廊下を進み、何度か角を折れて知らない場所へ来る。突き当たりの扉が開け放たれていて、やわらかい風が吹き込んできた。


扉の向こうは、こぢんまりとした庭だった。石壁と植栽に囲まれ、入ってきた扉以外に出入りできる所はなさそうだった。四阿のようなものはなかったが、点在する広葉樹が心地よさそうな木陰を作っている。


「私たち家族しか入らない場所だから安心して。普段はお客様にも教えないのよ。――さあ、それを敷いてちょうだい」


 エレーナの指示で、広めの木陰に持ってきた敷布を重ねて広げる。毛織物や刺し子布の掛布はその上に適当に載せた。ルイルーディアが「素敵」と笑い声を上げて真っ先に上がり込み、エレーナとハルディラントもそれぞれ敷布の上に腰を下ろした。

 先に指示してあったのだろう、使用人が焼き菓子や干し果物と温めた葡萄酒を運んでくる。配膳を終えると先ほどの扉の向こうへ戻っていき、完全に四人だけの空間になった。


 唯一まだ敷布の上に上がっていなかったシイレインが、片膝をつく姿勢になって頭を下げた。


「ご家族の団欒の場にお招きいただき恐縮です。ご挨拶が遅れたことをお詫びいたします。シイレイン・トランと申します。オーダリアでは、ハルディラント殿下のお傍に置いていただいておりました」


 エレーナはすぐに返事をセず、ハルディラントの方を見やった。そして苦笑に近い笑顔を見せる。生真面目ね、とでも言いたいのだろう。ハルディラントもかすかに笑って肩をすくめてみせた。シイはこういう奴だから気にしなくていいよ、と声に出さずとも多分伝わっただろう。


 挨拶を受け入れた、という証にエレーナは手の甲を差し伸べる。シイレインはその手を受け取って甲に口づけをした。少し離れたところに座っていたルイルーディアが立ち上がって傍に寄り、同じように手の甲を差し出した。こちらも同様に口づけする。


「丁寧なご挨拶ありがとうございます。私はハルディラントの姉のエレーナ、こちらは妹のルイルーディアよ。さあ、もう楽にしてくださいな。あなたたち、館に入ってから気を張りっぱなしでしょう」


 恐れ入ります、と返してようやくシイレインは顔を上げ、座る。


 日差しは暖かいが、風は当たり続ければ肌寒く感じる、そんな季節だった。女性陣はそれぞれ掛布を肩や膝にかけ、居心地がいいように整えていた。温めた葡萄酒は酒精を飛ばしてあり、蜂蜜と香辛料で味を調えてある。菓子や果物を分け合う。その一つ一つにルイルーディアは嬉しそうに笑い声を上げた。ハルディラントはつられて微笑んでしまう。楽しそうにしている子がいると、こちらも楽しくなってくる。


「それで、オーダリアではどのようにして過ごされていらっしゃいましたの?」


 落ち着いたところで、ルイルーディアが身を乗り出して訊いてくる。


「うーん……。色々あったね。魔の山に竜退治に行ったり、拾った狼の仔を育てたり、犯罪組織の根城に乗り込んで殲滅したり」


 少女が大きな眸をさらに円くするのを見て、ハルディラントは笑う。隣を見やれば、シイレインも声に出さず苦笑いしていた。


「最後のは大変でしたね。斬っても斬ってもあとから湧くように敵が出てきて」


「ほんと。首領のところにたどり着くころには、おれ魔力切れ起こしてたもんね」


「あのときはどうなることかと思いました」


「おれがイスキュリア王家に代々伝わる秘技を繰り出さなかったら負けてたね」


 エレーナが呆れた様子で「からかわないの」とたしなめる。それを聞いて、担がれていることに気づいたのだろう、ルイルーディアの頬が真っ赤に染まった。


「うそうそ。ごめんね。なにか楽しい話ができればよかったけれど、ルルが期待するようなことはないよ。遠乗りとかで外に連れ出されることはあるけど、それ以外館の敷地から出ることはほとんどなかったしね。だいたいずっと勉強とか、魔法や剣術の訓練とか。教師はそれぞれ一流の人を呼んでくれたから、その点は感謝してるけど」


