第3話 渡りと帰巣

■ハルディラント・メイ・アトフラスト・エス・イスキュリア(19)


 騎士たちはハルディラントの前で片膝をつき、剣を立てて頭を垂れる。シイレインも同じ姿勢で並んでいる。なんでお前がそっち側なんだよ、とハルディラントは言ってやりたかったが、顔を上げようとしないので睨みつけても通じない。シイレインも立場としては、彼らと同じオーダリア騎士の一員だというのは分かるが。


「生命に代えましてもお護りせねばならぬものを、殿下の御身を危険にさらし、あまつさえ我らが殿下にお護りいただいたこと、我ら一同心よりの感謝とともに、慙愧と後悔の念に耐えません。いかなる裁定も甘んじてお受けする所存です」


 四人を代表してそう述べたのは、一番年嵩の騎士だった。アドル卿といったか。

 真摯な恭順の礼に、本来なら正規の作法で答礼すべきなのだろうけど。ハルディラントは当惑する。シイレインもそうだが、主従関係ではないのだ。長年オーダリアの都、アドリーツァの居館で暮らし、彼ら騎士たちとも顔見知りになってしまっている。オーダリア王族と変わらないように見做されてしまっているのだろうか。


「……皆さん顔を上げてください」


 結局、答礼はせず、普通に話しかけた。さきほどは緊急時であったため、命令口調で指示を出していたが、本来は敬意を持って接するべきだと思っている。


「皆さんには十分に護っていただきました。襲撃者を排除してくださったのは皆さんです。私は怪我一つしていません。最初の魔法攻撃は、全くの想定外でした。誰にとってもそうだと思います。とっさの判断で自分にできることをやっただけです。これが最善の結果だったと思います。だから、裁定などしません。むしろお礼を言わせてください。ありがとうございました」


 そう言っても顔を上げない騎士たちに、ハルディラントは聞こえないほど小さくため息をつく。

「代わりに、と言ってはなんですが」


 一旦言葉を区切り、跪く騎士たちの向こうを見やる。木立の間、少し離れた場所で、従騎士と人足たちが襲撃者たちを一列に横たえている。全員事切れていた。生きたまま確保した者もいたが、隙を突いて自死してしまったのだ。


「今回の襲撃は、野盗の仕業ということにしておいてください」


 騎士たちがそっとハルディラントを見上げ、次いでお互いに顔を見合わせた。


「……明らかに物盗り目的ではないように思われますが」


「それでもです。都に戻られたらそう報告してください。野盗の襲撃にあったが、問題なく撃退し、無事国境を越えた、と」


 まだ越えてはいないが、その予定でそう告げる。


「ずいぶんと遅くなりましたが、この後なにもなければ今日中には国境に着けると思います。でもその前にここを片付けなければなりません。――イルバ卿、今朝出立した村へ急ぎ戻って事情を説明し、襲撃者たちの遺体の対処を頼んでください。残った我々は、さきほどの魔法の飛来した範囲を見回って、火の出そうなところを消して回りましょう。そのまま立ち去って、あとから火災が起こったら大変ですから」


 シイレインの次に若く、体力のありそうな騎士にお遣いを頼む。イルバは、は、と応じ、改めて頭を下げた。



■ハルディラント・メイ・アトフラスト・エス・イスキュリア(19)


 倒木に敷布を敷いて腰かけ、シイレインの差し出した水筒を受け取る。薄めた葡萄酒は革袋の匂いがついてしまっていて、普段なら美味しく感じないのだが、今は身体が水分を必要としているのを感じる。言い出した自分も周囲の見回りをするつもりだったが、だめです、とシイレインに休憩を指示された。


