第18話 トイレ休憩


「ねぇねぇ、トイレに行ってもいい?」


 それはショウさんについての情報を探すために、三階から下へと降りながら一つずつ教室の中を確かめていた時のことだった。二階の中央階段あたりでミライくんは立ち止まった。


「うん、いいよ。ちょうどそこにトイレがあるね」


 俺はミライくんの手を引いて、男子トイレの扉を開いた。蛇口をひねってみると問題なく水は出る。この学校は、今も使われているから水が出るのは当たり前なのだが、コクリさんがデスゲームを開催しているから、何があってもおかしなことはない。

 幸い、水は止められていないらしい。


「問題なく使えると思うよ」

「うん!」


 ミライくんは三つ並んでいる個室の一番奥の扉を開けて、中に入っていった。


「外で待ってて~!」


 奥の個室から元気な声が聞こえる。


「分かったよ。待ってるからね」


 廊下で突っ立って待っているとショウさんに見つかる可能性があるから、このトイレの入り口が見える教室に隠れていようかと考えながらトイレから出ると、すぐ傍の壁に背をつけたビオリちゃんが腕を組んで、顎に手を当てていた。


「ビオリちゃん?」

「あ、すみません」


 ビオリちゃんは背中を壁から離して、腕組みをやめると俺の顔を見て、そして、目を逸らした。


「ちょっと気になったことがあって」


 懐中電灯で直接照らしているわけではないが、それでも彼女の表情は分かった。眉尻を下げて、困惑でもしているような表情だった。


「気になったこと?」

「それは」

「おうおう、こんなところで告白でもしようってのか? 殺し合いの最中だっていうのにお熱いことだなぁ!」


 ビオリちゃんの言葉を遮るように俺の後ろから声がした。

 ショウさんの声だ。

 弾かれたように振り返ると、廊下の先にバットを首の後ろで横にして、両手で両端を持って歩いてきているショウさんがいた。


「ビオリちゃん!」


 俺はすぐにビオリちゃんの肩をショウさんとは反対方向の廊下、ではなく、すぐ傍にある中央階段の方へと押した。


「あ、アナイさ」

「早く!」


 彼女はぎゅっと唇を噛むと、すぐに階段へと走り出した。彼女が三階への階段を駆け上がったのを見て、俺はショウさんの方へと向き直る。


「死にたいなら、殺してやるよ! まぁ、死にたくなくても殺してやるけどなぁ!」


 ショウさんがバットを片手で持って、こちらへと走り出した。

 俺との距離がどんどん縮まる。

 ちらりと階段の方を見る。もうビオリちゃんの姿はない。


 俺はショウさんとは反対方向の廊下へと走り出した。

 彼にとっては俺の方が近い、きっと俺のことを追ってくるだろう。ビオリちゃんを階段へと逃がしたのは、ここが二階だからだ。姿が見えなければ、ショウさんにはビオリちゃんが三階に逃げたのか一階に逃げたのか分からないだろう。

 あとは、ミライくんがいるトイレからショウさんのことを離すことができればいい。

 ミライくんもビオリちゃんも、二人ともショウさんには会わせない。


「殺せるものなら殺してみろ!」


 振り返る余裕はなかったが、俺は後ろから俺のことを追ってきているはずの彼にそう言った。

 しかし、彼からの反応はない。

 彼の場合、売り言葉に買い言葉で、俺の言葉に焚きつけられると思ったのだが。


 俺は足の速度を緩めながら、肩越しに後ろの廊下を振り返った。


 そこには誰もいなかった。


「まさか……っ⁉」


 彼の姿が廊下にないということは、答えは一つしかない。

 彼は階段の方に行ったのだ。

 ミライくんがいるトイレの扉が開けられた様子はない。ミライくんのことを置いていくのは気が進まなかったが、彼がビオリちゃんのことを追って行ったのならば、ミライくんには安全なトイレで待っていてもらった方がいい。


「ごめん、ミライくん……!」


 トイレの中にいる彼に俺の声が聞こえているかは分からないが、俺はトイレの扉に近づかずにそのまま、階段へと駆け寄った。


 もしかしたら、ビオリちゃんはショウさんが俺のことを追いかけるために階段の前から通過したら、ミライくんと合流して、ここから離れるつもりだったかもしれない。

 そのために階段の踊り場からこっそり廊下を見ているところを見つかったとか。


 なんにせよ、ショウさんがビオリちゃんのことを追ったのだ。姿が見えないのに、一階に下りるか、三階に上がるか、二択の選択をすることもないはずだ。

 俺はビオリちゃんがショウさんに捕まっていないことを願いながら、階段を二段飛ばしながら、駆け上がった。


 すぐに階段を駆け上がったつもりだったのだが、三階の廊下に飛び出して慌てて左右を見ても、誰もいない。

 ショウさんの背中も、ビオリちゃんの背中も、廊下には見当たらなかった。


「速い……」


 俺は右か左か、どちらか迷って、左へと走り出した。あてもなく、走り出す。三階の端の音楽室の扉の前で立ち止まる。ここに来るまで、俺はショウさんとビオリちゃんの人影を見なかったどころか、二人の足音もショウさんの声も聞いていない。

 あの人が人のことを追いかけるとしたら、絶対に声をあげながら追いかけると思っていたがそうでもないらしい。


 もしかしたら、階段をあがって右方向にビオリちゃんは逃げて、ショウさんはそれを追いかけて行ったのかもしれない。もしかしたら、階段を上って左に走ったのは合っていたけれど、音楽室の横の階段から二階へと下りていったのかもしれない。


 考えれば考えるほど、二人がどこに行ってしまったのかが分からない。俺は胸を押さえた。


「……もしかしたら、ビオリちゃんはすぐにどこかの教室に身を隠したのかも……一部屋ずつ部屋を見て行こう」


 俺は二回ノックしてから、音楽室の扉を開いた。


 この部屋の扉も理科室の扉同様、鍵がかかっていなかった。理科室や音楽室は、勝手に教師以外が入って壊されると困るものが多いから、教師が学校から帰る時に扉を施錠すると思っていた。しかし、やはりコクリさんが鍵をかけないようにしているらしい。


 音楽室の中から行ける音楽準備室の扉にも鍵がかかっていなかった。

 音楽室にあるのはグランドピアノぐらいで人影も物も置かれていなかった。音楽準備室にはこれでもかというほど狭い部屋に閉じ込められた楽器が並んでいた。この中に人が隠れているとは思えない。


「いったい、どこに行ったっていうんだ……」


 小声で言ったものの、自分の声に焦りが滲んでいるのが嫌というほど分かった。焦っていてもビオリちゃんは見つけられない。自然と速足になりながら、俺は音楽室から出て、近くの部屋の扉を開いた。

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