 その辺りは以前から話していて知っているであろうエレーナが頷いた。


「オーダリアでのほうが良い教育は受けられたでしょうね。シイレイン卿もご一緒に?」


「はい。常にご一緒というわけではありませんでしたが、一介の騎士の子に身に余るご処遇をいただけたと感謝しております」


 身に余るとか言うなよ、とハルディラントは首を振る。


「シイレイン卿は別に私専属というわけではなかったからね。従騎士になってからは、ご主人について戦に出たこともあったし」


「戦に出られたんですの?」


 大げさに声を上げるルイルーディアに、シイレインは控えめな笑顔で頷いてみせた。


「はい。それが務めですので。もっとも従騎士時代の話で、騎士に叙任いただいてからはその機会はございませんでしたが」


「それはご無事で何よりでしたわ。――シイレイン卿は、お強いんですの?」


 唐突な問いに、シイレインは固まって返答に窮した様子だった。ハルディラントは笑って返事を引き継ぐ。


「私よりは強いね」


「はい」


「そこは謙遜しろよ」


「護衛がお護りする方より弱かったら意味がないでしょう」


「魔法ありならおれのほうが強い」


「自分で言い出しておいて張り合ってどうするんですか」


 ハルディラントの知る限りでは、シイレインは同年代の中では腕は立つほうのようだった。ただ、騎士叙任を受けたあと、遍歴の旅に出る者も多い中、シイレインはハルディラントの帰国に付き合わせてしまったため、修行の機会を奪ってしまったのが気がかりだった。

 落ち着いたら埋め合わせができればいいけれど。


「ハル兄様は」


 ルイルーディアがくすくすと笑いながら問いかける。


「シイレイン卿がお相手だと市井の人のような言葉を使われますのね。『おれ』なんてお兄様がおっしゃるとは思いませんでしたわ」


 今度はハルディラントが絶句する番だった。


「あー……」


 思わず呻いて返答の言葉を探す。自分では理由は分かっている。だがそれをそのまま伝えるべきではない。


「……ある人の口調が移ってしまったんだな。その人は親しい人にこういう喋り方をする人だったから。シイレイン卿もそのまま受け入れてくれているし。まあ、本当はよくないよね。私が甘えているだけだな」


 この口調は「前世」の人物、ハロルドの喋り方に引っ張られている。出会ったころ、シイレインをハロルドの相棒シイヅカだと信じて疑わなかったため、ハロルドのシイヅカに対する言葉遣いを真似して、以来そのままだった。


「私は気にしておりません。心を開いていただけている証だと思っております」


 そう言うシイレインの目を伏せた横顔を見て、ああ気がついているな、とハルディラントは察する。自分がなぜ曖昧な返事をしたのか、理由の分かっている表情だった。

 あとできちんと話しておくべきだろう。「前世」の話はこちらから振らないと、シイレインは遠慮して沈黙してしまうから。


「シイレイン卿は、しばらくこちらにいらっしゃるんでしょう。今後どうしたいとか、希望はおありなの?」


 微妙な雰囲気を察したのか、エレーナが話題を変えてきた。話しかけられて、シイレインは顔を上げ姿勢を正した。


「はい。仕官を望んではおりますが、未熟者ゆえ叶いますかどうか。まず修行に出るべきかもしれません」


「父に言えば一も二もなく契約すると思うわ。ハルディラントを献身的に支えてくださった方だもの。――でも、シイレイン卿が契約すべきなのは、父ではなくハルディラントではないのかしら」


