古き神の戯れ

 荒川区


 小さなマンションの一部屋。

『おはようございます。今日は一週間の終わり、金曜日です』

 タンスの上に置かれたデバイスから流れてくる自動音声。

 あくびを一つしながら小さな身体が起き上がる。


「ふわぁ……おはよう、ロロ」


 タンスの上のAIデバイス“LORO《ロロ》”に応える。

 両親が蒸発した今、このデバイスが親代わりになってくれている。


 眠い目をこするとぼやけた視界が少しだけ鮮明になった。

 気怠げにコップの中に水を入れ、口を濯いで、吐く。

 雲群くむら一星かずほ

 ただの16歳の少女。


 この世界の片隅で平凡に暮らすただの人間だ。

 机の上に置かれた食パンを咥えながら、冷蔵庫の中から牛乳を取り出す。

 パンをむぐむぐ咀嚼しながら、テレビをつけて朝のニュースをのんびり見る。

 コレが彼女の朝のルーティン。


『今日のニュースは“荒川河川敷の麓にミステリーサークル”です。』

「……ここの近くか」

 一人ごちながら牛乳を飲む。

 まろやかな甘みが口の中の咀嚼物を胃の中へと流し込む。


 テレビの画面に映っていたのは細部まで描かれた幾何学模様。

 紛れもなくミステリーサークル。

 河川敷に描かれたそれは、“雷”の形をしていた。

 円陣の中に雷の絵。


「どうでもいい」

 そう言ってテレビのリモコンを手に取りチャンネルを変える。


 しかし、どこもそのミステリーサークルの話題で持ちきりになっていたので、仕方なく電源を切る。


 ミステリーサークル?バカみたい。どうせ何者かのイタズラだ。そうでなくともそんなオカルティックな話題でバカみたいに騒ぐ事じゃない。


 ふと、胸から何かが込み上げてくる。

 広がっていく不快感にたまらずひとつ咳をすると、唾液に混じった血の味が口に広がる。

 喉に引っかかった硬いものを喉からずろりと取り出す。白く細い指に掴まれたのは血と唾液に塗れた銀色の塊。

「クソ……」


 べっとりと掌についた赤色とその中にある物体を睨む。

 またコレだ。

 原因は分かっている。

 鉄吐き病。

 口から吐いた鉄塊がまるで弾丸のように見えたから弾丸病とも呼ばれる。

 血液の鉄分が異常蓄積した事による結晶が喉から現れるという、なんとも奇妙な病だ。


 血と共に吐き出される鉄の塊は喉や口の中を傷つけ回ってそして、口の外へと出されていく。

 その痛みはとても計り知れない。


 その弾丸を怨みのこもった視線で睨みながらテレビ台の上に置かれたブリキのケースを開ける。

 中には今まで溜め込んだ鉄の弾がびっしりと詰められていた。

 その一つ一つが綺麗に磨かれた6ミリの鉄球。


 この鉄の塊は、怨念だ。

 全てを殺す為の、全てを壊す為の、始まりの種。

 何の為に?

 それは勿論——爛々とした視線に入ったのは机の上に無造作に置かれた拳銃。

 当然、実銃ではなくエアガン。

 だがそれでも武器としては十分。


 


 少女は、歪んだ笑みを浮かべて外に出る準備をする。

 


 彼女のはここで途絶える。



 河川敷には半径200メートルほど、何故か雑草の生えない空間が存在していた。


 ただ、そこには予想通り何か重いモノに轢き壊された土の轍が存在した。

 緩やかなカーブや鋭角のような軌道が描かれている。

 おそらく、コレがミステリーサークル。


 そして辿り着いて、やっと一星は異変に気づいた。

「…なんで、オレはここに?」


 明確な意図を持ってここへと来た訳ではなく。

 身体が勝手に動いてしまっていた。


 一人で困惑する中、拳銃を握りしめている。

 オモチャであろうとも、その手の中に伝わる硬い感触に安心感はあった。


 生温い風が、一星の肌を舐める。

 何か重苦しい圧がこの草原にのしかかっていた。


「……人間が、何故ここに現れた」

 その威圧の正体は、瞬く間に彼女の目の前に躍り出た。

「この我を……知らずして、傷の聖域に足を踏み入れたというのか」


 誰だ、という言葉をも封じる重圧が一星の体に纏わりついている。

 目の前に現れたのは黄金の鎧を纏った蒼い狼だった。

 背中には、鎧と同じ黄金の剣を背負っていた。


「我、雷霆の狼神ラルタルの聖域に踏み入れた事を今、後悔せい」


 狼が、喋っている。

 それだけでも驚くべきなのに、思考が追いつかなかった。


 傷?聖域?神?

 このミステリーサークルは、この河川敷は神聖な領域だった?

 その仮定がそうだとして、じゃあ今ここにいるこの狼はなんだ。

 

 神と名乗っていたが、こんな神は知らない。


 頭が回らない。目の前の狼による威圧プレッシャーが思考を巡らせる事を止めている。


 ただ、一つだけはっきりと理解できる。

 この空間の何もかもが、幻想に満ちている。

 神話の片鱗を見ているような感覚に一星は立ちすくんでいた。


「制限解除、刃雷環輪ギリオン

 狼の背負った剣が雷を纏い、浮かぶ。

 ゾクリと背筋から悪寒が滑り落ちる。


 黄金の剣は蒼狼の上で高速に回転しながら金色のさながら白昼の満月かのような円環を作り出した。


 まずい。

 咄嗟に拳銃を向ける。


「そのオモチャで、我を撃ち抜けると思うか」

 分かっている。

 コレがただのエアガンでしかないと。

 目の前にいる存在には擦り傷の一つにもならない。

(それでも……それでも……!!)


 一星は銃口を蒼狼に向けている。

 銃を持つ手が震えて照準がブレてしまっている。

(それでも……オレは!!!!)

 ここで引き金を引かなければ、何も成し遂げられない。そんな気がした。

 身体に力を入れて手の震えを全力で抑える。


 どんな結果になろうとも、今撃つ事に躊躇してはならないと。

 引き金を指で引く。

 火を噴く事はないが鉄の球が高速で狼の身体を掠る。

 撃て,撃て。

 それでも弾は狼に掠るだけ。


「それだけか、それだけで我を殺せると思ったのか」

 狼は冷静に獲物を狙うかのように一星を見ていた。

「舐められたものを」

 咆哮。そして、黄金の円環ギリオンが放たれる。


 金色の車輪はミステリーサークルの描かれた草原を抉りながら一星へと襲いかかってくる。

(死……)

 迫る円環に後退る。

 しかし、彼女の背後に足場は無かった。


「え?」

 一星が振り返るとそこには奈落が広がっている。

 いつの間にか、身体がふわりと浮かんでいた。


 ゆっくりと落ちていく。静かに加速している。


 そして一星は闇の中へと消えていった。


「聖域外へと消えたか……」

 狼神ラルタルはギリオンを停止させ、黄金剣を彼の身体の上へと浮遊させる。

「しかし、あの人間は何者だったのだ……」

 彼は一陣の風に毛皮を吹かれながら、山からの景色を眺め始めた。


「何かが始まろうとしている。なにか、新たな神話が」

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