ハプニング

『で、何でいるんだよ!?』

「わたくしに聞いても知りませんわ」


 文字通り心の中で純が叫び、グレイシーは声を押し殺して答えた。


「……ん? 何か言った?」


 にこやかに振り向いたのは、先ほど別れたはずのひとみだった。ここは、通学路。学校はまだ六時間目の最中のはずである。いつものように課題を終えて、純は帰路の途中だった。

 そこになぜか、ひとみが追いついてきたのだ。


「あなたなぜ……、なんでいるんだよ。まだ授業中だろう?」


 びっくりしてそのまま喋りそうになり、グレーシーは慌てて口を押えた。けれど、ひとみは微妙な言葉遣いには気が付かず、前方を歩きつつ、くるっとスカートを翻してこちらを振り向いた。


「えへへ、サボっちゃった。だって、こうでもしないと会ってくれないじゃない」


 純が慌てて『前を見て歩け!』と口走ったが、当然ひとみには聞こえない。


「……っわ!? 痛ぁ、ごめんなさ……」


 案の定、何かにぶつかってヨロけたひとみを、グレイシーは慌てて走り寄ってその身体を支えた。ひとみは咄嗟に謝ったが、ぶつかったモノの正体を見て、思わず息を呑んだ。

 それこそ電柱だった、とかなら笑い話だが、十字路の陰から現れたのは二人組の少年だった。ぶつかったのも、ひとみの不注意というより、相手がわざと身体をぶつけてきたのである。


「いってーな、どこ見て歩いてるんだよ……て、あれぇ? ひとみちゃんじゃん」


 わざとらしく肩を押さえた男は、今気が付いた、とばかりにそう言った。どう見ても、知っていてわざと絡んできた感じである。


「優等生の女の子が、こんな時間に彼氏とデエト? あれあれ、お兄ちゃんにチクっちゃおうかな」


 見覚えがあると思ったら、雄二の金魚のフンの三人のうちの二人である。ひとみのことを知っているようだから、間違いないだろう。


「って、よく見たらぐずのブタじゃねーか。おいおい、どんな趣味だよ。なあ、俺が代わりに遊んでやるよ、楽しいところ行こうぜ」


 なんという、定石。完全にクズのセリフである。思わず呆れて、純は、グレイシーともども唖然とした。

 待ち伏せしていたのか、単にサボりの最中に出くわしたのかはわからない。ただ、偶然見かけたにしろ、わざわざ絡んできたのは前回のことを、恥をかかされたと逆恨みしているからだろう。

 

「何睨んでるんだよ、ブタのくせに。この間はたまたまうまくかわされたが、どう見てもケンカ慣れしてるやつの動きじゃなかったからな。今回もうまく逃げられると思わないこった」


 ――あら、正解ですわ。あれは飽くまで護身術、相手が襲ってきた時の対処法。普通にケンカなんて、わたくしにできるはずもございませんわ。ついでに申し上げれば、最後の構えもはったりですもの。


『こらこら! なにを冷静に……』


 純は慌てたが、相手の少年たちはちょっと及び腰になっている。グレイシーが何も言わずに、にやり、と笑ったからである。もちろん、それは普通に「困りましたわ」という苦笑だったのだけど。

 純の身体は確かに大きいが、長年の引きこもりで筋肉ではなく贅肉が付きまくっている。グレイシーの身軽さや、柔軟性などは、この身体では当然ながら生かしきれないのだ。

 よって、ひとみを抱えてダッシュで逃げる、という選択は難しかった。


「……おい、コレ」

「サンキュ、用意しておいて正解だぜ」


 金魚のフンの、更にフンが、先ほどから喚き散らしていた少年に、鉄パイプのようなものを渡した。


「まあ、レディ相手に武器ですの? 本当に卑怯な男たちですわね」

「……純?」


 ちょっとした緊張状態のなか、グレイシーは周りに気を遣う配慮に欠けていた。小さく呟いた言葉だったが、身体を密着させた状態のひとみは、不思議そうに頭一つ上にある純を見上げた。


 ――困まりましたわ。わたくし一人なら、何とでもなりそうですが、ひとみ様がいらっしゃっては身動きがとれませんわ。


「ひ、ひとみ。ここは、俺に任せて逃げるんだ」


 それは自身が動きやすくなるためであり、決して自己犠牲のセリフではない。けれど、盛大に勘違いしたひとみは納得するはずもなく、首を振った。


「えっ、そんなこと出来ない! 警察、警察呼ぶから、待って……きゃっ!」


 その瞬間、地面に鉄パイプがめり込んだ。

 襲い掛かってきた少年を避けるために、グレイシーが咄嗟にひとみを引き寄せて横に避けたのだ。その衝撃でスマホが弾き飛ばされた。


『あっぶねえ! こいつら何考えてるんだ。こんなん、障害、いや殺人未遂じゃねえか』


 怒った純は思わず相手に怒鳴ったが、もちろんグレイシーがうるさい思いをするだけだった。そして、グレイシーも今は構っている余裕はない。


「やっぱり、近づかなけりゃ反撃できねえみたいだな」


 冷静に思い返す時間があったからか、少年はそう確信して、鉄パイプを持った腕を振り上げた。


「心配するな、この間のお礼をするだけだからよ。ちょっと痛めつけるだけだから……大人しくやられなっ!」


 勢いをつけて思いっきり振り下ろし、続いて体重を乗せるように身体をひねって横に薙いだ。

 グレイシーはなんとか一撃目を避け、その次も避けたつもりだったが、純の身体の横幅が計算不足だった。制服の袖が、パイプの端に引っかかって、そのままひとみもろとも激しく引き倒された。

 双方の力の反発で、鉄パイプは少年の手を離れてくるくると宙を舞い、近くの家の窓を盛大に割った。

 

「……ひとみっ」


 どっちの声だったのか、ともかく倒れる瞬間にひとみを引き寄せ庇うので精一杯だった。両手が塞がれた状態で、眼前に固いアスファルトが迫り、反射的にギュッと目をつぶってしまった。

 グレイシーが覚えているのはそこまでだった。

 純の身体が地面と接触する瞬間、地面がフラッシュのように一瞬だけ赤く光ったが、それは誰の目にも止まることなかったのである。

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