 他の随行員たちが林の中を歩き回る様子を、なにとはなしに眺める。自然の風が吹き抜ける。立ち込めていた煙もほぼ感じられなくなった。もう心配はないだろう。


「……殺意高いよなぁ」


 唐突なつぶやきに、傍に立つシイレインが無言で見下ろしてくる。


「森に大量に〈火弾〉ぶち込んでくるとか、森林火災を偽装して焼き殺します、って言ってるようなもんでしょ。警告じゃなくて本気で殺しにきてるよね」


「……あなたの〈抗壁〉が間に合ってよかった」


 樹木に水分の多い春という季節、まだ湿度の高い午前中という時間帯も幸いしたのだろう。だが魔法が間に合わなければ、火勢の方が勝っていたかもしれない。


「野盗ということにしてしまってよかったんですか?」


「他になんて報告するんだよ。暗殺者に狙われました、って? 二国間の大問題になるよ」


 襲撃者の遺体を調べたが、当然ながら素性の分かるような物は持っていなかった。ハルディラントを直接襲ってきた男は、〈隠蔽〉の魔法を使っていた。おそらく隠密の訓練を受けている。一方で、隠密が大規模な〈火弾〉の魔法を駆使するとも思えない。――要するに、あの魔法を放った人物は別にいて、捕り逃している可能性が高い。


 そして、オーダリア領内で仕掛けてきたということは、犯人は責任をオーダリアに押しつけたいイスキュリア側の人物、という可能性も十分ある。

 そんな誰かのいるかもしれない国にこれから向かうのだ。


 あー、と低い声で呻いて、ハルディラントは自分の膝の上に突っ伏した。


「……帰りたくない」


「引き返しますか?」


 ハルディラントは身体を起こし、うらめしげにシイレインを見上げた。相手は静かな表情で見返してくる。本気か冗談か分かんないんだよ、と内心で文句を言う。

 分かっている。ハルディラントがどちらを望もうと、シイレインはついてきてくれるし、障害があるなら淡々と排除しようとする、それだけのことなのだろう。


「帰るよ」


 他に選択肢はない。



■シイレイン・トラン(18)


 殿下を頼む、とアドルが右手を差し出してくる。その手を握り返しながら、生命に代えましても、とシイレインは応える。


「私からも。家族をお願いします」


「心得た。我らで支える、心配するな」


 簡潔だが頼もしい返事だった。

 オーダリアには父母と兄、歳の離れた弟がいる。父は現役の騎士、兄は結婚して住居を分けているがいずれ父を継ぐ予定、弟はまだ母の許を離れられない。イスキュリアに行ってしまえば、なかなか会うこともできなくなる。後悔はしていないが、少し感傷的にはなる。


 他二人とも握手と別れの言葉を交わす。オーダリアの騎士たちは、イーニ河の岸辺、国境のこの街で引き返すこととなる。迎えに来ていたイスキュリアの騎士三人と引き継ぎの挨拶をし、ハルディラントに礼をして去っていった。彼らには戻ったら、午前中の襲撃事件の後始末をしてもらうことになる。


「私はこのまま都まで同行します」


 シイレインがイスキュリア騎士たちにそう伝えれば、了解した、と頷かれて特に詮索されることもなかった。お互い名乗り合ったが、その一度で顔と名前を憶える自信はない。道中にできるだけ早く憶えなければな、と思う。人付き合いは得意ではなく、人の顔を憶えるのも苦手だった。


 河を越え、イスキュリアに入ってからの旅は穏やかで順調だった。オーダリア領内ではついてくるだけだったイスキュリアの文官コーデルが、細々と差配するようになった。気弱そうな物腰で、年齢は自分と同じくらいか少し上、とシイレインは判断したが、容姿の印象とは逆に有能な人物のようだ。都から来る早馬とやりとりをし、宿泊地の宿の手配をし、この先の道中についてハルディラントに説明する。ハルディラントは頷くだけだった。襲撃以降、シイレインは緊張を解かなかったが、残りの五日ほどの旅程はなにごともなく過ぎていった。


 遮るもののない青空、はるか上空を、鳥の群れが楔形に並んで飛んでいくのを、馬上からシイレインは見上げる。自分たちが進むのとは逆方向、東から西へと飛び去っていく。渡りの季節なのだろう。オーダリアを挟んでイスキュリアとは反対側、トアは急峻な山脈と広い湖を擁する国で、様々な鳥が渡って夏を過ごす。秋になり彼らがまた東へと戻ってくるのを、自分はイスキュリアで迎えることになるのだろうか。


