第10話

「じゃあ俺は学校の方見てくるから、グレンのこと頼むな。……ああ、そうだ、指輪ちゃんとつけとけよ。戦闘になったら危ないからな、————グレンが」


 なにか気になることを言い残して、アルは学校の方へ跳んで行ってしまった。魔術師とはすごいもので、助走があるとはいえ十メートルくらい軽くジャンプして見せた。理科準備室が先生によって凍結させられた時も、アルが抱えて逃げてくれなかったら俺も凍り付いていたかもしれない。


 先生が逃げた後、アルは俺を抱えながら巻き込まれた生徒を救出すると住宅街の片隅にある学校近くの公園まで避難した。いつのまにか柊と連絡を取っていたようで、彼女が合流したところでアルは学校の様子を見に戻って行った。


 合流した柊は制服から着替えていて、こういう言い方が正しいのかわからないが黒い戦闘服みたいなものを身に纏っていた。そういえばアルも同じものを着ていたので彼らの制服か何かなのだろう。


「なあ、柊」


「なに?」


「さっき、アルが言ってた指輪って何のことだ?つけとかないと危ないって言ってたよな、……俺が」


 俺の質問に答えるためか、柊は左手を見せてくれた。


 細くきれいな左手の人差し指には小さな宝石があしらわれた指輪がはめられていた。自分で聞いといてなんなんだが、正直その指輪よりも色白でしなやかなその手の方にドキリとしてしまったのは秘密だ。


「情けない話なのだけれど、私はまだ力のコントロールが未熟で他人を巻き込まないためにこれをつけているの。強すぎる力は、周りも自分も傷つけてしまうから」


 自分の未熟さを嘆くように、柊は唇をかんだ。けど、俺から見ればそれはぜいたくな悩みだ。


「そのおかげで守れるものもあるんじゃないのか。それはすごいことだと思うよ。俺は」


 俺の力ではほんの小さな炎を灯すことしかできない。彼女のように大きな力があれば今の守られる立場も変わっていたかもしれない。守られる立場からすれば人を守れるなんてのはうらやましい限りだ。


「————そうかもしれない。ありがとう」


 そうやって少しだけ微笑んだ彼女の横顔に、真っ赤に染まった夕日が差し込んだ。

 まるで頬が染まっているように見えてすごくきれいだった。あまりにもきれいだったから、どういたしましてなんて適当な返事だけして目をそらしてしまった。



「なんだ、こんなところにいたのか、紅くん」



 その声を聞いた瞬間に、ぶるりと寒気が走った。


 振り返ると、こんなところで出会うなんて思ってもいなかったし、出会いたくもなかった人物が公園の入り口に立っていた。


「最場先輩、なんでこんなところに……」


 この人の相手ができるほど俺の中に余裕がなかったせいで、嫌悪感を隠しきれていない声で彼の名を呼んだ。それに対し、先輩は気にする様子もなくにやにや笑いのままこちらに近づいてくる。


 先輩が十メートルほどの距離に来ると、柊が険しい顔であいだに入ってきた。


「数は二十、囲まれてる。————あなた、何者?」


 柊は俺をかばうように、先輩をにらみつけた。それを涼風のように受け流して、にやにやしたままの先輩。状況が分からず、おろおろするしかない俺。緊張感の中、一触即発の空気が流れている。


「いやー、さすが島の魔術師は違うね。察知されない距離をとらせたはずなのに、こんなに正確に当てられちゃうなんて」


「……先輩?」


 先ほどまでと表情は変わらないが、明らかに敵意の混じった声。それは俺の知っている最場星という人物の雰囲気とは明らかに違っていて、気持ちが悪かった。


「タブレットが関わってるから、もしかしてとは思っていたけれど、あなた、組織の人間ね」


 柊がいつにも増して冷たい声を上げると、先輩は愉快そうに顔をゆがめて


「正解!せいかい!だーいせいかいっ!!あの氷室って教師にクスリを渡したのは僕でした!あははははっ!」


 狂ったみたいに笑い声を住宅街に響かせた。


「品行方正、文武両道の生徒会長というのは世を忍ぶ僕のペルソナ。僕の本来の姿は、次期七つの大罪候補、かの組織のナンバーエイト。その名も————最場星ッ!」


 何を言っているか、まったく理解できなかった。いつも通りの大げさな動き、気取ったしゃべり、いつも通りのはずなのに彼から受け取る情報だけがうまく自分の中に取り込めなかった。わかったのは、目の前にいる大嫌いだった先輩が、今回の氷結鬼騒動の黒幕ということだけ。


