第27話 復讐心


 彼女がなにを言いたいのか分からないものの、俺は彼女の後ろに倒れていた椅子を直すと彼女の肩に手を置いた。


「とりあえず、座ってくれ。いったいどうして消滅しないといけないなんて思うんだ?」


 デスゲーム開始の合図が下されてから、一度だけバラバラになった時以外は俺はビオリちゃんとミライくんと行動してきた。

 数時間前に会ったばかりの彼女だが、それだけの時間でも分かることは多かった。

 彼女は優しい人だ。

 優しい人でなければ、ショウさんと出会った時に振り返らずに逃げろと言った俺のことを心配することなどないはずだ。自分のことしか考えていない人間は、他人が盾になると言えば、大喜びでそれを利用しようとするだろう。

 しかし、彼女はそんなことはしなかった。

 そんな彼女が消滅しなければいけないと言い出す理由が、俺にはさっぱり分からない。


 椅子に座った彼女は開いたままのノートに目を落とした。

 そこにはびっしりと並んだ文字があった。

 勝手に人のノートの内容を見るのはよくない。自分のノートを見る限りだと、あれには個人情報が嫌というほど詰め込まれている。

 だから、ビオリちゃんのノートを勝手に覗く行為はよくないと思った。


 しかし、見開きのノートのページにずらりと並んだ文字よりも少し大きめの字で「四時四十四分の飛び降りさん」と書かれていたから、すぐにそのページには生前のビオリちゃんのことではなく、ビオリちゃんの怪談が書かれているのだと気づいた。

 生前の個人情報を見るのはうしろめたさがあるが、彼女の怪談については、彼女自身から聞いているため、罪悪感もなかった。

 四時四十四分になると学校の屋上から飛び降りる。飛び降りた際の彼女と目が合うと、悪夢を見て、彼女が死ぬ時のことを強制的に追体験させられることになる。

 怪談の内容は彼女から聞いたものとあまり変わらなかった。


 だとすると、他のページを見て、彼女はこんなに動揺したのだろうか。

 ミライくんは俺達が真剣な話をするのだろうと、顔の前に掲げたノートの上に目を時折出して、こちらをちらちらと見ながらも黙っている。


「私、嘘をついたんです」


 俺の頭に、ビオリちゃんと俺が二手に分かれて、ショウさんから逃げた時のことがよぎった。

 彼女は三階に行った後、近くの教室に隠れたと言っていた。しかし、俺はビオリちゃんのことを追ったショウさんのことを追いかけて、三階にあがった。その時、廊下にはショウさんの姿はなかった。いくらショウさんが短絡的な性格だとしても、ビオリちゃんのことを追いかけている途中で、廊下に彼女の姿を確認できなかったら、近くの教室を探すに決まっているだろう。

 俺はずっとそれが引っかかっていた。


 しかし、彼女は目尻に涙を溜めて、彼女の傍らに立つ俺のことを見上げた。


「復讐したい人がいないなんて、嘘です」


 屋上で、彼女は自分の怪談を語った時に「復讐したい人もいません」と俺とミライくんに語った。復讐したいと思っていた相手には自分が死んだ時の夢を見てもらって、もう充分だと彼女は言っていた。


「私が飛び降りた理由、いじめなんです」


 学校の屋上の扉は普段開いていない。それなのに、彼女が逃げ出したいと思っている時に限って、その扉は開いていた、と彼女は言った。彼女が逃げ出したいと思っていたのは、いじめだったのだ。

 高校生の彼女がいじめられていて、死ぬことでしか抜け出せないと追い詰められるような場所は、学校に違いない。

 両親に話すと迷惑になるからと引っ越してその学校から逃げるという選択肢もなかったのだろう。ビオリちゃんの性格を考えると簡単に予想できた。

 彼女は人に迷惑をかけるのが苦手な優しい子だ。


「夢を数回……五回や十回……そんなんじゃ足りないって三十回、五十回……もしかしたら、もっとかな? とにかく、毎日、毎日、見せました。いじめグループの中にはそれでノイローゼになった子もいました」


