第2話 魔法使いと騎士
■ハルディラント・メイ・アトフラスト・エス・イスキュリア(19)
ハルディラントは宿を提供してくれた家の主人に礼を言う。見送る村人たちに馬上から笑顔で挨拶をし、故国へと出立する。朝霧は薄れてきていた。樹々の疎らな森の中を東へと向かう街道、梢から射す朝日が眩しくて、思わず額の前に手をかざした。この時間に出れば、おそらく昼過ぎには国境を越えられる。
随行員は十人。諸々の雑務や手続きをするためにイスキュリアから来た文官と、護衛のオーダリア騎士が三人、従騎士が一人。同じくオーダリア騎士だが別枠扱いでシイレイン。荷馬車と積荷の管理や雑役をする人足が四人。
王族が国を移動するのにこの人員は簡素すぎる、とイスキュリアの文官からは言われたが、これで十分、とハルディラントが自ら説き伏せた。イスキュリアの王子がオーダリアに長期滞在していることはそもそも公の話ではないし、護衛を多くしすぎても、オーダリアとイスキュリアの「信頼関係」に水を差す。臣従契約で結ばれた二国間を移動するのに、危険なことなど何一つない、はずなのだから。
オーダリアで身の回りの世話を任せていた小姓たちも、新しい主人を手配した上で置いてきた。イスキュリアへどうしても来たい、というなら別だが、大国オーダリアの騎士になる道を外れ、属国に行こうというもの好きはそうそういない。――シイレインを除けば。
そのシイレインも身一つでハルディラントについてきた。自分の馬と装備の手入れに加えて、ハルディラントの馬の世話も引き受けてくれている。手慣れた様子に感心してみせれば、いつものことですから、と返された。
隣で馬を進めるシイレインの横顔をそっと見る。癖のない黒髪、真っ直ぐな鼻筋、紫がかった双眸は進む先を見据えている。鎧と外衣を着込んだ姿は、平服姿の方が見慣れているハルディラントには新鮮に感じる。幼児のころからずっと見てきて、変わらないようでいても、もうすっかり大人だった。半年前、正式に騎士に叙され、順調に出世の道を歩んできたのに。
「……どうしましたか?」
視線に気づいたのか、シイレインがこちらを向いて問いかける。
「いや。せっかく騎士に叙任されたのに、シイはなんでおれについてきてくれたのかな、って」
「今更ですか!?」
「もっと早く訊いた方がよかった!?」
「そういう問題ではないです!」
シイレインは、なぜそんなことを言い出すのか、と言いたげな胡乱な目をしてみせた。
「殿下がいずれお国に帰るのは、初めから決まっていたことです。そのときは自分もイスキュリアへ行くのだ、と、私は幼少時からそういうものだと思って育ちました。殿下のお傍が私のいる場所です」
シイレインの思いを初めて聞いて、ハルディラントはしばし言葉を失う。もちろん幼なじみで仲のいい、自分のことを大事にしてくれている友達だと思ってはいたが、子供のころから生まれ育った国を離れる覚悟をしていたとは、考えもしなかった。
「……じゃあなんで騎士の叙任を受けたの?」
「叙任の話が出た段階で、殿下の帰国の日取りはまだ決まっておりませんでした。時機の問題でしかありません」
「お前それ……、えぇ……」
ハルディラントあきれてうめいた。オーダリア国王への忠誠など二の次だ、と言ってしまっているようなものだ。思わず周囲を見回すが、他の護衛の騎士たちとはほどよく距離が取られていて、聞こえてしまう心配はなさそうだった。
幼いころに引き合わされて以来、もう一緒にいることが当たり前になっていたが、いざ帰国となると、生まれも育ちもオーダリアであるシイレインがついてくる理由など全くないのだ。日程が決まったとき、伝えるのが怖かった。いつもと変わらぬ様子で、ではこれでお別れですね、なとど言われたらどうしようか。
だがシイレインは、その話を聞くと動揺するわけでもなく少し考え込み、
「では、国を離れる支度をしなければなりませんね。一度実家に戻って家族に話さないと……」
と当たり前のように言った。ついてきてくれるのか、などと尋ねるような空気にもならなかった。
帰国準備を日々進めるうちに、イスキュリアでも一緒にいられるのか、いていいんだ、と少しずつ喜びを実感してはいたが、なぜついてきてくれるのか、という疑念は完全には消えなかった。オーダリアでこれまで築いてきた様々なものを手放してでも、自分と一緒にいたい、と思ってくれているのなら、本当に嬉しいけれど。身分差ゆえに、当人の意思に反して束縛してしまっていないだろうか。
出自の違いはもうどうにもならない。でも、シイレインには自由意志で自分の進む先を決めてほしいし、その上で対等な相棒として隣にいてほしい。これからも傍にいてもらいたい。
「前世」では、隣にいてほしかった人と、共にいられなかったから。
――不意に、総毛立つような感覚に襲われる。
なに、と思わず声に出す。心拍数が上がる。
これは魔法攻撃、弾かれるように頭上を見上げる。隣のシイレインも同様に顔を上げ表情をこわばらせた。
「――警戒! 魔力検知、膨大、広範囲!!」
張り上げられたシイレインの声を最後まで聞かず、ハルディラントは右手を突き上げ、全力全速で魔法を組み上げる。
