天底、奈落、上昇、蹂躙

「奈落は初めてか?」


 虚空に響く男の声。


 しかし周囲に男などいない。

 目の前には小さな光。

 微かにぼやけた光球が宙に浮いていた。


 いや待て、奈落?

 ここは奈落だというのか?


「冗談だ。奈落というには絶望が無さすぎる。大丈夫だ、安心しろ」

 光球がさっきと同じ男の声でなだめる。

 声の主はこの球だったのか。


 しかし「安心しろ」と軽く言われても得体の知れない球体がただ浮かんでいるだけのこの空間には戸惑うしか無い。


「ここは、俺の結界の中。まあ、魔力を軽く貼っただけの物だがな」

「けっ、かい…」

 思い出した。

「ミステリーサークル……」

 身体が勝手に赴いたミステリーサークル。

 そこにいた黄金の鎧を着た蒼い狼。


『我、雷霆の狼神ラルタルの聖域に踏み入れた事を今一度後悔せい』


 あの野原で出会った蒼い狼の言葉を思い出す。

 神……という事はラルタルと言ったあの狼とも関係があるのだろうか。


「ラルタルは俺の監視だろうな。あれでもれっきとした神だ。ただヤツとしては山の番を任されているだけだと思っているだろうが」


 なるほど……つまりあの狼は敵……って……


「“おい。何故思った事がバレてる”だろ?俺が異常な存在であると証明するにはこういうのがもってこいなんだ。ほら、見てくれ。俺は今やただの球だ」


光の球が喋っているだけで異常である。

一星は疑いの眼差しのまま、光球を見つめた。


「……テレパシーが使えるだけだ。それだけじゃ、なんの証明にもならない」


「いやいや、ただの超能力者がこんな球体になって話す事なんかないだろ?他に証明する事があるとしたら、そこに火をつけても良いがどうせ手品とか言うだろ?ならこっちの方がマシだ」


 ……考えてみればそれもそうだ。

 ってそんな事を聞いてる時じゃない。

 一星は、1番に重要な質問を光球に向けた。


「……お前は、誰だ?」


 その問いに光球は、己の身体——それが身体というかは置いといて——を一層輝かせて答える。

「俺は、神域の王であり、曙を迎える者であり、一つの区切りであり、最大の幸福をもたらす者。名はイグニス・イフリトゥス・エン・カラミティ。【太陽神】イグニスだ」


「太陽神、イグニス……」

 彼女はその光に呆然としていた。


「まぁ、今は力も信仰も全て失った存在なんでな。そこまでの期待は保証出来ん」


 胡散臭い。ただの光球が喋ってるという時点で怪しいのにそれが太陽神はインチキにも程がある。

「そうだな。それならただの魔術師とでもいえば良かったか?」

 それはそれでよく分からない。


「まあ、無駄話はここまでにして本題に入ろう」

 光球——イグニスは静かに厳かな声色を放つ。

「お前の記憶からして既にラルタルと出会ってるようだから話は早い」


 そう言ってイグニスは己の前面に小さな円形魔法陣を展開する。


「俺の——器となるんだ」


 ふざけるな。


 彼からその言葉が出てきた時、頭の中に真っ先に浮かんだ五文字の言葉。

 だが、それよりも先に口に出たのは疑問だった。

「…器になればいいのか?」

 

