第34話 捕まえた


「君は、下駄箱から焼却炉に向かうと、焼却炉の横に手鏡を置き、すぐに自分から焼却炉の中に入った。だろう?」

「合ってるよー。やっぱり、焼却炉の中で鏡を見つけて、僕が犯人だって分かっちゃった?」

「うん、君だったら、鏡を仕掛けた後、鏡を通して焼却炉の中から抜け出すことが可能だと思ったんだ」


 ショウさんは躊躇いなく焼却炉の中に入ったのだろう。生前、焼却炉に入って死んでしまった彼がそんなことをする状況があるとすれば、それは自分以外の人間が焼却炉に先に入っている場合だ。

 相手がただ入っているだけなら別に焼却炉に入る必要はない。


 しかし、ショウさんの怪談としての力は、人に触れなければ使えない。

 人に触れることができれば、その人を燃やすことができる殺傷能力の高い力ではあるが、それも人に触れないと意味がない。

 身体が小さいミライくんは問題なく焼却炉の奥まで入ることができただろう。そして、ショウさんは、そんなミライくんが袋のネズミだと思って、焼却炉に入ったはずだ。


 しかし、彼の手が届く寸前でミライくんは焼却炉の奥に立てかけた鏡の中に入り、焼却炉横に置いた鏡から外に出て、そのまま焼却炉の扉を閉めた。

 扉を閉めて、留め具さえかけてしまえば、ショウさんが簡単に中から出てくることはない。きっとマッチなどは手鏡などを物色した時に一緒に手に入れていたのだろう。そのまま火起こしの準備をした。

 火起こしに足りないものがあったとしても彼は学校内の鏡を移動できるため、火起こしのための物を集めて持ってくることも簡単なはずだ。


「思った通り! お兄ちゃんは自分から焼却炉に入っちゃったから、僕はヘンゼルとグレーテルみたいにお兄ちゃんをやっつけたんだ!」

「それは……いったいどうして」

「だって、あの人、僕らのことを殺そうとしてたから」


 ミライくんは彼のことを守ろうとした俺に対しては裏切らないと言ってくれた。しかし、自分に危害を加えようとする相手には容赦をしないと決めていたのだろう。

 思えば、彼はコクリさんへの質問の時に、俺達は死んでいるのに殺すことができるのかと、殺意の高い質問をしていた。彼は元々人を殺すつもりだったのだ。

 ただ、俺が彼のことを庇ったから、俺のことを殺す気はなかっただけで。

 あの時、俺が彼のことを助けようとしなかったら、彼は俺も殺しの対象として数えていたのかもしれない。いや、その前にショウさんの攻撃に反応できずに死んでいた可能性が高い。


「他には?」

「他?」

「復讐とか」

「あー、復讐ね! もちろん、するつもりだよ。生き残ったら!」


 彼はあっけらかんと言った。

 鏡の中にいる彼はにこにこと笑った。


「今、僕の身体を使ってのうのうと生きてる奴に復讐するんだ。それで僕の身体に戻るの。だって、元々僕の身体だったんだから、あいつがいなくなったら、僕が自分の身体に戻るのは当然でしょ?」


 彼は鏡の中の人間と入れ替わり、今、元々彼が使っていた身体は鏡の中の人間が使っている。それから、長い年月、彼は鏡の中にいた。

 そんな長い時間が経っているのに、今さら彼が自分の身体に問題なく戻ることはできるのだろうか。

 確かに生きたい、元の身体に戻りたいと思うのは人間の生存本能としては間違っていない。しかし、彼が鏡の中の人間と入れ替わったのは、二十年前のことだ。

 成長した自分の身体とのギャップに彼が耐えられるのか、鏡の中で二十年を過ごしている間、学校に行って勉強をすることもなく、社会にもでなかった彼が、普通の生活になじむことはかなり難しいだろう。


「実はね、僕の身体を乗っ取った奴、今は医者をしてるの。しかも外科医だよ!」


 もし、彼がこのデスゲームで生き残り、彼が思い描いているシナリオ通り、自分の身体に戻ることができても、医者として働くのは無理だろう。

 彼には知識がない。


「僕ね、僕の身体を乗っ取った奴のこと全部壊してやりたいな。だって、元々僕のものだったんだから、僕じゃないあいつがしたことなんて許せないでしょ?」

「壊すって……」

「あいつが治した患者さん、全員殺して回るんだ」


 背筋に寒気が走った。

 二十年間、誰にも見られることなく、鏡の中で過ごしていた彼の精神が、まともなわけがなかった。

 ビオリちゃんでさえ、死んでからも自分のことをいじめた四人だけではなく、学校関係者全員への恨みが抑えられずにいる。

 死んだら元に戻らないのと同じように、人は一度怪談になってしまったら、きっと元に戻らないのだろう。


「俺は、ミライくんにそんなことしてほしくない」


 絞り出すように俺はそう言った。

 鏡の中で彼は目を丸くしていた。


「君にはもう人殺しをしてほしくないんだ」

「おじさんが僕を捕まえられることができたら、殺さないであげるって言ってるでしょ? 僕だって、運がよくないと生き残れないって分かってるから、死に物狂いで生き残ろうとはしてないよ」


