お風呂!
「なによ、もういいの? そうだ、あんた私のデータいじってないでしょうね」
「みた、だけだから。開けてない……」
姉である恵美の部屋をノックすると、先ほどまで借りていたゲームを差し出した。一通り文句を言われたものの、不思議とグレイシーは嫌な感じを受けなかった。
常に攻撃的で興味本位な視線にさらされ続けてきた彼女にとって、ただの反抗期の少女の、家族に対するケンカ腰のセリフなど可愛いものである。
ちなみにたどたどしいながらもなんとか普通に話せているのは、さんざん純によって言葉遣いを直されたグレイシーの努力のたまものである。
「それにしても、あんた臭いわよ。いい加減、お風呂に入りなさいよ! たとえ学校に行ってなくても、一緒に暮らしてる私達が迷惑なんだからね!」
ゲームのパッケージをふんだくるように取り上げた恵美は、弟を押しのけるようにして顔をしかめ、相手が何か言うよりも早く扉を閉めた。
「……わたくしも、そう思いますわ」
鼻先で乱暴に閉められた扉を前に、グレイシーがぽつりとつぶやいた。
「臭いですって? そんなこと、わたくしが一番知ってますわ。近づくだけで臭いんですもの、わたくしがどんなに我慢してるかわかってますの?」
『お、おい、こら! 言葉遣い……』
誰もいないとはいえ、それほど広い家でもない。騒げば母親が飛んでこないとも限らないし、なにより扉の向こうの姉が、変な言葉遣いで騒ぐ弟を訝しんで出てくるかもしれない。
「やかましい……ですわ。いいですこと? わたくしの要求もそれなりに聞き入れてくださらないなら、好きにさせていだだきましてよ」
『わ、わかったよ。風呂にくらい入るよ。ったく、風呂なんざ、数日入らなくても死にゃしないのに、お前も姉貴もうるさいったらねえ』
純に案内してもらったグレイシーは、言われたとおり風呂に入る旨を母親に伝え、引き戸を開いた。
「……え?」
「え? ってなんだよ。風呂にはいるんだろ?』
家の中も狭いが、この空間は特に狭い。この真ん丸の身体が一つ入ったら、脱衣所と説明されたスペースは身動き一つとれない。
「これでは、他に誰も入れませんわ」
『誰が入ってくるんだよ? 訳の分からないこと言ってないで、早く服を脱いで浴槽行けよ』
そう言われてもグレイシーは戸惑うばかりだ。なぜなら、グレイシーは一人で入浴したことがない。脱衣から入浴、洗髪に、入浴後のケアまで、なにからなにまで召使いが勝手にやってくれるからだ。
「わたくし、一人でお風呂に入ったことがありませんわ……」
『はあっ!? なんだよそれ、それでよく風呂に入ろうなんて言ったもんだな』
これまで何をどうやっても二人の主導権が入れ替わることがなかったため、何とかしてグレイシーが自ら風呂に入るしかないのだ。しかも、よくよく考えてみれば、純は男である。これまで意識してなかったが、途端にグレイシーはどうしたらいいかわからなくなった。
『何をいまさらなことを言ってんだ。トイレだって何度も行ってるだろうが』
「あれは、あれですわ。こちらの便利なトイレは、座っていれば何とかなるんですもの」
『ああー、もういい。ともかく脱げよ。俺の服なんざ、Tシャツにハーフパンツだ、ボタンもなければ難しいことはなんもねえよ』
純とて抵抗がないわけではない、それでもトイレと同じ、ともかく頭からシャワーの一つも浴びれば満足するだろうと、さっさと済ませたい思いの方が強かった。
「あら……」
グレイシーは四苦八苦しながら服を脱ぎ、ふと鏡をみて声を上げた。
『こら、まじまじ見るんじゃねえ! さっさと浴室に……』
「……なによ、まるで養オークじゃないの」
『え、オークって、あのファンタジー漫画に出てくる、豚のこ……と』
「聞いてくださいまし! わたくし、叔父の養オーク場に出荷準備のお手伝いに行ったことがありますのよ」
『は? え? なにを……』
グレイシーは公爵令嬢でもあり、正真正銘のお金持ちのお嬢様ではあるが、二代にわたって謂われなき蔑みを受けながらも、先々代から並々ならぬ努力によって築き上げた商人としての一面も持ち合わせている。
そして、魔境に跋扈する魔物のうちから、とくに美食に足りうるものを独自の技術で養殖し、自ら開拓した街道をつかって流通させたのが、事業成功の始まりとされている。
ということで、現在はすでに公爵家が直接行っているわけでない養オーク業だが、公爵家の子弟は、偉大な先々代を教訓にするため、数年に一度、数か月のあいだ自ら農場を手伝いに行くのである。
よって、自分のことは何も出来ないグレイシーだったが、ことオークの世話ならお手の物なのである。
「そうとわかれば! ですわ」
これはただの殿方ではない。お世話すべきオーク、すなわちお金なのだ。少しでも高く、いい値段で引き取ってもらうために、きちんと手入れをすべきお肉様なのだ、と。
そこからは早かった。なんの頓着もなく下着まで脱ぎ去ると、洗濯籠に放り込み、身体を洗うものだと教えてもらったスポンジを握った。
『え、えっ、わっ、そこはヤバ……うわああ! やめろ――! やめ……』
最後は絹を引き裂く様な悲鳴に変わったが、グレイシーは一切構わずに、最初に教えられた手順通り、容赦なく身体をまんべんなく洗うと、そのまま髪を洗って、顔を洗い、綺麗にドライヤーまで滞りなく完璧に済ませたのだった。
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