「へえ、じゃああなたをここで叩きのめせば、組織の情報も手に入るってわけね」


 獰猛な笑みを浮かべた柊がそうつぶやいた。もうすでに臨戦態勢なのか、彼女の周囲には白い冷気が舞っている。おかげでさっきから鳥肌と体の震えが止まらない。


「ノンノンノン。僕がここに来たのは君と一戦構えるためじゃないよ。フェーズ4の魔術師と戦ったら、僕らもただじゃすまないからね。用があるのは、紅くんのほうだよ」


 そういいながらも表情を崩さず先輩はこちらを指さした。この期に及んで俺みたいなほとんど一般人に何の用があるっていうのだろう。


「紅くん、僕は君を気に入っていてね。君の僕を見る、その蔑んだような眼がとても反抗的で、刺激的で、大好きなんだ。とても屈服させたくなる。だから、僕と一緒に来ないかい?君も異能者の端くれなんだろう。君くらいの異能者は吐いて捨てるくらいいるから、報告すらしていないが、僕の副官としてなら、いいポストを用意してあげよう」


 なんてこちらに向けて笑いかけてきた。


 その笑顔があまりにきもかったので、今まで溜まってたものが堰を切ったみたいに飛び出していった。


「ついていくわけないだろ!先輩だから、敬語使ってたけど、あんたのこと心底嫌いなんだよ。あんたも俺が嫌ってるのわかってるなら関わってくんなよ。そのしゃべり方とか、動きとかきもいんだよ!」


 横に立っていた柊がくすくす笑っているのに気づいて、ようやく我に返った。やばいとは思いつつも、ちょっとすっきりした感じも否めないので良しとしよう。————いや、よくねえよ。


 目の前で、さっきまで上機嫌だった先輩もふるふると怒りだろうか、体を震わせている。



「————いい」



 はぁ?


「すごくいいよ、紅くん!やっぱり君は最高だ!……けど、あんまりそういうことは言うものじゃないよ」


 大喜びしたと思えば、急に表情を消した。あまりに一瞬の豹変に背筋がぞわりとした。その刹那、


「————危ない!」


 俺の背後に、大きな氷の壁が出来上がった。そしてガツンガツンとそこに何かが衝突するような音が響き渡った。音のした付近を見てみると、そこには銃弾のようなものがいくつも突き刺さっていた。そのどれもが俺の立っていた場所に向かっていた。このすべてが氷の壁に阻まれず、俺にあたっていたと思うと、背筋が凍った。


「狙撃なんて、趣味の悪いことするのね。しかもグレン君のほうを狙うなんて、ほんと陰湿」


「当たり前じゃないか。魔術師相手に銃なんて役に立たないのは、よく知ってるからね。けど、次は対魔術師用の弾を使わせてもらうから、どうなるかな」


 冷たい声で非難する柊に対して、またにやにや笑いを浮かべながら返答した。今度は、こちらにもわかるようにするためか、右手を上げて狙撃の指示を出した。


 二人とも狙撃に備えて身構えた。後ろにある氷の壁がそんなにすんなりと壊れるとは思ってはいなかったが、それでも特殊な弾でも狙撃と言われればいやでも身構えてしまう。だが、


「————ん?あれ??」


 もう一度先輩は手を上げた。しかし一向に何も起こらない。


「どういうことだ!?なんで何も起きない」


「こういうことだよ!」


 どさりどさりと先輩の目の前に空から降ってきた人が重なっていく。みな一様に同じ格好をしており、同じようにボコボコにされて気絶しているようだった。



「助っ人、とじょーってか」



 雷のような光をまといながら、気の抜けたセリフで帯刀したアルが俺たちの目の前に降り立った。

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