 道なりに丘を登りきる。一気に視界が開け、突然青い世界が広がる。潮風に包まれる。横にまっすぐ伸びる線、その上は空、そしてその下は、深い藍色をたたえた――海。


 思わず馬の歩みを止め、シイレインは息を呑む。海は初めて見る。祖国オーダリアは平野の国で、領土の北と南東の端に海と接している場所はあるが、これまで縁がなく過ごしてきた。

 イスキュリアの都イスクは海の傍の街、港湾都市だとハルディラントから聞いてはいた。だが、都市の想像はできても海は想像の埒外だったため、街並みより先に海が目に飛び込んでくるとは思っていなかった。視線を手前に下ろしてみれば、丘の裾野から港を囲むように都市が広がり、家々の白壁と赤茶色の屋根が日差しに照らされている。港には大きな帆船が何隻か。小さな岬から斜面に沿って小ぶりな城がそびえ、一つ隣の丘の上に王の館らしき壮麗な建物が見えた。


「どう?」


 馬を寄せてきたハルディラントが、面白がるような様子で問う。シイレインはハルディラントを見やると首を振った。


「……すみません、言葉が出ません。海を初めて見たもので。……美しい街です。こんな場所があるんですね」


「うん。……うん」


 なにか続けて言いたいが飲み込んだような、中途半端なハルディラントの返事だった。シイレインは続く言葉を待ったが、ハルディラントは黙って視線を水平線の方へ向け、彼方を見晴かすように目を細めた。


 この表情がなにを意味するのか、シイレインは分かる。


 「前世」の私は、あなたと海を見たことがありましたか。

 そう訊いてみたくて、口を開きかけて、やめた。


 ハルディラントは物心がついたときから、他人の記憶があったという。まったく別の土地、別の時代の、別の名を持つ人物。それが自分の「前世」であり、幼いころは、それが当たり前だと思っていた、と。そして、同年だから、というだけの理由で引き合わされたシイレインを、当然のように「前世」で縁のあった人物の生まれ変わりだと信じて接した。


 当時はずいぶんと混乱したのをシイレインは憶えている。


 シイレインには「前世」とやらの記憶はまったくないこと、ハルディラントが話す「前世」の話を、シイレインは何一つ理解できないことを、幼いハルディラントが飲み込むまでしばらくかかった。そのときは衝撃を受けた様子だったが、シイレインを記憶の中の人物と同一視することはなくなった。そして「前世」の話を積極的にすることもなくなった。


 こちらから「前世」の話題を振ることをハルディラントは嫌がる。記憶のないシイが「前世」の人物だとは限らない、押しつけたくない、シイは気にしなくていい、と言う。


 でも、とシイレインは思う。意識して表に出さないようにしているだけで、ハルディラントが遠い目をするとき、自分の向こうにその人物の姿を見ていることは感じられる。記憶がなくても自分が確かにその人物である、とハルディラントがそう信じるに足るなにかがきっとあるのだろう。


 海の方を見つめ続けるハルディラントに、参りましょう、とシイレインは声をかけた。うん、と静かな応えが帰ってくる。


「もうすぐだ。やっと着くよ。早く一息つきたい」


 シイレインの方を振り返り、そう言ってハルディラントは笑う。そして馬を先に進めた。

 後に続いて馬を歩ませながら、シイレインはハルディラントの背中を見つめる。


 本当に自分はその人物の生まれ変わりではないのか。生まれ変わりなのだとしたら、なぜハルディラントにだけ記憶があって、自分はなにも憶えていないのか。このままずっとこうなのか。


 自分だって、ハルディラントの「前世」で傍にいた、その人物の生まれ変わりであればいい、そして記憶を共有した上で現世も隣にいたい。切実にそう思っているのだ。


 ハルディラントが寂しそうな顔をするたび、自分に記憶がないことを、あまつさえハルディラントが想っている人物とは無関係かもしれないことを、どうしようもなく寂しく思う。

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