第4話
次の日、頭の片隅に昨日の不安を抱えながら登校した。
彼女があの小道に消えてしまったんじゃないかという一抹の不安が俺の心をずっとざわざわさせているが、それも教室についた瞬間に杞憂だったと思い知らされた。
彼女、柊詩音は昨日までと同じように窓際の席に座って外を見ていた。その視線の先に何が見えているかはわからないが、それでも彼女が健在だ。それが分かっただけで肩の荷が下りたみたいに安心できてしまった。
「おい!グレン、邪魔だよ。教室に入るならさっさと入ってくれ」
ぼうっと教室の扉に入らず立っていたら後ろから田中(仮)が文句を言ってきた。それでようやく現実世界に復帰した。
「すまんすまん、ちょっとぼーっとしてた」
「ぼーっとしとくのはいいけど、あんなとこではやめてくれよ」
「へいへい」
流れで田中(仮)と連れたって席に着く。
「そういえば今日理科の実験でアルコールランプ使うらしいから、久々にアレ見せてくれよ」
カバンから出した教科書を机に適当に押し込んでいると、田中(仮)が変なことを口走った。たぶんアレっていうのはアレのことだろう。
「これのことか?」
おもむろに右手を取り出す。その指先にはマッチで付けたくらいの小さな炎がともっていた。
それを見て田中(仮)はそうそうそれそれと肯定してきた。
これは俺が生まれながらに持っていた特殊な力だ。指先に炎を灯すというだけの人に自慢もできないような謎の力。なぜ灯すことができるのか、どうやって灯しているのか、理論的なところはよくわからない。できるからできてしまう。それ以上でも、それ以下でもない。
この力があって困ったことはないし、これをすごいとも思ったことはない。もっと大きな炎は灯らないので、せいぜい花火の時に役立つとかその程度のしょぼいことにしか役に立たない。
「ほんとすごいよな、そのマジック。やっぱグレンって名前なだけあるよ」
「だから、グレンじゃないっての。それにこれはそんなすごいことじゃないよ」
ポケットから使いかけのライターを取り出して、これのおかげだからなと一言付け足しておく。
この力のことは、みんなにはマジックと言っている。昔、人前で見せてはいけないと理解してからは、そういう風にすることで見せたことのある人間にも周知させている。そのおかげでこんな風な被害にもあってしまっているのだが。
————こりゃ、今日の理科はめんどくさいぞ。
心の中で、ため息をついた。
「では、紅君。放課後、理科準備室に来るように」
そういわれたのが今日の二限目、まだ特に担任には伝わっていないようだが、非常に面倒なことになった。
なんでそんなことになったかというと、
「グレンー、ごめんなぁ」
隣の席で、両手を合わせながら俺を拝むように謝り倒すやつがいた。
この田中(仮)が調子に乗ってリクエストしまくるから、それに応えていたら炎を灯しているのを理科の教科担任に見られてしまったのだ。
瞬時にライターを使ったマジックと誤魔化したのだが、それはそれで学校にライターを持ってきていたということで、結局呼び出しを受けてしまった。
「もういいよ。見られちまったものはしょうがねえ。甘んじて怒られてくるよ」
「そうか、じゃあ俺帰るから。がんばれよ」
こういう時、あきらめが肝心なのはよくわかっている。そのうえでの発言だったのだが、こいつはそれをどうにも自分の都合よく受け取ったみたいだ。反省は一切していないようなので、一発蹴りだけ入れて見送った。
「はあ……行くか」
怒られに行くのは、気が重いが行かなかったときの方が面倒なことになるのは目に見えているので、行かないという選択肢はない。待ち受けているであろう説教が終わったら、すぐに帰れるように荷物を持って教室を後にした。
理科準備室は、ちょうど俺の教室の真下にある。正確には、真下にあるのは第二理科室で、そこにつながる形で理科準備室、さらに第一理科室がある。ちなみにその奥は美術室だ。
だから、教室を出て一分もしないうちについてしまった。
