第2話 殺される

 コクリさんにデスゲームを開始しろと言われたところで、俺達の手足は自由に動くようになった。

 すぐに一番右端に座っていたスーツの女性が教室の扉の取っ手に手をかけたが、扉はびくともしない。この教室で殺し合えということだろうか。

 しかし、武器もなにもない中で殺し合うにしても、拳だけでは一人を殺しているうちに他の人間数人から袋叩きにされて殺されるのがオチだ。


「えっと……自己紹介とか、いります?」


 そんな中、恐る恐る手をあげたのは紺色のブレザーを着た女性だった。高校生だろう。肩甲骨まで伸びた黒髪と目元にかかる前髪の間から不安そうな双眸が教室内の人々を見渡す。

 目が合うが、すぐに逸らされた。


「自己紹介~? これから殺す相手の名前なんて知る必要ねぇだろ!」


 黒色の学ランを着た男性が、女子高生のブレザーの襟を乱暴に掴んだ。振り上げられた拳を見て、思わず間に入った瞬間に、こめかみに鈍い痛みを感じた。

 痛みを感じた場所が熱くて思わず手で覆う。


「大丈夫ですかっ⁉」


 二人の間に入った時にこめかみに男子高生の拳を受けたのだろう。女子高生が慌てて、俺の袖に手を添えた。


「なに邪魔してんだよ、おっさん!」

「おっさんじゃない、俺は二十七歳だ」


 思わず、口が動いた。

 確かに子供からしてみれば俺ももうおっさんかもしれないが、男子高生にはおじさんと言われたくない。お前もすぐにこの歳になるんだぞ、と言いたくなったが、よくよく考えてみれば、俺はもう死んでいるし、彼も死んでいる存在だ。

 俺達はこれ以上、成長しないし、歳を重ねることもない。

 そもそも、俺は二十七歳だったのか。

 自分のことなのに、霞がかかったみたいに曖昧だ。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。


「こんな閉じ込められた状態で殺し合いなんて不毛だろ。殴り合って、拳が壊れるまで頑張るのか? お前が一人を殴っている間に他の人間が手を組んで袋叩きに合う未来しかないと思うぞ」


 俺の言葉に男子高生は眉間に皺を寄せたかと思うと、床に唾を吐いた。


「え~、不毛とかどうでもよくな~い?」


 パンッと誰かが手を叩いた。

 それと同時にバリバリと鼓膜を破らんばかりの破裂音が教室内に轟く。


「あっ、ぶね……!」


 強い光に俺は思わず目を閉じてしまった。男子高生が毒づくのが聞こえる。

 いったいなにが起こった?


「私~、復讐したい人がいるから、みんな、死んでくれる?」


 先ほど、コクリさんに対して、すぐに全員殺しても大丈夫かと聞いた女性の間延びした声が聞こえる。どうやら、彼女はここで全員を殺してしまうつもりだ。

 しかし、それはコクリさんの思惑から外れることだ。


「ちょっとちょっと」


 眩しさに瞼を何度か開閉しているとだんだんと目が周囲に慣れてきた。

 霧のように消えて姿を消したはずのコクリさんが教卓の上にあぐらをかいたまま姿を現す。


「控えてって言ったでしょ」

「控えてって言っただけで禁止じゃなくない?」


 周囲を見ると、男子高生が着ていた学ランが床に落ちていた。先程まで彼が着ていた学ランからはぷすぷすと煙があがっていた。まるでいきなり高熱を浴びたかのようにそれはボロボロになっていたが、学ランを脱いで白シャツになった男子高生は怪我をしていないようだった。

 そして、男子高生の近くに立つロングスカートの女性は両手を叩こうとした状態で止まっていた。コクリさんが彼女のことを指さしているのを見る限り、先ほどまでのように彼女の身体が動かないようにコクリさんが制御しているのだろう。


「私が控えろって言ってるんだから、禁止って意味になるんだよ」

「え~、知らな~い。あ、そうだ! みんな殺した後、あんたも半殺しにしたら、復讐のお願いも叶えてもらえてハッピーじゃない?」


 彼女は、自分がなにを言っているか分かっていないのだろうか。

 確かにコクリさんの見た目は、ロングスカートの女性よりも若い女性であり、特徴といえば、狐らしい耳と尻尾だ。あまり怖いとは思えないだろう。

 しかし。


「あ~あ。やっぱり、七人も呼ぶと話が通じない馬鹿が一人出ちゃうか」


 コクリさんは深いため息をつくと、教壇からひょいと降りる。

 パン、とロングスカートの女性が手を叩くと、コクリさんが歩いていた場所にまばゆい光が叩きつけられた。

 こんなに近くで見たことがなかったから、先ほどは分からなかったが、雷が落ちたのだとやっと分かった。


「彼女の怪談は、柏手の雷さんだね。生前は雨の日に殺害された後、避雷針に括りつけられたんだって」


 コクリさんは雷が落とされた場所とは違い、いつの間にかロングスカートの女性の後ろに立ち、朗々と語った。

 その華奢で細い指が目にもとまらぬ速さでロングスカートの女性の首に伸びたかと思うと、そんな勢いもなかったように見えたのに、そのままロングスカートの女性は勢いよく床に叩きつけられた。

 背中を強く打ち付けた女性は思わず息を詰まらせる。


「彼女が死んでしばらくした後、雨の日にその避雷針の近くを通ると柏手が聞こえる。その柏手を聞いてしまうとだんだんと雷が近づいてくる。あの柏手は聞く者の場所にカシワさんが雷を呼んでるんだ。だから、雨の日に柏手が聞こえたら、家に避難しなさい。そういう怪談だから、手を叩いたら雷を任意の場所に落とす力が使えるんだけど」

「ちょっと……!」


 俺達は全員の怪談としての力を知らない。それはこのゲームにおいてアドバンテージになる。

 相手に手のうちを知られていないということは、相手も下手に自分に手を出すことができないのだ。しかし、ロングスカートの女性はコクリさんによって、そのアドバンテージを消された。

 彼女もそれに気づいたのだろう。自分の首を掴んで床に縫い留めているコクリさんをぎろりと睨んだ。


「不公平じゃん! 私の怪談教えるとか!」

「不公平じゃない」


 コクリさんはにんまりと笑った。開いた口の隙間から、先ほどまではなかった鋭い歯が見えた。


「お前、もう参加者じゃないから」


 一瞬で。

 ロングスカートの女性の頭がなくなった。


 太い骨を無理やり折った音、皮膚をちぎる音、大量の血が床にぶちまけられる音。全ての音が一瞬で耳朶に叩きつけられたと思うと、静寂がその場を支配した。

 ロングスカートの女性の首が噛まれた後、引きちぎられたような断面だけを残し、首から上が消えたかと思うと、先ほどと同じような音が三回、立て続けに耳朶に響いた。


 その間、コクリさん以外に音を立てる者はいなかった。


 殺される。


 動いてもいない心臓が、早鐘を打っていると脳みそが錯覚するぐらい、その恐怖は鮮明に俺達の脳裏に焼き付けられた。

 コクリさんに逆らったら、殺される。

 下剋上などもってのほかだ。

 俺達はデスゲームをせずとも、こいつに殺されるのだ。


 大音量の咀嚼の音が計四回響いた後、コクリさんはひょいとまた教卓の上に戻った。

 床には血だまり一つ残っていなかった。


「さぁさ、自己紹介してもらおうか」


 彼女はにこにこと笑った。

 俺達は全員が、彼女の言葉に従う他ないのだと理解した瞬間だった。

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