第4話 落ち着かない

 到着してからは一旦別行動となった。ハルディラントはそのまま居館へ向かい、シイレインは馬を連れて厩舎へ預けにいく。


 じゃ、あとで、と手を振り、ハルディラントは踵を返す。護衛の騎士二人と文官を引き連れて、居館の大階段を昇っていく。外衣の裾を翻し、まっすぐ顔を上げたその姿が、ついさきほどまで隣にいた幼なじみとは別人のように感じられて、シイレインはその場で立ち止まり見送ってしまう。

 最後尾にいた文官コーデルが、段を駆け上がって騎士たちを抜き、ハルディラントに声をかける。ハルディラントは立ち止まって振り返り、二言三言言葉を交わし、笑顔を見せていた。何かの事務連絡だろう。旅の間も何度も見かけた状況だった。それなのに。


 不意に焦燥感のような喪失感のような、苦い想いが胸に湧いて、シイレインは自身で驚く。

 もうハルディラントは、自分だけの「隣国から来ているひとりぼっちの王子」ではないのだ。イスキュリア国民全ての第一王子になる。頭では分かっていたことなのに、心情的にここまで動揺するとは思わなかった。

 去っていく背中から視線をそらし、少しの間目を閉じる。これは自分で折り合いをつけなければいけない問題だろう。どんな状況であろうと、自分はハルディラントを護り支える、と決めたのだ。


 騎士の残りの一人に、厩舎へと案内してもらう。

 城詰めの騎士たちの馬はみなここにいるのだろう、一頭ずつ区画に分けられた建屋の中に何頭もの馬が並び、馬手や従騎士たちが立ち働いていた。シイレインの黒鹿毛の愛馬は慣れない場所、知らない馬たちの気配に緊張しているようだった。声をかけて撫でてやる。一方、馬手に引いてもらっているハルディラントの栗毛の愛馬は、普段とさほど変わらない様子に見えた。主は繊細なところがあるが、馬は図太い性格らしい。シイレインは少し笑いたくなった。


「馬手に預ければあとの世話はやってもらえるが、どうする?」


 空いた区画に着いたところで、案内の騎士――三十代半ばほどに見える口髭のこの人物は、確かエイナン卿といったか――にそう問われたが、いえ、とシイレインは首を振った。


「慣れない場所で緊張しているようなので、落ち着かせてからお願いしようと思います」


 そうか、と短く返事をして、エイナンは頷いた。

 馬手たちが飼葉と水桶を用意してくれる。馬が水を飲んでいる間は、少し離れても大丈夫だろう。


「エイナン卿、お話が」


 低く抑えた声でそう話しかければ、エイナンは少し驚いた様子だったが、それでも馬手たちに聞かれない距離に移動してくれた。


「今回の旅程、実はオーダリア領内で襲撃に遭いました」


「……初耳だな。賊は?」


「返り討ちに。生きたまま捕らえた者もおりましたが自死しました。素性は不明なままです。そしてその者らとはおそらく別に、魔法攻撃を行った者がいて、こちらは捕り逃しております」


「ずいぶんと大掛かりだな。なぜ今まで報告がなかった?」


 シイレインは首を振る。


「殿下が大事にするのを望まれませんでした。オーダリア側には、野盗の仕業ということで処理してもらいました」


 エイナンは渋面を作り、片手を顎にやった。


「……このままで終わるとも思えんな」


「はい。さしあたって、今夜以降の警備の強化をお願いしたく」


「心得た。私から伝えておこう」


 感謝します、とシイレインは頭を下げた。

 少人数の随行員しかいない道中に対し、大勢の騎士や男衆が住み込んでいる居館での襲撃は非現実的だろう、とは思うが、危険が皆無なわけではない。


 愛馬が嘶いて呼びかけてくる。不安だから傍に来い、とでも言いたいのだろう。そちらへ歩み寄ろうとすると、シイレイン卿、とエイナンから声をかけられた。


「今回の件、なぜ私に?」


 疑問はもっともだろう、とシイレインは思う。

 エイナンを含め、国境から合流したイスキュリア騎士たちとは、ここまで会話らしい会話もしてこなかった。オーダリア出立時から同行していた文官コーデルのほうが言葉を交わす機会が多かったが。


「……私自身が騎士なので、騎士の方のほうが信用できる気がする、そんな理由です」


 その言葉の意味をしばし吟味した様子ののち、エイナンは黙って頷いた。

 知己のいないイスキュリアで、誰を信じ誰を頼っていいかなど、手探りで見定めるしかないのだ。



■シイレイン・トラン(18)


 落ち着かないな。シイレインは独り首を振る。

 案内された客室は贅沢すぎた。王の居館に滞在する客のための部屋なのだから、それはそうだろう、と理屈では納得している。だが、オーダリアにいたころは城詰めの騎士として、大部屋に大勢で起居する生活だったため、広い個室に羽根布団の寝台は眠れる気がしない。

 埃になった旅装を解いて、用意された服に着替えたが、これも文字通り借り物で、肌触りはとてもいいのに肩が凝りそうな気がする。


 長椅子に浅く腰かけ、膝の上で手を組んで息をつく。

 旅の荷物をいくつか荷馬車の方へ預けていて、そちらは後で届ける、と言われたので、部屋の扉を開け放して待っている。窓から廊下へ風が抜ける。この街はどこにいても潮の香りがする。耳に入ってくる言葉も、概ね理解できるがオーダリアの言葉とは抑揚が異なる。ずいぶんと遠い土地へ来てしまったな、と強く感じる。


 この先どうなるのだろう。

 客の身で能動的に動けないのは当然だが、一日先のことすら想像できないのが、不安でないといえば嘘になる。

 それでも。自分で選んだことなのだから、どうにかなるしどうにかするのだろう。


「なんでここ開いてんの?」


 声に視線を向ければ、戸口にハルディラントが立っていた。やはり旅装を解き平服に着替えていた。そのせいか先ほどより気が抜けているようにみえる。

 荷物が届くので、と答えれば、ふうん、とあまり興味なさそうに反応した。


「親父のところに挨拶に行くから、一緒に来てくれる?」


 親父。

 耳慣れない単語に、数拍の間をおいて「イスキュリア国王」を指すのだとシイレインは理解する。


「……国王陛下をお呼びするのに、もう少しなんとかなりませんか?」


「んー……、だよねぇ」


 自分でもそう思ったのか、ハルディラントは素直に頷いた。


「正直、どのくらいの距離感で接したらいいのか分かんないんだよね」


 そういって肩をすくめる。

 幼いころから離れて暮らしてきた実の父親、祖国の君主、そしてハルディラントがいずれその地位を継ぐ人。そんな人物とこれから同じ館で過ごすのだ、どう接していいのかわからない、というのはシイレインにも想像できる。

 要するに、今から父親に会うことに気後れしているのだろう。


「これから関係を築いていくんでしょう。距離感がわからないのはお父上も同じだと思いますよ」


 ハルディラントは面白がるように口の片側で笑ってみせた。


「息子との接し方がわからない国王陛下もかっこ悪くていいね」


 自分で軽口を叩いて、少し気が楽になったのだろう。行く決心がついたようだ。こっち、とハルディラントは廊下の先を示してみせた。シイレインが立ち上がって戸口まで歩み寄ると、ハルディラントは肩に手を置き、ありがとう、と小さく礼を言った。



■ハルディラント・メイ・アトフラスト・エス・イスキュリア(19)


 抱きしめられるのは予想外だった。


 ただいま帰りました、とハルディラントが父王アレルリードの居室に挨拶に向かうと、言葉を交わす前に抱擁された。どう反応するのが正解なのだろう、と戸惑いながら考えてしまい、正解もなにもないだろ、と思い至って、黙って抱きしめ返した。傍にシイレインと義母がいるのが少し気恥ずかしかったが。


「長い間つらい思いをさせたな」


 両肩に手を置いてそう言う父は、自分と同じ淡い緑色の眼を細めて見つめてくる。間近で見る顔は、記憶よりも少し年齢を感じさせた。身長はもう同じくらいか。


「つらいと思ったことはありませんでした。オーダリアでは皆さんよくして下さいました。よい留学の機会をいただけたと思っております」


 予め用意しておいた返事に、父はわずかに眉を寄せて痛ましげな表情を見せた。


「そんな聞き分けのいいことを言ってくれるな。年端も行かぬお前を長年異国に独りにさせて、かわいそうなことをしたと思っている。少しずつでいいから、この館に、この国に慣れていってくれ。ここがお前の本来いる場所だ」


 はい、と素直に返事をする。つらくなかったのは本当なのだが、父に抱きしめられて戸惑ってしまうことのほうが、親子関係としてはいびつで、自分は健全に育っていないのだろう、と他人事のように思う。


 父の傍らから小さな手が伸びてくる。義母の抱いている赤子が、ハルディラントの前髪を掴もうとしていた。異母弟のティルトだろう。一年と少し前、誕生の報を聞いてから初めての帰国のため、初対面だった。

 髪の代わりに人差し指を掴ませると、握手のような形になった。


「初めまして、ティルト。これからよろしく」


 笑顔を向ければ、赤子は返事をするように、あー、と声を上げた。


「義母上、お久しぶりです。ただいま帰りました」


 赤子を抱く義母にも笑顔で挨拶をする。義母はハルディラントの母が病死してから父王が迎えた継室だった。ずっとオーダリアにいたハルディラントは、数回しか会ったことがない。親子として接するには歳が近すぎる。たしか十歳ほどしか離れていないのではなかったか。