理科準備室の扉はちょうど顔のくる位置にガラスが埋め込まれているが、なぜか黒い紙が張り付けられていて中が見えないようになっていた。おかげで中に人がいるかどうかもわからない。
確認のために、コンコンと扉をノックして中の様子をうかがう。
「—————はい、どうぞ入ってください」
少しだけレスポンスが遅かったが、返事が聞こえてしまった。いなければ、いなかったから帰ったという言い訳もできたのだが、いてしまった。
がっくりと肩を落としながら、言われた通り扉を開いて理科準備室の中に足を踏み入れた。
理科準備室の中は、妙に薄暗かった。校舎の構造上、入って正面には窓があるのだが、その窓が真っ黒なカーテンで閉め切られてしまっているからだろう。ぎりぎり隙間から入ってくる光で物の位置などは把握できるが、この明るさは人間が生活できる限界ぎりぎりの明るさだろう。
そんな部屋の片隅、いろんなものが押し込まれた棚に追いやられるように設置された机に俺を呼び出した張本人、理科の教科担任である氷室先生は座っていた。
「ちゃんと来てくれましたね。……まずはそこの椅子にでも座ってください」
年季の入った椅子をギシギシ言わせながら、穏やかな物腰で先生は俺に椅子を差し出して、座るように促した。
こんなところで変に反発してもしょうがないので、指示に従いカバンを足元に置いて座った。
「初めに言っておきますが、私は今回の件を問題にする気はありません」
開口一番、先生はそう確かに口にした。てっきり説教を食らうと思っていた俺は思いきり拍子抜けしてしまったのだが、同時にならなんで呼ばれたのかという疑問も沸き上がってきた。
「なら、なんでと思ってますね。君がまじめな生徒なのは知っていますから、放置してもよかったんですが、個人的に君のあのマジックに興味がありましてね。そんなこと生徒の前では言えないので、こうやって呼ばせてもらったわけです」
俺の心を読んだみたいに、質問を先取りして先生は答えた。
怒られないのなら、それはそれでいいのだが、もう一回見せろと言われるといい気分はしなかった。別に出し惜しみしているわけじゃないが、こういう風に見世物にされるとそれはそれで気分がよくない。
「問題にはしないんですね」
「ええ」
「このことをほかの先生にも言わないのなら」
「はい、そんなことしたら問題になってしまいますからね」
「……わかりました」
これ以上面倒ごとが増えないのなら、気分の悪さがあっても断るべきではないだろう。気持ち悪さを飲み込んで先生の要求を受け入れた。
「ありがとうございます。別にマジックのタネがどうこう言うつもりはないので、もう一度だけみせてください」
「一度でいいなら、早く帰りたいのですぐにやりますね。……これでいいですか」
指先に炎を灯すと、部屋の中がその分だけ明るくなった。
先生はまっすぐに俺の指先の炎を見ている。まるで新しいおもちゃを見つけた子供みたいに無邪気な表情で、まっすぐ真剣に。
そのまま数秒、炎を見つめると
「もういいです。ありがとうございました。私の要件は以上ですので、帰ってもらって大丈夫ですよ」
「これでほんとにいいんですか?」
「はい、見せてもらったので問題にすることもしません」
さっきまで浮かべていた無邪気さは消え、温和な表情に戻っている。それが妙に怖くて、再度確認をしてしまった。けど、返答は変わらない。その言葉に嘘はない気がする。この人は本当にもう一度アレが見たくて俺を呼び出したのかもしれない。それを聞いたところで同じ答えが返ってくるだけだろうが。
「ならいいです。じゃあこれで帰りますね」
「はい、気をつけて帰ってください」
先ほどまでと同じ温和な表情を浮かべて、俺に別れを告げた。
————ぶるっ
理科準備室を出た瞬間に体が急に震えた。誰かに見られているような、そんな寒気がしたからだ。けど、放課後の校舎は部活もないので人は少なく、誰の視線かはわからなかったその感覚から逃げるために、玄関の方へ急いだが学校を出るまで背中を走る寒気は消えることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます