エピローグ

「おはよーっす。あれ、グレンもう学校来れるようになったのか」

 事件から二週間後、朝の教室に元気よく田中(仮)が登校してきた。教室に入るなり、席に座っている俺の姿を見て、てこてここちらに寄ってきた。

「ああ、最新治療とやらのおかげでもうぴんぴんしてるよ」

「現代医療すげえな。足折れてたんだろ、松葉づえもなしかよ」

 机の下に伸びている足をまじまじと見ながら感心していた。

 正確には現代医療がすごいんじゃなくて、異能者の回復力がすごいらしいのだが、それを田中(仮)に言ってもしかたないのでそういうことになっている。これは異能者全般の特徴らしく、昔から傷の治りがはやいとは言われていたが、アルたちに言われてようやく理由が判明した。

「で、助けた娘とはどうなったんだ?その娘のおかげで最新医療が受けられたんだろ?」

「あー、うん。別になんもないよ」

 田中(仮)はやっぱりもう柊のことは覚えていないようだ。たぶん学校のだれもが同じようにもう忘れてしまっている。

 柊たちは、俺が退院したと同じ日にこの街から出て行ってしまった。入院中、最場先輩が俺を襲ってくることがなかったのと、この街での後処理がすべて終わったからだ。後処理の一つとして、柊に関する記憶は俺を除いてすべて消されてしまっている。おかげで俺が助けたのは知らない医者の娘という風に改ざんされているらしい。

 一応、まだ島の人間が警護として俺を監視しているらしいが、半年もすればそれもなくなるそうだ。今のところ、見られている感覚もないのでほんとにいるかよくわからないが。

「そんなこと言ってぇ、仲良くなったんだろ。何回か病室来てたみたいだし」

「……ああ、そうだ。入院中に借りてたライブのディスク、プレーヤーと一緒にまた返しに行くな。学校に持ってくるわけにもいかないし」

「ほかにも見たいのあれば貸してやるよ。……って、話を逸らすなよ!」

 一向に答えようとしない俺に、田中(仮)が絡んでくるが反応せずに窓から外を見た。

 開け放たれた窓から見える空は、入院する前とはだいぶ様相が変わっていた。まだ夏の空といった様相だったのが、秋に移り変わったのか空は高くて薄い雲が流れている。開けられた窓から吹き込んでくる風も涼しげでもう季節は秋に変わったことを示していた。


「で、どうするか決めたか。グレン」


「俺は————一緒に行かないよ」


 そうか、とアルはこちらに微笑んで俺たちは別れた。たぶん彼には最初から俺の答えが分かっていたんだと思う。

 俺は今の生活が気に入っている。適当に学校に通って、田中(仮)とふざけて、変わった両親と一緒に生活する。何の変哲もない、この生活を手放したくなかった。今が幸せなんだ。


「なあ、田中。俺がシツレンしたって言ったらどう思う」

 絡んできていた田中(仮)がハトが豆鉄砲をくらったという表現が的確に当てはまるくらいに驚きできょとんとした。

「はあ?マジで!?あのグレンが?あはははははははっ!」

 急に大笑いをした。それこそ教室中のやつがこっちを見たくらいに大声で。

 そのまま一通り笑い転げると、面白いネタを見つけたと言わんばかりに根掘り葉掘り聞き始めた。

 予想通りの反応で、顔がほころんでしまう。うるさくて面倒くさいやつだが、俺の学校生活においてこいつは少なからず影響を及ぼしている。最近は非日常に多く関わっていたから、これくらいの日常でうれしくなってしまう。

「おい、自分で振っといて答えないってのは、ちょっと良くないぞ。グレン」

 俺の失恋話に興味津々の田中(仮)は胸倉をつかみ上げて、顔をぐいっと近づけてきた。ふいに顔を近づけてこられたので、思わずドキリとしてしまう。久々にこいつの顔をここまで近くで見たが、さすがに一言言わせてもらいたい。

「お前、一応女なんだから、そういうことしないほうがいいよ。————美墨紗季さん」

 顔を逸らしながら、できるだけ嫌味を含ませ、説教じみた言い方で告げた。その物言いにムカついたからか、

「うるせぇー、関係ねぇーんだよ!」

 掴んだままの胸倉をグラングラン振って、俺の頭をシェイクし始めた。

 田中(仮)もとい、美墨紗季は性別で言うと女である。別に性自認が男だから、一人称が俺なわけじゃなく、ただ本人が使いたいから使っているだけらしい。そのくせ、女であることを触れると、癇癪をおこすめんどくさいやつでもある。だから、俺も男友達くらいの感覚で接しているのだが、こうやってたまにいじってやっている。


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムの音が学校中に響き渡った。

 振り回されていた俺も、チャイムの音と同時に離され椅子へと落とされた。

「チッ、チャイムに救われたな。……あとで覚えておけよ」

 まるでラウンドが終わったボクサーくらいの血の気の多さで、彼女も席に戻っていった。ああは言っていたが、たぶん一限目が終わったころにはケロッと忘れているので、俺も記憶のかなたに消しておく。変に覚えていると勘のいい奴だから思い出してしまう。

「よーし、ホームルーム始めるぞ」

 担任が教室に入ってきた。

 こうしていつもの学校生活が始まっていく。

 氷結鬼の騒動で何か変わったということはない。

 あの時はロケットみたいに飛べるほど大きくなった炎も、今はもういつも通り指先からしょぼいのが出てくるくらいに戻ってしまった。

 いつも通りに授業を受けて、いつも通り家に帰って、いつも通り一日を終える。異能も魔術も関係ない、ただの日常。

 そんな日常を俺は過ごしていく。

 彼女と出会ったあの日の夜みたいに、夏に降る雪なんて非日常はないけれど、今の俺にはそれで十分だった。

 以上が、俺が初恋と失恋で気づいたことだ。

 願わくば、次の恋は超常的な要素が絡まない、一般常識で推し量れるものであってほしい。


 教科書に隠して、指先に灯した炎をふっと一息で吹き消した。

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