第13話

「いでっ」

 学校の屋上に着いた瞬間、無感情に手を離されて硬いコンクリートに腰から着地した。

 俺たちは、というか柊は学校までの歩いてなら五分以上かかる道のりを三十秒ほどで踏破してしまった。

「アルの言ってた通り、結界が張られてる」

 屋上の縁から下のグラウンドを眺めながらぽつりとつぶやいた。

「結界って、学校に入れたじゃないか」

「魔術における結界っていうのはそういうのじゃないの。結界って言うと場所に入れなくするイメージがあるかもしれないけれど、魔術の結界は入れなくするものじゃなく入ろうとしなくするものなの。下を見てもらうとわかると思うけど、今学校には誰もいない。教室の一つが氷結したからって、こんなにきれいにいなくなるっておかしいとは思わない?」

 そういわれて俺も柊の横から下を覗き込んでみた。

 眼下に広がったのは見たことのあるグラウンドなんかが見えるが、三階建ての屋上なんて高いところから、下を見たことがなかったので恐怖でぶるりと体が震えた。

 柊の言う通り、学校のどこをみても人が歩いている様子はない。理科準備室が凍り付くという騒動があったとはいえ、教師の姿すらないのはいささか不自然だ。

「結界は入っている人には意味がないはずだけど、全員を出した後、結界を張ったんだと思う。……だから、逃げたように見せて実はずっと学校にいた」

 下を見るのをやめて、背後をにらみつけた。

 彼女見た方向には、俺たちが来た時点ではなかった人影があった。


「さすがですね。できるだけ気配を消していたつもりなのですがね」


 昨日の夜と同じように鬼の仮面をつけた人物がこちらに微笑みかけていた。

 自然と体がこわばった。先生と次に会うときは戦うときだと言われていたからだ。つまりはこれから戦わなければいけない。

「紅君、もう一度だけ言います。この薬を飲んで私と力の神髄を手にしませんか?」

 昨日の夜と同じ問い、それに俺は一度だけ首を振った。先生は小さくため息をつくと、

「やはりこうなってしまうのですね」

 先生を中心に足元が凍り付いていく。

「グレン君、ここで戦えば校舎がもたない。下に降りるけど、跳べる?」

 すでに戦闘態勢に入った柊はこちらを一瞥することもなく、俺にだけ聞こえる声でつぶやいた。

 この高さから跳ぶ?と一瞬の迷い。それを見ていなくても感じたのか。

「手を握って」

 俺はそれを安心させるためだと思った。だから、ためらいもなく彼女の手を掴んだ。すると————次の瞬間、体が宙を舞っていた。

 俺の体を柊が片手で投げたのだ。猛烈な勢いで体が空中へと跳び、落下防止の金網も超えて眼下に会ったグラウンドへと落ちていく。

 投げられた当人の俺は、背中から落ちているので状況もよく理解できず、ただ落ちていくことしかできない。

「ぐえっ!ぎょあああああああ!」

 急に背中を強い衝撃が襲った。下へと落下していく感覚が斜めに落ちていく感覚に変わり、冷たいものが物理的に背中を走って行く。何が起こっているのかわからないので、抵抗のしようもなく、流されるままに流された。


「生きてる?」

「死ぬかと思った」

 柊の作り上げた氷のスライダーで地面に転がりながら、心配そうにみる柊に答えた。その心配するなら、こんな強引じゃない方法で下までおろしてほしかった。

「起きられる?……やっぱりいい。ここで見ていて」

 滑り降りた衝撃で起き上がれない俺の目の前に大きな氷の盾を作り上げると、俺たちと同様に屋上から降りてきた先生と向き合った。

「何もないグラウンド。僕にとっても、君にとっても戦いやすいステージだ。ここで君と僕、どちらの力がより強いかを決めるためにふさわしい」

「そんなことはどうでもいい。力を比べるなんてこと、興味ないもの」

「君とは気が合わないみたいだ」

 柊は一言で切り捨てた。それにはたまらず苦笑いを浮かべた。その次の瞬間、壮絶な戦いの幕が開いた。


 ***


 二人の魔術師の属性魔術がぶつかり合い、広いグラウンドが白く染まる。

 どちらも同じ氷結させることのできる魔術を使うため、当然の結果ではあった。それを不毛だと感じたシオンは、近接戦闘へと持ち込むために氷結鬼に向けて走り出した。

 戦いについては全くの素人である氷結鬼は近づかれてはまずいと判断し、シオンの移動ルートを予測してそれを妨害する氷の壁を配置した。

 シオンはそれを視認した瞬間に、氷の壁を切り裂くための氷の刃を両手に形成した。そのまま走る速度を落とすことなく、氷の壁の目の前に差し掛かると刃の一振りで豆腐でも切るかのように壁を切り裂いた。それを数度繰り返せば、もう氷結鬼の目の前だ。