 私? とハルディラントは名前を出されて反応する。自分もシイレインは当然父と契約するのだろうと考えていたから、姉の提案は予想外だった。


「私がシイレイン卿と契約? 封土も俸給も出せないよ、私個人の資産なんてないんだから」


「その辺はあなたが父上と交渉するのよ。さっさと王太子に立ててもらって直轄の領地を分封してもらいなさいな」


「簡単に言うなぁ……。今日帰国したばっかりだよ? 仮に言う通りにするにしても、何日かかるんだか」


 古着を分けてもらうとかじゃないんだから、と首を振る。

 もっとも、今日明日の話ではないにしても、それなりに現実的な将来図ではあるだろう。それまでシイレインには一時的に父の配下に入ってもらうとして。

 でもなぁ、とハルディラントは表情に出さないようにして考え込む。

 シイレインと契約して、主従の関係になってしまうのはためらいがあった。それがわがままであることは分かっている。シイレインの立場の安定を考えれば、自分が契約してしまうのが一番なのだけれど。


「ねえ、いずれにしても、シイレイン卿はまだしばらく館にいてくださるんでしょう?」


 ルイルーディアが首を傾げる。


「うん、そうだね。――しばらく『お客様』でいてくれよ、シイ。そうでないと多分父上の気が済まないから。ルルも寂しがるし」


「いえ、しかしそれでは……」


 シイレインが困惑した様子で言いよどむ。遠慮する気持ちもあるのだろうし、まあ、本人も気疲れするよね、とハルディラントは察する。


「まだいっぱいお話をお聞きしたいんですもの。そうだわ、私の『先生』になっていただくのはいかがかしら」


 先生。

 シイレインは一瞬眉を寄せ、だが拒絶するわけにもいかないと思ったのか、言葉を選ぶ様子を見せた。


「私に、姫に何かをご教授できるような学識はございません」


「オーダリアのことをお話してください。私はイスキュリアから出たことがございませんから、オーダリアのことならなんでもお聞きしたいです。ハル兄様もご一緒に。お二人でならお話も弾むでしょう? そうだわ、エル姉様も一緒にいらしてください、今日みたいに」


「こんな風に、集まって話す会をまたやるの? ――それならいいんじゃない? 『先生』、一緒におしゃべりしようよ」


 戸惑うシイレインの背中を押す。名分など何でもいいのだ、シイレインに居場所が作れるのなら。


「これからしばらく、こうして外で過ごすにはいい季節だわね。私はあと少ししかいられないけれど」


 エレーナも賛同する。だが後半の「あと少ししかいられない」について、自分では語る様子がなかったため、ハルディラントがシイレインに解説する形になった。


「姉はね、夏に嫁ぐんだ。オーダリアのオズワース王弟殿下。お前の主だった人」


 シイレインがうなずく。小姓時代の主人だった人だ。ハルディラントとエレーナから見ると、亡き母の従兄にあたる。歳が離れていることもあって、あまり親しくはしてこなかったが、穏やかで話しやすい印象だった。魔法について造詣が深く、「自分と趣味の合う人に違いない」とハルディラントは思っていた。――とはいえ、子のないまま前妻を亡くした人で、もう四十歳近いのではなかったか。二十歳の姉が嫁ぐのに釣り合いの取れる年齢差ではない。


「……いい人だよ。大事にしてくれると思う」


「知っているわ。しばらく前、ご挨拶にいらっしゃったから」


 わざわざ挨拶に来てくれるだけ、誠実なのだろう。イスキュリア王家よりオーダリア王家のほうがあらゆる意味で「格上」なのだから、向こうからなにもされなくても文句は言えないところだった。


 ハルディラントの帰国が決まったのも、エレーナの輿入れが決まったこととおそらく関係があるのだろう。


「結局、王族だとかいっても、オーダリアの都合で全部人生振り回されるんだよね、私たち」


 あまり深刻にならないよう、おどけた声音でぼやいてみせる。エレーナも軽く苦笑いしてみせたが、明るく笑って流せる気分ではないようだった。

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