第38話 様付け


 俺はふらふらとした足取りで、書架スペースに戻った。


 固い地面に落ちた彼女の手足は変な方向に折れ曲がって、ぴくりとも動く気配がなかった。吐きそうなほどの気持ち悪さが腹の底をぐるぐるとしているのに、腹の中にはなにもないため吐くこともできない。

 死んでいる俺では、人間の時は当たり前だった反応ができない。

 息だけを浅く早く繰り返して、俺は本棚を背に座り込むと床に放っていたブランケットを抱き寄せた。


「あれは……ビオリちゃんだった……」


 間違いない。

 紺色のブレザーの制服も、肩甲骨までの黒い髪も、彼女のものだった。近くで見なくても分かる。


 俺が見たビオリちゃんの死に際の記憶が正しいのであれば、ビオリちゃんが亡くなったのは、俺とミライくんがこの図書室にいた時のことだ。

 そして、何食わぬ顔でこの教室に戻ってきたビオリちゃんは、本物のビオリちゃんではない。


 そういえば、あの時戻ってきたビオリちゃんは、俺達の中では当たり前になっていた二回ノックという決まり事を守っていないように感じた。

 あの時、俺はぼーっとしていたから、彼女がノックをしたかどうか分からなかったが、ノックをされたらさすがに気を取り直していたと思う。

 そもそも、ビオリちゃんが飛び降りて、落下している時に目が合ったのに、どうして俺は「ぼーっとしている」ことができたのだろうか。

 普通は喚いて、図書室から飛び出して、ビオリちゃんの死体を確認しに行くだろう。しかし、俺はそれをしなかった。明らかに異常としか思えない。

 それこそ、怪談らしい気味の悪さが脳みそにまとわりついているようだった。


「ビオリちゃんが死んでいるとするなら……ジゲンさんがショウさんに殺されて、ショウさんがミライくんに殺されて、ビオリちゃんが飛び降り自殺して、あの偽物のビオリちゃんにミライくんが殺されて……」


 四人死んでいる。

 デスゲームに参加しているのは六人。

 残りは二人。

 俺とタヌキさんだけだ。


 ブランケットを頭から被ると、懐中電灯で照らして「タヌキ」と表紙に太いマジックペンで書かれたノートを手にした。


 彼女の本名は「社珠樹」。享年二十六歳。彼女が死んだのは二十年前。この市内の薬品会社に勤めていたが、同僚との不和が原因で薬品を顔にかけられ、あのような顔になったらしい。

 その後、同棲していた彼氏に化け物呼ばわりされ、一緒に暮らしていたマンションを追い出され、職場でも周囲をかき乱したとして、被害者にも関わらずに上司から冷たい目を向けられた。


 そんな彼女は、亡くなる前、短期間に五回もの整形を繰り返していた。

 その整形手術は薬品により爛れてしまった顔以外にも施された。彼女は整形手術のために自分に薬品をかけた元同僚を訴えて多額のお金を要求し、整形費用をその人に請求した。

 とんでもない額を請求された元同僚は、自分にお金を請求してくる奴さえいなければ、お金は払わなくていいと思い、彼女のことを雨の日に歩道橋の上から突き落とした。

 それは午前二時。

 丑三つ時と呼ばれている時間のことだった。

 生前の彼女は被害者だ。

 元同僚にひどい怪我を負わされたのにも関わらず、同棲していた彼氏に見捨てられて、職場の人間からも見捨てられて、爛れた顔をどうにかしようと整形手術のためにお金を用意しようと思い、加害者にお金を請求したら、殺された。

 そんな彼女がどのような怪談になったのか。


「魂…抜き、様……これでタマヌキ様って読むのか」


 彼女についての怪談が書かれているページの見出しには大きな文字で「魂抜き様」と書かれていた。


 デスゲームに正式に参加している俺や他の怪談が「異次元のお地蔵さん」「焼却地獄さん」「四時四十四分の飛び降りさん」「入れ替わりの鏡」「死の案内人さん」と並んでいる中の「魂抜き様」。

 一人だけ「様付け」をされている異質さ。

 俺は怪談の内容へと視線を映した。


『この市内では丑三つ時に一人で出歩いちゃいけない。

 ましてや怪我をしたり、死にかけたり、死んだりしたら、魂抜き様にあなたの人生の全てを奪われるから。

 魂抜き様は、死にかけの人の魂をその身体から抜いて、食べて、その人の姿を真似して日常に溶け込む。真似をされた人は死んでるのに気づかれないこともあるみたい。

 魂抜き様に身体を真似された死体は、みんな口に葉っぱをくわえてさせられているんだって。

 まるでタヌキが変化する時に葉っぱを口に加えているみたいにね。』


 その怪談は、どこかで語られているものをそのままこのノートに写したのだろう。

 俺がこの小学校の裏手の山にいたり、ビオリちゃんが学校の屋上から飛び降りたり、ショウさんが焼却炉に場所が限定されているのと違い、彼女はこの市内だったらどこにでも現れる。

 きっとジゲンさんもこの市内ならどこにでも現れたのだろう。


 しかも、彼女は「様付け」をされている。怪談が「様」とつけられて、崇められるようになってしまったら、それは神に近いものになってしまうだろう。


 ノートのページを捲る。


 彼女の怪談の名前は元々「魂抜きさん」だったが、ここ一年で「魂抜き様」という呼び名になったそうだ。彼女は自分の意思で死人の姿を真似して日常に溶け込むことができるから、自分で自分の怪談の呼び方を変更したものを噂として流すことも可能だ。

 彼女は人々に怖がられるために自分の敬称を変えたのだろう。

 そんな狡猾な彼女に俺は勝てるだろうか。

 俺とミライくんのことを騙して、ミライくんのことを殺した彼女に俺は勝つことができるだろうか。


「……勝つって……やっぱり、殺すしかないのか」


 あんなに殺し合いなんて不毛だと言っていたくせに、今は殺しという選択肢が平気で頭の中に浮かんでいる。

 きっとそんな風に投げやりになってしまったのは、俺の傍にビオリちゃんもミライくんもいないからだろう。守る人がいなければ、清廉潔白でいる必要もない。


「なんとかして、対抗する方法を探さないと」


 コクリさんも情報を開示したことでゲームバランスが崩れることはよしとしなかったのか、ノートを見たところで今、タヌキさんが使える怪談としての力の詳細が分かるわけではない。

 しかし、彼女がビオリちゃんの姿をしていることから、きっと彼女の怪談としての力は、魂を抜くというものよりも、他人の姿を真似ることだろう。他人の姿を真似たから今まで声を出せなかったのに彼女は声を出せた。彼女の怪談としての力で、俺達は彼女が本物だと当たり前のように信じてしまったのだろう。飛び降りたビオリちゃんを俺が気のせいだと思ったのも彼女の怪談としての力が働いていたのかもしれない。

 だからこそ、俺は落ちてきたビオリちゃんと目が合ったことを白昼夢のように感じて、そのまま触れなかった。

 ビオリちゃんが飛び降りた後、タヌキさんはビオリちゃんの姿を真似して、は何食わぬ顔で図書室にやってきて、彼女を演じた。彼女はビオリちゃんの死体を発見して、すぐに利用してやろうと思ったのだろう。

 そして、俺達のことを殺そうと思いたくないと言いながら飛び降りた彼女が守ったはずの彼女の尊厳を踏みつぶした。


 俺は自分の名前が書かれたノートを掴んだ。


「許さない……」

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