純
彼の名は、太田 純。
この丸々した身体の持ち主とのことだ。もちろんこれは、先ほどから聞こえる「声」の言い分に他ならない。
グレイシーは、現在においてもまだ大混乱の中にいた。頭に響く声が妙に落ち着いているのが、腹立たしくて仕方がない。
「わたくしの身体はどうなってしまったの? このたぷたぷしたお肉はどうなってますの!」
『肉のことはどうでもいいだろう。それよりもお前は誰だ?』
そういえば相手に名乗らせておいて、自分がまだ名乗っていなかったことに気が付いて、グレイシーは背筋をただして鏡に向かってお辞儀をした。
「失礼しましたわ。わたくし、グレイシー・ヴァン・ウォルフガングと申し……まっ、きゃっ、わ!」
片足を後ろに引いてスカートを持ち上げるしぐさをしようとして、途端にバランスを崩して転びそうになった。慌ててベットの端を掴んだが、今度はそのベッドが持ち上がって、端からみたらコントのような騒ぎになった。
体重過多に加えて、体幹も貧弱な身体は、ただのお嬢様ポーズにも耐えられなかったらしい。
「な、なんですの、このぐらぐらした身体は……」
彼女は貴族として、お妃候補として、完璧なウォーキングに、美しい所作に挨拶、長い時間同じ姿勢で立ち続ける、それらを優雅に熟せるだけの体幹を、数年にわたってみっちり仕込まれてきた。
そのグレイシーからすると、ぷよぷよお肉よりなにより、この歪み切った身体の方が受け入れ難かった。
『グレイシー……、グレイシーだと? その名前どこかで』
そんなグレイシーをよそに、純と名乗った声の主は、どこか驚いたようにその名前を繰り返した。
「えっ、あなた、わたくしのことをご存じですの?」
思わずグレイシーは相手の胸倉に掴みかからんばかりに、自らを映す鏡に手をついた。
しかし、期待のこもったグレイシーの問いかけとは裏腹に、返ってきた返事はさっぱり要領を得なかった。
『……正確にはあんたを知ってるわけじゃない』
きょとんとするグレイシーに、頭の中の人物はこれまで聞いたこともないような深い深いため息を漏らした。
『これは……いや、どうかな。俺にとっては、自分の精神の方を疑いたくなる事案だからな』
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