第40話 月影の人物
カイルの部屋を出たテラリオは天守に向かい、見張り塔の中に入った。
入り口に立つ衛兵は汗を額ににじませながら恐怖に顔を歪めて立ちすくみ、テラリオをそのまま素通りさせた。
テラリオは塔のらせん階段を上りきると、そこにいた月影の人物の前でひざをつき、恭しく頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません」
テラリオの声は少し震えていた。
「兵士たちの動きはどうだ?」
月影の人物は無関心に言う。
「兵士たちは神帝の命と疑わず、セーカに向けて移動の準備を整えています」
テラリオは顔を伏せたまま答えた。
「当日は予定通り事を運べ」
「はい」
テラリオは息をつめ、緊張した様子で話を切り出す。
「……一つ確認したいことがあります」
「何だ?」
「私は兵士たちと共にセーカに出発し、
「ああ、いいだろう」
「その際、私と一緒にカイルという者も受けいれてはもらえないでしょうか?」
「カイル?」
「緑の髪の者たちとともにここに連れてこられたセーカの者です。彼もまた狼神の目覚めの儀式のために一役買うことでしょう。あなたのお役に立つことができる人間です。ですから彼も……」
「その者に私への忠誠が期待できるのか?」
月影の人物は試すような目でテラリオを見る。
「もちろんです。彼は私同様……」
「おまえの忠誠心がどれほどのものというのか」
その言葉にテラリオは冷や汗をかいた。
「私は……あなたの命ずるままに……どんなことも……」
「目的のために必死だな」
月影の人物は嘲るように笑う。
「まあいい。目覚めの儀式を見事に演出してくれたら、おまえの望みは叶えよう」
「そ、それはもちろん……兵士たちに疑われぬよう、もっともらしく儀式を執り行ってみせます」
「そのための演出材料を提供してやる」
「え?」
突然の申し出にテラリオは戸惑った。
「緑の髪の者を一人連れて行け」
月影の人物は笑みを浮かべて言った。
「プレーナの滅びの象徴として儀式の場で殺すのだ」
その冷淡で無慈悲な微笑にテラリオはぞっとした。
「封印された狼神の目覚めに素晴らしい演出だろう。それとも同胞の魂を捧げた方がいいか。そのカイルという者を使うか?」
「……いえ、緑の髪の者を! あなたの命じるままに仮の儀式の場で処刑します」
テラリオはあわてて言う。
「それで、緑の髪の者のどちらをセーカに?」
「決まっているだろう。ユピが必要としない方だ。緑の髪の者は一人いればいい。それが彼の願いだ」
「……ユピが望んだのですか?」
「ユピの願いを誰よりも知っているのはこの私だ」
月影の人物は、銀色に輝く髪をかきあげて、青い瞳を細めて微笑した。
ヒラクが目を覚ましたのは、翌日の午後だった。
きちんと整えられた寝床でぐっすりと眠ったヒラクは、たまっていた疲れもずいぶんとれたように感じていた。
目を覚ましてみれば、かたわらにユピの姿はない。
部屋の外は静まり返り、城砦に到着したときとは打って変わって人の気配がまるでない。
窓の外から中庭を見ても大勢いた兵士たちの姿はどこにも見ることはできず、城内は閑散としていた。
「目が覚めたようだね」
ユピは部屋に入ってくると、柔らかな笑みを浮かべてヒラクを見た。
「おなかすいたよね? 朝食の用意ができているからおいで」
そう言って、ユピはヒラクを大広間へと案内しようとする。
「うん。でも、おれ、その前にヴェルダの御使い……いや、おばさんのところに行かなきゃ」
そう言って部屋を飛び出そうとするヒラクをユピは呼び止める。
「待って、ヒラク。僕も一緒に行くよ」
引き止められるのかと思ったヒラクはほっとしたようにユピを見た。
ヒラクとユピはヴェルダの御使いを残してきた部屋に戻った。
そこには誰もいなかった。
「どこに行っちゃったんだろう?」
ヒラクは不思議そうに言った。
「探そう」
ユピは優しくヒラクに言った。
ヒラクはユピの後について天守の中を歩いた。
どこもかしこも人の気配がまるでない。
「ねえ、なんかおかしいよ、ユピ。どうして誰もいないの?」
ヒラクはユピに尋ねるが、ユピは何も言わず、黙々と歩き続ける。
「ねえ、ユピ。どうして誰もいないの?」
ユピは足を止めて振り返り、困ったように笑った。
「みんなもう先に神帝国に行っちゃったんだよ。ヒラクがなかなか起きなかったから」
「じゃあヴェルダの
「……それは、神帝国に行ってみればわかるよ。とにかく今は食事をしよう。さあ、おいで」
ユピはヒラクの手を引いて歩きだした。
ヒラクの中でかすかに不安がよぎった。
それは、これから起こる悲劇を予知するものだった。
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