「おかえりなさい。元気で帰ってきてくれて嬉しいわ。これからティルトをよろしくね。大きなお兄さんが帰ってきてくれて心強いわ」


 無理に母親として振る舞うより、「息子の兄」としてハルディラントを受け入れる、ということだろうか。隔意はないように感じる。

 兄として精一杯がんばりますね、と応える。正直なところ、赤子の扱いは全くわからないので自信がなかったが。


 一通りの挨拶を済ませたところで、ハルディラントは一歩下がってシイレインを振り返る。 シイレインは片膝をついて控えている。ハルディラントの心情的には、こんな姿勢を取らせることなく、最初から立って挨拶してもらいたかったのだが、そうもいかない。


「友人を紹介させてください、父上。オーダリアでは幼いころから私の傍にいてくれた、シイレイン卿です。帰国にあたって共に来てくれました」


「ああ、お待たせして申し訳ない。立っていただけるか、オーダリアの騎士殿」


 そう父王に声をかけられて、失礼いたします、とようやくシイレインが立ち上がる。


「お初にお目にかかります、陛下。シイレイン・トランと申します。ご縁があって幼少時よりハルディラント殿下のお傍に置いていただいておりました」


 頭を下げるシイレインに、父王は手を差し出した。


「シイレイン卿、遠路はるばるよく来て下さった。話はハルディラントから聞いている。一度お会いして礼を申し上げたかった。今まで息子を支えていただいて感謝している」


 握手を交わす二人の脇で、なにその保護者同士の会話、とハルディラントは胸中で呟く。


「ハルディラントが卿を信頼しているように、私も卿のことは家族同然だと思っている。どうかそのつもりでゆっくりくつろいでほしい。今後のことで希望があれば相談に乗ろう」


「お心遣い痛み入ります。いずれ仕官の道があれば、と思っておりますが、まずは貴国に滞在できる貴重な機会を無駄にせず、精一杯学んで参ろうと思います。――私は一旦ここで退出させていただきます。ご家族で積もるお話もございましょう」


 え? とハルディラントは思わず声に出してしまう。自分を置いて一人で部屋に戻るつもりなのか。


 シイレインはハルディラントの反応に気づかなかったのか、差し出された義母の手を取って甲に口づけし、挨拶をしている。


 両親に気づかれないように、そっとシイレインの短衣の裾を掴む。シイレインは黙ってハルディラントを振り返った。ハルディラントは、行くな、という意思を込めて見つめ返す。


「では失礼いたします」


 シイレインは無視して部屋を出ていった。



■シイレイン・トラン(18)


 シイレインが部屋に戻ると旅の荷物が届いていた。特にやることもないので時間をかけて中身を確認していると扉が叩かれ、次いで応答を待たずに開かれた。ハルディラントが立っていた。


「……開ける前に返事を待っていただけませんか」


「行くな、って訴えてるのに無視した奴が言う!?」


「どう考えてもあそこで私が長居するのは場違いでしょう。ご家族ときちんと向き合ってください。逃げても仕方がないでしょう」


「分かってるよ、分かってるけどさぁ……」


 ふてくされたような声を上げ、ハルディラントは室内に歩み入ると長椅子にどさりと腰を下ろした。そのままなにも言わない。まったく、とシイレインは内心で呟く。この人は肝心なことは抱え込むくせに、時折こうして甘えるような態度を取る。それにほだされる自分も自分だけれど。ため息をついて片付けの手を止め、ハルディラントの隣に座る。


「なにか嫌な思いをしたんですか」


「全然。両親とも優しいよ。義母上はちょっと遠慮気味だったかな。それを言ったら父上もそうだけど。オーダリアに預けられてたのを、やたら気にされて、落ち着かないかな」


「なら、あなたはどういう態度を取ってほしかったんですか?」


 そう問い返されるとは思っていなかったのか、ハルディラントは黙ってシイレインの顔を見やった。そして視線を落とし、少し考え込む。


「……もうちょっと、淡々とした感じで接してほしかったな。おれがオーダリアに預けられてたのだって、父上がそうしたくてしていたわけじゃないのは最初から理解してるから。感情を向けられるのは、疲れる。おれも感情出さなきゃだめな気がして」


 なるほど、とシイレインは小さく応じる。

 愛情であれ何であれ、強い感情に振り回されるのが苦手なのだ、この人は。オーダリアでは大切に扱われてはいたが、穏やかにかしずく人たちばかりだった。自分もそのうちの一人に含まれるだろう。


「それが家族というものなのではないですか。今のうちにめいいっぱい甘えておけばいいと思いますよ。遅かれ早かれ、第一王子のあなたは太子に立てられるんでしょう。そうしたらもう、私的な親子ではなく、君主と世継としての関係が優先されるようになるんですから」


 ハルディラントは再びシイレインの顔を見つめる。


「お前、今日はよく喋るね」


「かまってもらいたい顔してたのはどっちですか!」


 言葉では返事をセず、ハルディラントは横から脚を伸ばし、じゃれるようにシイレインの足を軽く蹴った。そして長椅子から立ち上がると、あーあ、と大げさにうめいてみせた。


「次は姉上のところに挨拶に行くから、ついてきて」


「……一人でおつかいもいけない幼児ですか」


「ほんっと今日はよく喋るなお前!」

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