第9話
放課後、俺は一人である場所に向かっていた。
柊も一緒に来ようとしていたが、少しのことで話題に上がる柊がいきなり俺なんかと行動し始めたら、それこそいろんなやつが後ろをついてきてしまうだろう。そうなるといろいろ面倒なことになりそうなので。俺一人で向かうことにした。
一人とは言っても、アルが俺のことを遠くから監視しているから何かが起きればすぐに駆け付けてくれる。
教室を出てすぐの階段を下りると、すぐにそこにたどり着いた。
理科準備室、————俺はここにいるはずの氷室先生に会いに来た。
今思い出してみれば、あの先生の言動にはいろいろとおかしな点が多かった。俺が炎を灯したのを問題にしなかったのもそうだが、その交換条件としてもう一度見せてくれ、しかもトリックについては聞かない。そんな条件を不思議に思わなかった俺も俺だが、この時点でもう目をつけられていたのだろう。
あの人が本当に氷結鬼かどうか、まだ確信はない。おかしいと言ってもそれは状況証拠などからの推測でしかない。だから、おれは今から直接対峙しに行くのだ。
コンコンと扉をノックする。
中から返事はない。けど、いるという確信があった。扉には鍵がかかってはいなかった。思い切って中に突入した。
「————やあ、紅君。早かったね」
氷室先生はこの前と同じように年季の入った椅子をギシギシと言わせながら座っていた。違ったのは、前は閉じ切られていたカーテンが開かれているということくらいだ。
窓の向こうでは、下校する生徒たちの姿が見えた。
「やっぱり先生が、————氷結鬼なんですね」
「そうです。私が巷を賑わせている氷結鬼とやらです」
先生はすこしだけこの状況を楽しむような笑みをこぼした。それが俺には恐怖でしかなかった。こっちからすれば絶対的強者と相対しているのだ。楽しむ余裕なんて一切ない。
「なんでこんなことを?」
「理由かい?そうだね、なんなんだろうね」
先生は椅子の背もたれに体を預けて、天井を仰ぐとぽつりぽつりと語り始めた。
「元々私の力は今ほど強力なものじゃなかった。この薬がなければ、冷蔵庫で作る氷よりも粗悪な氷すら作れなかったからね。けど、あの方は僕にこの薬を与えてくれた。僕の世界はこれで変わったんだ。今では二十五メートルプールですら一瞬で凍結できる。だから、自分の夢をかなえてみようと思ってね。学校では扱ってないが、私の元々の専門は生物でね。いつも思っていたことがあるんだ。老いというのはなんて醜いものなのだろうと、だから美しいものを永遠にしたんだ」
先生の口から発せられたのは狂気の数々だった。そしてその結晶がいま投げ渡された複数枚の写真だろう。移っているのは氷漬けにされた人々、これが氷結鬼の正体。
氷結鬼によってさらわれた人々は彼によって永遠に閉じ込められる。それは一方的な彼の感情によって、老いることはないが意識も、行動も、感情もすべてが氷結されてしまった完全な停滞。行う側としては歪んだ善意だが、された側はすべてを奪われたのと同義だろう。
「それが人間のやることですか!」
「やはり君にも理解はしてもらえないか」
失望の言葉とともに室内を白い冷気が支配していく。
「おい!グレン、引くぞ」
いつのまにやら来ていたアルが俺の前に割り込んだ。
「今ここで戦うのは私も本意じゃない。また夜にでも会いに行くよ」
「うわあっ」
一瞬のうちに理科準備室のすべてが凍り付いた。アルが俺を抱えて離脱してくれたから傷はなかった。けど、ほんの少しだけ心に傷がついてやるせない気持ちになった。
今の瞬間、氷室先生がいた居場所はなくなってしまったのだから。
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