第21話 目覚め
名前を呼ばれた気がした。
いや、名前ではない。
「アナイさん! 大丈夫ですか、アナイさん!」
俺の苗字だ。
瞼の向こうにちかちかと光るものが見える。目をうっすらと開けて、それがようやく懐中電灯の光だということに気づいた。その光に照らされているビオリちゃんの顔が見えた。
「ビオリちゃん……」
「ショウさんにやられたんですか⁉」
「いや……」
「おじさん、大丈夫?」
「大丈夫……」
ゆっくりと身体を起こすと、慌てて、ビオリちゃんが俺のことを支えるように俺の肩に手を置いた。
どうやら、ビオリちゃんはショウさんのことを振り切ったみたいだ。俺が無様に気絶している間、彼女はトイレまで行って、ミライくんと合流してくれたのだろう。
「二人とも無事でよかった」
俺は思わず、右手でミライくんを、左手でビオリちゃんを抱きしめた。ミライくんはけらけらと笑いながら、俺を抱きしめ返してくれた。
「怪我は大丈夫ですか?」
先ほど、ビオリちゃんは俺がショウさんに怪我をさせられたんじゃないかと慌てていたみたいだが、トイレ前でショウさんのことを見かけてから、一度も彼の姿を見ていない。
むしろ、こうして、俺が無様に転がっていたのは誰のせいでもなく、俺が一人で勝手に階段で足を踏み外しただけだ。
「いや、その……恥ずかしながら、三階でビオリちゃんのことを探して、その後、二階に下りようとした時に階段を踏み外して……」
「おじさん、ドジだね!」
「うん、そうみたい……」
ミライくんが笑い飛ばしてくれて、まだ辛い空気にはならなかった。こんなところで勝手に階段から足を踏み外して気絶しているなんて、笑ってもらえなければ、どうしようもない。
ビオリちゃんが安堵の息を漏らした。
「ここでアナイさんが倒れているのを見た時、本当に心臓が止まると思ったんですからね」
床に置かれた懐中電灯の光で彼女が頬を膨らませているのが分かった。その様子が可愛らしくて、思わず笑ってしまった。小動物が困っているのを見て可愛がる人の気持ちが分かったかもしれない。
「本当に心配したんですからね」
さらにビオリちゃんは眉間に皺を寄せた。笑いを頑張って喉の奥に抑え込みながら「ごめんごめん」と俺は謝った。
「二人とも怪我がなくて本当によかったよ」
「それはこっちのセリフなんですけど」
じとっとビオリちゃんが俺のことを見る。
「ここに座ったままお喋りするの?」
ミライくんに指摘されて、ようやく俺とビオリちゃんは立ち上がった。三階と二階の間の踊り場にいたら、必ずいつか見つかってしまう。ここは他の人も通り道にしているのだから、ここでお喋りを続けるのはよくない。
「教室に行こうか。三階にはショウさんがいないのは確認しているから……」
俺が気絶をしてからいったい何分経っているのかは分からないが、とりあえず、三階にショウさんはいないだろう。もし、ショウさんが二階か三階にいたのであれば、気絶していた俺が死んでいないのはおかしい。
きっと三階は安全だ。
「それにしても、本当に焦ったよ。ショウさんが俺のことを追わずにビオリちゃんのことを追って行ったんだから……」
肝が冷えるって言葉の意味を身体で体験したのは初めてかもしれない。
「え?」
ビオリちゃんは階段の中腹で立ち止まった。
「私、あの後、ショウさんを見かけていないんですけど……」
「え?」
俺は思わず振り返って、自分よりも下の段にいる彼女のことを見た。
あの時、トイレの近くにあった階段にビオリちゃんは向かった。俺は数秒待ってから廊下をまっすぐ走り出した。俺の方が近いから、ショウさんは間違いなく俺のことを追いかけてくると思っていたのに、振り返るとショウさんはいなかった。
だから、ショウさんは階段の方に行き、俺ではなくビオリちゃんのことを追いかけて行ったと思っていたのに。
そのビオリちゃんはショウさんを見かけていない?
「その見かけていないって、ショウさんに追いかけられていないってこと? それともショウさんのことを三階で撒いたってこと?」
「階段を上った後、本当にショウさんのことを一度も見ていないんです。実を言うと私は階段をあがってすぐの教室に身を潜めてたんです」
俺が慌てて踵を返して、三階に駆け上がり、廊下を左に曲がった時、彼女は階段の目の前の教室に隠れていた。俺が慌てずに廊下を走らずにそのまま彼女のことを探していたら、すぐに俺とビオリちゃんは合流できたかもしれない。
しかしそうなると、ビオリちゃんのことを追いかけて行ったショウさんはいったいどこに行ったんだ?
本当に俺が三階に駆け上がった時にビオリちゃんは教室に隠れていたのだろうか。ショウさんが階段の方に向かったのはビオリちゃんの姿を見かけたからに決まっている。
それなのに、ビオリちゃんの姿を追って階段を駆け上がった彼が、廊下にいない彼女を見つけるために教室を探さないわけがない。
「ショウさんはビオリちゃんのことを追ってきたんだよね?」
「いえ……私はてっきりアナイさんが追われていると思って……」
話が噛み合わない。
ビオリちゃんが嘘をつく必要もない。それでも、ここまで話が噛み合わないなんてことがあるのだろうか。
立ち止まった俺とビオリちゃんの顔をミライくんが交互に見る。彼が声を潜めながら、俺の袖を引いた。
「ねぇ、足音聞こえない?」
彼に言われて耳を澄ませると三階の廊下の方から、誰かの足音が聞こえた。
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