「そうだ」

 その言葉に光の球は爛々とその身を輝かせながら答える。

「お前の中でお前を操り、俺が戦う。お前は俺に身体を委ねれば良い」


 迫られたものは決断とは名ばかりの誘惑。

 この時、一星はこの自称太陽神の恐ろしさを知らない。

 だからこそ彼の要求も容易く受け入れた。


 それが彼女のただでさえ荒んだ平穏を掻き乱す程のものになる事を知らずに。


 「歪みが…見える」


 蒼き狼ラルタルは不穏な空気をミステリーサークルと呼ばれた聖域サンクチュアリで感じていた。

「世界を変える“何か”が……現れたとでも言うのか」


 ジリ、と己の体毛が焼ける感触を味わう。

「やあ」

 狼が咄嗟に振り向くとそこには、崖から落ちていったはずの少女がいた。


「ラルタルと言ったか、先ほどはどうも」

「貴様は……先の小娘じゃないな」

「チッ……すぐに分かっちまうとはな」

「当然だ……その身に纏う神気。尋常じゃないほどに染み出している」

「なるほどね。って事は次に俺がやる事も分かってる訳か」


 少女は、ゆらりと右手を前に向ける。


「制限解除、灼雨フランメルゲン

 聖域に降り注ぐ炎がラルタルを襲う。


「制限解除、刃雷環輪ギリオン

 咄嗟にラルタルは背負った黄金剣に雷を纏わせ、炎の雨を振り払う。


「ギリオン……【雷霆神】の指輪を剣にしたものか。道理で炎をかき消せるものよ」


「だが、その程度の聖剣なら

 ピタリと二本の指で聖剣ギリオンの剣先を挟むと、黄金剣の高速回転を止めた。

「何だと……?」

「【雷霆神】は、今や天を統べる神とはなったが……俺には遠く及ばん」


 止めた剣を指で投げつける。

 蒼狼に襲いかかる黄金剣は彼が行なった詠唱と同等の威力で地面を抉りながら突き進んでいた。


「俺は、炎と剣の古神イグニス。お前らよりも遥か昔に生まれた黎明の担い手」


「……


 己の危険を感じたラルタルは迫る黄金剣を回避し、自身の背の上に新たな魔法陣を展開する。


「制限解除、雷舞戟リデア

 現れたのは斧と槍がついた黄金のハルバード。

 ギリオンと同じくこちらも雷を纏っている。


「なるほど、剣ではなく戟で来た……」


 こりゃまた厄介だと言う前に、既に黄金の戟は彼女の眼前に振られていた。


「長物……ってのは本当に卑怯だ。リーチが長い上に威力もしっかりある。槍の王はとてつもない存在だった。彼の王の槍を一つ受け止めるだけでも命を掛けるものだった」


(なんだ、コイツは……)

 雷を駆使して戟を操る蒼狼ラルタル。

 その戦いの上で彼は違和感を覚えていた。

(行動に殺意がない。避けるだけで何もしていない……だと?)

 

 雷纏う戟を避けるその表情は余裕しかない。

 なぜ、こうも涼しい顔をしているのか。


 完全に、舐められている。


 そう捉えたラルタルは激しい苛立ちを覚えていた。


「しかし、こうも黄金ばかりだとさすがに飽きる」

 そう言って、少女は指を鳴らす、

拡張エキスパンション玖琰帝珱イグニス


九つの炎球が、少女の背後に浮かぶ。


「炎が浮かんだとて、我に勝つ算段があると思ってあるのか!!」

戟が、雷撃を乗せて叢の上を奔る。


 しかし、少女は冷静にその戟の穂先を見つめていた。

 そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「当たり前だろうがよ」


 少女は手にした黄金剣ギリオンで戟を弾くと背後に浮かぶ炎の一つを左の腕にする。

 そして、手に持ったギリオンを前方に投げると同時に炎を纏った拳を剣に向けて放つ。


「一の炎、灼」

大砲のごとく重い衝撃と共に、剣が一縷の閃光となって戟に衝突する。


「なっ……!?相殺しただと!?」

 激突した二つの黄金は、爆散ではなく互いに交わりあっていた。

 交わって、一つの金塊が地面へと落ちる。


 驚愕するラルタル。

 しかし、それだけではなかった。


 眼前に少女が飛び込んでいたのだ。

 少女の左腕には既に炎が再装填されている。

 ラルタルの武器はギリオンとイデアのみ。

 

 その両方が既に無い。

 だから、応戦も何もできなかった。


「二の炎、爆」

 回避不能の1インチパンチ。

 ラルタルの腹に炎を纏った拳が殴り込まれる。そして、パンチと共に炎が零距離で爆ぜる。


 空高く吹き飛ばされるラルタル。

 しかし、少女の左腕に炎が装填されている。


「トドメだ」

 遥か上空、落ちていく蒼狼に照準を向けて拳を溜める。

「惨の炎、焔」

 勢いよく拳を振りかぶる——寸前で少女は停止した。


 ラルタルは力なく地面へと墜落する。

 黄金の鎧も雷霆神の加護なのか、ラルタルが弾ける事はなかった。


「……どういうつもりだ?カズホ」

左腕を抑えている右の腕。


「だ、ダメ、だ……殺したら……オレがオレじゃいられない……」

 そう言って右腕がだらりと下がる。


「……まあ、宿主がそう言うなら仕方ない」

 

 古き炎神は、ため息をついて青空を見上げる。

 「新しき、何か……それはおそらく神を斃す原初。我らを駆逐する為に生まれた敵……」


 青いはずの空が微かに震える。

 まるで、星がこの東京という地に降りた異変に震えてるかのように

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る