第29話 怪談の名前
「本当によかったの、おじさん」
自分についてのノートを読み終えたミライくんが俺の方を見て首を傾げた。俺は脱力して、真っ暗な窓の外を眺めながら、椅子に深く腰掛けた。
「たぶん、ビオリちゃんは今誰にも邪魔されずに頭を冷やしたがってるから、無理やりついていくなんてできないよ」
「おじさんって、女の人が分かってるねぇ」
「そりゃあ、生前は恋人もいたし……」
「恋人いたの⁉」
「うん、まぁ……」
「今は生きてる?」
「たぶん、俺が生きている頃に亡くなったよ。病気で」
「へぇ、そうなんだ」
俺は先程、読みかけのまま放置した自分の名前が書かれたノートを開いた。
ここには俺の怪談が載っている。
「ミライくんの怪談の名前はなんて言うんだい?」
「入れ替わりの鏡って言うんだよ」
「ふぅん」
俺のノートに書かれた怪談の見出しには「死の案内人さん」と書かれていた。よりにもよって、そんな物騒な名前が自分の怪談につけられているとは思わずに目を見開いた。
「普段は病院の大きな鏡の中にいて、零時に鏡を見た人間と入れ替わるの。現実と鏡の中が入れ替わって、鏡の中にいた方がその後は現実世界で過ごすことになるんだよ」
自分の怪談の名前に驚きつつも、ミライくんの言葉に思わず振り返って、彼の顔を見る。
にこにこと笑っている彼は、今、とんでもないことを言ったんじゃないだろうか。
俺達は怪談だ。もし、なにもないところから怪談が生まれたとしたら、それは元の人が存在しない、生前がない、純粋な怪談ということになるんじゃないんだろうか。ミライくんはそうなんじゃないか。
いや、と首を振る。
コクリさんは最初俺達に話しかけた時「成仏しそこなったカス霊の皆々様方」と言っていた。となると、俺達は一様にして、元は死んだ人間だったんじゃないのだろうか。
「ミライくんは、鏡なんだよね?」
「うん、そうだよ!」
「生前は?」
「あるよ~。鏡の中の僕と入れ替わるまでのことだけど」
「入れ替わるって……」
俺は山で車を走らせている時に死んだ。ビオリちゃんは飛び降り自殺。ショウさんはいじめられた人達に殺された。噂話を信じるなら、ジゲンさんも殺された。
俺達の死は、人間の死としては不自然な点はないだろう。
しかし、ミライくんの話からして、彼は、怪談に殺された。
「うん! 僕、入院してる時に零時に鏡を見ちゃったの。それからは、僕はずっとあの鏡の中。僕の姿をして生きてる僕がすぐに鏡を隠しちゃったから、誰も見てくれないの」
「……もしかして、ミライくんと入れ替わった鏡の中の人って今も」
「生きてるよ」
「……」
彼は目を細めて、両手で頬杖をついた。
「あれから二十年経ってるから、今頃、入れ替わった僕は三十歳かな」
俺は目眩がした。
一番年下だと思っていたミライくんが怪談になってからの年月も合わせるとビオリちゃんよりも年上だった。彼があまりにも子供らしいから、勘違いしていた。
見た目の年齢なんて、なにも役に立たない。
俺はミライくんから目を逸らして、真っ暗な窓の外を見た。カーテンがまとめられているせいで、ここの光は外に漏れていることだろう。
「おじさんの怪談は?」
「死の案内人さんだって」
「え、かっこいい」
俺はこんな物騒な名前は遠慮したいのだが、どうやらミライくんはこういう名前が好きみたいだ。
「どんな怪談なの?」
「えっと……」
俺は軽くノートの文章を見た。
「小学校裏の山で、夜に出てくる案内人。車を運転していると、いきなり目の前に現れる。案内人は彼が立っているのとは反対方向を指さす。でも、彼の指示を無視して、立っている彼を突っ切ろうとすると、車はそのまま崖に落ちてしまう……だって」
これは、俺が死へと案内しているわけではないような気がする。むしろ、死を回避させようと指示をしているように見える。
「おじさんって怪談の時も人助けばっかりしてたの?」
ミライくんは丸い目で俺を見ていた。
自分がショウさんやジゲンさんのように、人の命を弄ぶような怪談でなくて本当によかった。
安堵したら、さらに疲れが身体を襲って来た。
「……ビオリちゃんが帰ってくるまで、休もうか」
「じゃあ、僕、絵本読んでるー」
小学校の図書館だから当然子供用の絵本ぐらいあるだろう。彼は書架スペースの本棚の間を通り、奥へと姿を消した。
これ以上文字を読んで疲れたくない。
もう少しだけ休んでから、自分の残りのノートを読もう。自分がどうして死んだのかも、事故か自殺だったのかも、それで分かるはずだ。
真っ暗な窓の外を見る。
ここは学校だ。こうやって、窓の外をぼーっと見ていて、落ちてきたビオリちゃんと目が合って、自殺する夢を見ることになった生徒もいるんだろうなと思っていると、本当に窓の外にビオリちゃんがいる気がした。
地面に向かって、真っ逆さまに、落ちていくビオリちゃんと、目が合った気がした。
「アナイさん。アナイさん?」
横から呼ばれて、はっと俺は気を取り直した。どうやら、思っていた以上にぼーっとしてしまったらしい。椅子に座っていた俺の肩を軽く揺すったビオリちゃんが、心配そうにこちらを見ている。
「び、ビオリちゃん? いつの間に帰って……」
ノックの音が聞こえないくらい、俺はぼーっとしていたらしい。本当に情けない。ビオリちゃんが帰ってくる前に、残りの文も読んでおこうと思ったのに。
「今戻ったところですよ。なにかありました?」
「いや、ビオリちゃんがいない間は休憩していたよ」
「これからどうします?」
頭を冷やすと言っていた通り、彼女は充分頭を冷やしてきたらしい。先程泣いていたことなど嘘のようだった。
「そう、だね……どうしようか……」
もうこのままなにもしなかったらいいんじゃないかと思えてきた。今夜中に殺し合いをして一人だけ生き残る結果にならなかったら、きっとコクリさんは俺達のことを問答無用で消すだろう。それならそれでいいと思う。
無駄に殺し合う必要はない。
「私、気になるんです」
「え、なにが?」
「ショウさんがどんな経緯で死んだのか。一応、それだけでも明らかにしませんか?」
この口振りからして、彼女はショウさんのことを殺していないのだろうか。先程、ショウさんは死んでも文句が言えないとまで言っていたから、もしかしたらと思っていたが。
確かに色々分からないことがあるのは気になる。他にやることもない。
「僕もさんせ~い!」
書架スペースの奥で本を床に広げていたミライくんがこちらに戻ってきて、元気よく手をあげた。
「それじゃあ、最後に生きているショウさんと出会ったところに戻ってみようか」
俺がそう言って、椅子から立ち上がると、二人はすでに扉を開いて、外に出る準備をしていて、思わず俺は笑ってしまった。
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