 それに、と彼は俺を見て、目を細めた。


「ここに来るまで、ここ以外の学校の鏡、全部壊してきたでしょ」


 俺の手にはトンカチがあった。

 トイレには割れてはいるものの洗面台の鏡があった。しかし、その鏡を無視して、洗面台には手鏡があった。

 だから、俺は思ったのだ。

 もしかしたら、鏡が割れていたら、ミライくんはその鏡に入ることができないのではないかと。入れないのであれば、出られないのも同じだ。

 だから、ここに来るまで非常に長い時間がかかったが、それでもようやく見つけることができた学校内の鏡を全て割ってきた。

 この学校の職員と生徒達は朝が来て登校したら、校内の鏡という鏡が割られていて、困惑することだろう。それは申し訳ないが、俺にはこれくらいしか方法が思いつかなかった。


「もう大きな鏡はそれぐらいしか残ってないよ」

「うん、そうだね。でも、おじさん、これはかくれんぼじゃないよ。鬼ごっこだよ」

「ああ、知ってる」


 俺は鏡の中で余裕の笑みを浮かべている彼に向かって手を伸ばした。水面に手を突っ込んだ時のように鏡面に波紋が広がり、俺の手が鏡の中の彼の腕を掴んだ。まさか、俺が躊躇いもなく、彼の手を掴むと思っていなかったみたいで、彼はぎょっと目を丸くした。

 俺は彼がなにか行動を起こそうとする間もなく、その手を引いた。

 鏡の中にいた彼を引きずり出して、抱きとめる。


「捕まえた」


 すると、彼は丸くしていた目を細めて、俺の顔を見上げた。


「えへへ、捕まっちゃった」


 ミライくんと手を繋ぐと彼は満足そうな顔をして、嬉しそうに繋いだ手を前後に揺らしていた。


「おじさんが勝ったから、約束通り、殺さないであげる」


 少し言い方は物騒だが、彼がもう殺しをしないのであれば、それに越したことはない。ショウさんのことは正直かわいそうだとは思うが、先に仕掛けてきたのがあちらだとすると、死んでしまった彼を庇う気には到底なれなかった。


「あ、お姉ちゃん!」


 廊下の先にビオリちゃんのことを見つけたミライくんが俺の手を離して、彼女に駆け寄った。ビオリちゃんはミライくんと俺の姿を見て、ほっと胸をなでおろした。


「よかった。アナイさん、ちゃんとミライくんのことを見つけてくれたんですね」

「ああ、あとはタヌキさんのことを警戒しながら朝までねばるだけだよ」

「そうですか」


 ミライくんが駆け寄ると、ビオリちゃんは彼に目線を合わせて、かがんだ。


「あのね、お姉ちゃん。おじさんね、学校のほとんどの鏡を割ったんだよ! 思いっきりがすごかったの!」

「へぇ、そうなんですか」


 ミライくんが嬉しそうに俺との鬼ごっこの話をする。まるで三人で行動を始めた時の空気に戻ったみたいで、俺は安堵しながら二人に近づこうとした。


「うっ……」


 小さな呻き声が耳に届いて、すぐ足を止めた。


 ミライくんが両手でビオリちゃんの肩を突き飛ばすと、彼女は尻餅をついてしまう。しかし、反動でミライくんはその場にあおむけに倒れた。


 そんなミライくんの小さな腹に、包丁が深く刺さっていた。


「おじ、さん……にげて……」


 なにが起こっているのか、理解できなかった。


 俺とミライくんとビオリちゃんは今まで一緒に行動してきた。

 ビオリちゃんは人を傷つけたくないと言って、殺し合いへの不参加の意を示した。いじめてきた四人への復讐が足りない、学校関係者へも復讐したいと言いながら、彼女は自分は消滅すべきだと言った。

 だから、俺は彼女が心の奥底では人に危害を加えたくないと思っていた。

 そんな彼女がゆらりと立ち上がったかと思うと、倒れているミライくんの胸を左足で押さえつけて、腹に刺さった包丁をゆっくりと抜いた。


 俺は、ミライくんが叫び声をあげながら言った「逃げろ」という言葉に従って、二人に背を向けて、情けなく走った。

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