 彼女は俺から視線を外して、開いた状態にしているノートに視線を落とした。彼女の横顔は、そのノートを睨んでいるようにも見えた。


 彼女は自分が復讐したい相手に自分が死ぬ時の夢を見せていたと屋上で語った。しかし、俺はてっきり、彼女が相手に一回や二回悪夢を見せたものだと思っていた。


 五十回。


 いや、彼女の口振りからして、回数は覚えていないようだった。五十回、六十回。そこまで行くと二ヶ月は彼女が死ぬ様子を夢で見ることになる。


 いや、見るだけではない。

 夢を見た者は彼女の体験を自分で味わうことになる。


 屋上の上を歩き、柵を乗り越え、遠い地面を見て、飛ぶその瞬間の感覚を毎日毎日味わう。寝ることからは逃げられない。寝ないようにしたって、いつか限界は来るだろう。

 身体を休めるための行為なのに、寝たら自殺する夢を見る。その夢からはどう頑張っても抜け出せない。


 俺は気づいた。

 ただただ学校の屋上から飛び降り自殺を繰り返して、目が合った人に悪夢を見せる彼女の怪談がどうして噂として広まったのか。

 実際に被害者がいるからだ。


「ノイローゼになって精神病院に入院した子や引きこもりになって学校に通えなくなった子、高いところにとてつもない恐怖を覚えるようになった子、私に似た髪の長さの人間を見ると腰を抜かして半狂乱になる子」


 彼女はノートを睨みつけたままだった。しかし、その口の端が小さく上がっていた。


「全員に夢を見せました。だって、目が合ったんですから。飛び降りた時に目が合ったから、ずっと夢を見せました。一度だけで終わらせていいはずがありませんから。だって、私はずっと痛かったんですから」


 彼女は自分を抱きしめるように自分の肩を抱いた。小さく震える彼女にどんな言葉をかけていいのか、俺には分からなかった。


「袖の下の煙草の痕も、蹴られた時のお腹の痣も、死んだ私には全部全部残ってるんです。毎日のようにいじめてきたあいつらへの復讐が一回で終わるなんて、ありえません」

「……でも、もう満足して、夢を見せるのはやめたんだろう?」


 彼女が死んだのは三年前だと彼女が言っていた。死んでから今まで毎日欠かさずに夢を見せていたとしたら、五十かそこらの回数で留まっているのはおかしい。

 彼女は自分のことをいじめていた相手に自殺の夢を見せるのをやめたのだ。


 やっとノートから目を離した彼女は俺を見て、目を細めた。


「満足なんてしてなかったんです」


 彼女はノートには視線を向けないまま、ページを捲った。

 思わずそこに視線をやる。

 このノートを用意したコクリさんの悪趣味加減は吐き気を催すくらいだった。

 そこには四人の名前があった。全員が同じ歳の女性。今は二十歳らしいが、それぞれ、精神病院へ通院を繰り返していたり、引きこもり生活を続けていたり、高所恐怖症になったもののなんとか生活を送れていたり、恐怖を克服して日常生活に戻っていたり、今もまだ人生を送っている。

 まだ生きている。

 彼女のことをいじめた人間が。


「許すことなんてできませんよね? ええ、できません。夢を見せても許せなかった。しかも、他にも許せない人がどんどん頭の中に出てくる。前にいじめられて私が庇ったクラスメイト、いじめの存在を知っていたのに隠した教員、いじめてる奴らもいじめられてる私も無視したクラスメイト、たまに言われるがままいじめに加担したクラスメイト。私の怪我に気づいていながらも保健室に来る頻度が多いと怒った保健室の先生も、異常に気付かなかった教師全員も、他のクラスの奴らも、後輩も、先輩も、全員!」


 彼女は縋るように俺のジャケットを両手で掴んだ。

 前髪の隙間に見える彼女の瞳からは涙がこぼれていた。しかし、その口元にはかすかな笑みがあった。


「どんどんどんどん、夢を見せたくなるんです。でも、もう彼らは学校にいないんです。どこかで生きてるのに、学校には来ない。四時四十四分に学校の屋上から落ちる私と目を合わせないと、夢を見せられない」


 いじめを苦に自殺した彼女は、生きている彼らを許せなかった。そのうち、関係者全員を恨むようになった頃には、自分の手で夢を見せることはできなくなっていた。


「復讐したくないなんて嘘です。全員殺してやりたいです」


 彼女は「あはっ」と少し下手くそに笑った。


「何人死ぬんでしょう?」


 学校関係者全員の死を願う。

 それはとんでもない数の人間が死ぬことになるだろう。

 彼女が自分が消滅した方がいいと言った理由が分かって、俺は唇を噛みしめた。

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