すきや、き
「あのアホ」
真澄は生徒会室で弁当をかっ食らっていた。もちろん父親の手製……というか、賄い料理の残りであるが。
「あのアホどこ行きよった。あの女たらし。にこにこにこにこ誰にでも笑いくさりよってからに、アホらし、あの量産型笑顔のなにがええねん」
「越前くんは会長のことが好きだねえ」副会長がポニーテールの先を弄りながら、のんびりと言った。
「聞いてくれます副会長。あのアホ……」
真澄は考えてから、割りばしの先を舐めた。
「……同級生の、その、俺の知り合いの女子に、あのアホにころっと、ほんまに、気の迷いみたいに騙されたんがおって……その……」
副会長はにこやかに「それアンタの話やろしっとるわ」と言う顔をしている。
「思い切って『好きや』ゆうたん。──せやけどアイツなんて言いよったと思います?」
「わからん」
「『き』って。……『すきや、き』って!ひとの命がけの告白なんやと思っとるん!?馬鹿にしとんのか!! アホ!アホ!」
割りばしをへし折る真澄の隣で、副会長は和やかに先ほどのセリフを繰り返した。
「ほんとに、越前君は会長のことが好きだねえ」
「他の女の告白の時『き』なんて言わんやろ!考えても見いや、いっつもこうやで? 『ゴメン、そういうことは今はちょっと考えられないんだ……』しゃらんらー。きらきらー。量産スマイル。何なん!?」
「……その、きみの知り合いの女の子が特別なんやないのかなぁ」
言いながら副会長は「そういうことにしといたる」という鷹揚な態度で真澄に接した。真澄は気づいてすらいないが……真澄が亜嵐のことを好きなのは態度からダダ漏れなので、誰もが知っていた。
「特別なやつの一世一代の大告白に『き』返すアホ、おる?」
真澄は長くなりすぎた前髪をヘアピンで留めた。「おらんやろ?」
「おるやないの。目の前に」
真澄は顔をあげた。そこにアホがいた。
「元気な声が聞こえる思ったらやっぱりお前か、真澄」
「けっ」
真澄は足を組んで頬杖を突き、亜嵐から顔を背けた。
「知らん知らん。『すきやき』のことなんか知らん」
「前はあんなに可愛かった真澄が今じゃこんな口悪うなるなんてな、俺悲しいわー」
「何がやボケカス。その中途半端な関西弁もきしょいわ」
「真澄のが移っただけやけどなぁ」
苦笑いをするその整った顔もまた腹が立つ。真澄はそれでいて、亜嵐の一挙手一投足にときめいてしまう自分が嫌で仕方がない。『好きや』を『すきやき』にされてしまってから、真澄は『こいつむかつく』と文字通りの『好きや』の間に挟まれて足掻いていた。
「今も越前くんのレストランにピアノ弾きに行くん?会長」
副会長が間を取り持つように言う。亜嵐は頷いた。
「土日祝日はね。ちゃんと店側と相談して時間を決めて。な? 真澄」
真澄はぶすくれたまま眼鏡ふきで眼鏡を拭き始めた。生徒会長と副会長はそんな書記のようすに顔を見合わせて、「やれやれ」と視線をかわした。
亜嵐が来る日は「ピアノリサイタルデー」としてそこそこ名がしれていた。常連も、ピアノ目当ての客も、さらには亜嵐のファンクラブも詰めかけて、レストランというか小さなコンサートホールみたいだ。
真澄はそのぎゅうぎゅうの中で注文を取っていた。ここはコンサートホールではないので、聞きにきた観客には、拝聴料の代わりに何か一品注文してもらうことにしていた。
その注文も取り終わらないうちに、亜嵐がアップライトの前に座る。中学の制服のままなのに、むかつくほど様になっている。
真澄がピアノの上に指を置くと、レストランの中はしんと静まり返り、遠くで料理をしている厨房の物音がはっきり聞こえる。
「今日は皆さん、ピアノと一緒に歌ってください」
亜嵐がそう言った。そして聞き覚えのある、どこか懐かしい曲を弾き始める。
「坂本九!」
常連の爺さんが叫んで、朗々と歌い出した。年配の女性たちがそれに続く。厨房からも父の歌が聞こえる。
合唱だ。
そもそも曲は知っていても歌詞を知らないから、真澄はただその素朴な合唱の中で、立ち尽くした。亜嵐がなにを考えてこんな催しをしたのか、真澄には全く理解できなかった。
※※※
「なあ、なんで歌謡曲弾いたん」
閉店後、店の片付けをしながら、椅子に腰を落ち着けた亜嵐に冷たい麦茶を差し出す。亜嵐はついと真澄に流し目をくれ、一言だけ言った。
「すきやき」
「は?」
がらんどうになったホールには真澄と亜嵐以外誰もいない。亜嵐は、ゆっくりと真澄に顔を寄せた。店の照明が何重にも彼らを照らし出した。重なりあった顔の影すらも。亜嵐はそれから何事もなかったかのように麦茶を飲み干すと、席を立った。
「ごっそさん」
「……」
硬直した真澄を残して、彼は去った。
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