 そうなってしまえば戦闘経験の差が戦局を大きく分けた。氷結鬼が付きだした拳を掴み瞬く間に制圧してしまった。

「これで終わり」

 うつぶせに倒した氷結鬼に馬乗りになり、抵抗できないように両腕を抑え込まれている。一応、動かせる両足で抵抗しようにも届かない場所に腰を下ろしているため、シオンには届かない。

 一対一の戦いならばここで終わりだった。だが、

「そうかもしれない。————私、一人ならね」

 シオンに話しかけているような声で、グレンを睨みながらなんとかぎりぎり動かせる指先を動かした。

 グレンの周囲から氷の柱が立ち上り、彼を囲む檻を形成した。グレンを守るために作り上げた氷の盾は攻撃から守るためのものだったため、彼を捕まえるための檻には意味をなさなかった。

「しまっ————、きゃっ」

 シオンの意識が一瞬だけグレンの方へ向いたタイミングで氷結鬼は拘束を抜け出した。

「これで形勢逆転だ」

「人質をとったくらいで、勝ったつもり?氷結させる速度なら私の方が上、あなたがグレン君に危害を加える前に彼を守るくらいできないことはない」

「じゃあ、————これなら話は変わりますよね」

 氷結鬼は鬼の仮面を脱ぎ去り、右手に握った複数錠のタブレットをぼりぼりと喰らい、ゴクンと飲み込んだ。

「ぐおおおおおおおっ!」

 氷結鬼の体から魔力があふれ出す。

 本来、一錠でも一般的な魔術師の三倍の量の魔力が込められたタブレットを一挙に大量に摂取したのだ。満タンになったバケツから水があふれるように、取り込んだ魔力を処理できなくなった体から漏れ出しているのだ。そしてそれが氷結鬼と呼ばれた人間を本当の鬼へと変革させる。

 黒かった髪は色が抜け真っ白に、決して筋肉質でない細身だった体は服の上からでもわかるくらい筋肉が膨張している。どこからどう見ても先ほどまでいた人物と同一人物ではないほどの変わりようだ。

「コレガ、マジュツノシンズイ。スバラシイ」

 にやりと獲物を見つけた動物のような獰猛な笑み。そこには先ほどまでいた氷室という人間の姿は存在しなかった。

 あまりの変化にシオンも戸惑うが、先ほどまでの相手と別人と考えることで思考を切り替えた。実際にその判断は正しかった。

「チカラ、タメス」

 言葉とともに発せられたのは地を這う凍結の波、飛沫の一つ一つが鋭い刃となりシオンへと迫る。驚異的なのはその速度で、先ほどまでの氷結鬼の三倍以上の凍結速度だ。

「くっ」

 迫りくる波をシオンは氷の盾を生成し、受け止めた。凍結の波は氷の盾に阻まれて、シオンに届くことはなかったが、飛沫の刃は氷の盾を深々とえぐり、貫いている。速度だけじゃなく硬度までも向上しているのだ。さすがのシオンもこれには舌打ちをした。

(この状況、どうする)


 捕縛をあきらめる?————ダメ、アルに怒られてしまう


 奥の手を使う?————ダメ、殺してはアルに怒られる


 指輪を外す?————ダメ、アルとの約束を破ることになる


 殺さずに勝つ方法を思考しながら、次々迫る氷結の波を押しとどめていく。波の速度も硬度も受けるたびに、増していく。今はまだ力のコントロールがうまくできていないからだろうが、時間が経てば現状の最大硬度でも貫かれるかもしれない。

(それでも、どんな相手だろうと殺すというのはあり得ない)

 シオンが考えるのは、あくまでも殺さずに勝つ方法。それはアルとの約束でもあり、彼女自身が決めた誓いだからだ。

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