この規模の物理防御は間に合わない、魔法抵抗のみ、出力最大、範囲拡大も可能な限り、詠唱も綴字もなく発動できる限界の。
「防御態勢をとれ!!」
ハルディラントの叫びと同時に、上空を走る稲光のように魔法文字が展開された。
■シイレイン・トラン(18)
空を切る矢のような音を引き、上空から無数の〈火弾〉が降り注ぐ。
シイレインは馬をハルディラントの傍へ寄せながら、脳内で魔法を構成する。鋭く短い詠唱、頭上に二人と二頭の馬を覆う半透明の〈防盾〉が広がる。
〈防盾〉越しに頭上を仰ぐ。
樹々の枝先ほどの高さ、視線の届く範囲一帯に、ハルディラントの〈抗壁〉が展開されている。その表面に到達すると、〈火弾〉は揺らめいて消滅していく。だがいくつかは樹木の梢に直接当たる。折れた枝が飛び散って、煙を上げながらシイレインの〈防盾〉を打った。火災の不安が脳裏をよぎる。だが、火の手が上がるような様子は今のところなかった。生木がくすぶり白い煙が充満し始める。鳥が狂乱状態で一斉に飛び立ち、馬の足元を小動物が駆け抜けた。
「皆さん無事ですか!? ――クレイズ卿、非戦闘員の保護を!」
背後でハルディラントが声を上げ、後方、文官たちの近くにいた騎士に指示を出す。それぞれから応答が返ってきた。馬が動揺して隊列が乱れたが、見える限りでは被害はない。
〈火弾〉の飛来はひとしきり続いたが、状況が悪化することはなく、やがて収まった。
しばらく様子を見たあと、ハルディラントが息をついて手を下ろし、〈抗壁〉を解く。上空の魔法文字が霧散する。シイレインも間を置かず〈防盾〉を閉じた。
「腕上げっぱなしで疲れた」
少しおどけた様子でハルディラントは手首を振り、笑った。だが、額に汗が浮いているのをシイレインは見て取る。顔色もよくない。魔法は規模が大きいほど、発動を急ぐほど、そして詠唱や綴字を省略すればそれだけ魔力を消耗する。とっさに展開したさきほどの〈抗壁〉は、ハルディラントのほぼ全力だろう。ずいぶんと無茶をする、とシイレインは改めて思う。責任感から無理をしてしまう人であることは分かってはいるが。
今回の随行員に、魔法に長けた者はおそらくいない。シイレインの出した個人規模の〈防盾〉や、目の前の敵に放つ攻撃魔法くらいなら習得している騎士がいるはずだが、同行者すべてを守るような広範囲魔法を扱えるのは、ハルディラントくらいだろう。そして騎士たちの役割が「護衛」とはいえ、ハルディラントにしてみれば、「一時預かって無事帰ってもらわなければならない人たち」なのだ。
体調を気づかう言葉をかけようと口を開いたところで、ふと物音に言葉を止めた。
ほんのかすかな、地面の草を踏む足音。これまでとは別種の危険を悟る。他の随行員が足音を殺す必要はない。立ち込める白煙に紛れ、近づいてくる何者かがいる。おそらく複数。
なにか来ます、とシイレインは声をひそめて言う。炎に巻かれたところを襲ってくる算段だったのだろうが、燃え上がらずくすぶるだけの煙が煙幕効果となり、結果として敵に有利に働いている。
不審な気配に、馬の蹄の音が重なる。「殿下!」と声が上がる。騎士たちが駆けつけようとしているのだろう。間に合って防御を固めてくれればいいが、おそらくその前に何らかの攻撃が来る。
「おれが見えるようにする。あとは任せる」
ハルディラントが落ち着いた声で告げた。流れてくる煙に一つ咳をしてみせると、外衣の襟を立てて口許を覆った。その陰で詠唱を始めたのをシイレインは察する。さきほどの無茶な魔法で魔力はかなり消耗しただろうに。無理しないでください、と小声で言えば、軽いの一発だけ、と返される。シイレインは黙って頷く。馬から降り、静かに腰の剣を抜く。
いくよ、と詠唱を終えたハルディラントが宣言し、馬上で右手を水平に突き出す。そして一度、指を鳴らした。
〈風〉。
突風がハルディラントの指先から湧き上がり、地を這って渦を巻く。シイレインの外衣を大きく翻す。そして白煙を巻き上げ、落ち葉とともに運び去る。視界が開ける。
いない。すぐ傍まで近づいてきていると思われた襲撃者の姿は見出だせなかった。だが、立ち込めた煙が吹き飛ばされる、そのときの空気の流れが。視界の端にほんのわずかな違和感をとらえ、シイレインは迷いなく剣を突き出した。
何もない空間から血飛沫が上がり、一拍の間を置いて肩を突かれた男が姿を現した。男は怪我を顧みることなく小剣で斬りかかってくる。数合打ち合う。だが小剣では長剣の相手にはならない。シイレインは難なく男の剣を弾き飛ばし、無力化した。
時間を置かず、周囲から声と剣戟の音が上がる。騎士たちが他の襲撃者を見つけて排除している。五、六人はいるだろうか。うちの一人がこちらへ向き直り、投剣らしき物を放った。シイレインは射線上に出した〈防盾〉でそれを防ぐ。投げた男もすぐに他の騎士に確保された。
今度こそ、攻撃は終わりだった。
すべての襲撃者は制圧された。
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