第37話 再会と警戒

 ヒラクたちがセーカを出立して数日が過ぎた。


 甦った砂漠の大地と南の地との境目は、いまやないにも等しかったが、雨が降っていたのは砂漠があった範囲だけだったようで、もとの大地に入ると少し空気が乾いているように感じられた。


 ヒラクたちは馬車の荷台に乗せられた。

 荷台は狭いが屋根もある。

 歩兵たちが汗と埃にまみれて朝から晩まで歩かされるのを見たヒラクは、自分たちの待遇がずいぶんといいようにも感じたが、先を急いでいるからだろうというカイルの言葉に納得した。


 セーカを出てから一週間後、ヒラクたちは城砦に到着した。

 城砦は丘の頂上に立ち、頑丈な城壁に囲まれていた。外壁に巡らされた塔の上には兵士たちの姿が見える。

 入れ子のように内側にもまた塔に囲まれた建物があり、内壁の塔の上にも何人もの見張り兵がいる。中庭には弓や槍を手にした兵団の姿も見られ、城内ははりつめたような緊迫感に満ちている。


「ここに神帝がいるのか……」


「ここは神帝国じゃない。セーカの見張り場のようなところだ。城壁から城外が一望でき、この辺一帯で働く狼神の旧信徒たちの監視もしている。城内の果樹園で働く信徒もいる。俺もここは来たことがある」


 カイルはヒラクに説明した。


「何でそんなところに連れてこられたの? 神帝国に行くんじゃないの?」


「静かにしろ」


 カイルの隣についた見張りの兵士がヒラクを咎める。

 ヒラクは兵士をにらみつけ、黙って城内を歩いた。


 カイルはヒラクとヴェルダの御使みつかいと引き離されて城門塔の留置房に放り込まれた。そこは頭上の小さな格子窓からわずかに光が差し込むだけの地下牢だ。鉄枠の扉は固く閉ざされ、暗くじめじめとした石壁に囲まれている。カイルはあきらめたように座り込んだ。


 日も暮れた頃、何者かが格子窓に近づきしゃがみこんでランプで中を照らした。

 カイルは眩しそうに目を細めて格子窓を見上げた。

 ランプを持った何者かはカイルの顔を確認すると、窓から離れて姿を消した。



 ヒラクとヴェルダの御使いは城内の内奥の天守の一室に案内された。

 二人を連れてきた兵士の丁重な扱いをヒラクは不審に思った。


「こちらでお待ち下さい」


 そう言い残して兵士は姿を消した。


 部屋には木製の机と椅子が置いてあり、出窓の横には鮮やかなタペストリーが掛けられている。特に自分たちを拘束するふうでもないことにヒラクは少し安堵したが、この先どうなるのかという不安もあった。


「これから一体どうなるんだろう……」


 ヒラクは心細げにヴェルダの御使いを見た。

 ヴェルダの御使いは幼子をあやすようにヒラクを優しく抱きしめた。


「大丈夫よ……」


 ちょうどその時、何者かが部屋に入ってきた。


「ユピ……?」


 ヒラクは目を疑った。


 そこにはシルクのシャツに黒のリボンタイをしたユピがいた。ひざ下ですぼまったズボンが隠れるほどの長さの紺色のジャケットをはおり、黒のブーツをはいている。


 見たこともないユピの格好にヒラクは戸惑った。

 だがその格好はアノイの衣服よりもユピに馴染んでいるような気がした。


 ユピはヒラクを抱きしめるヴェルダの御使いを見て眉をひそめた。

 だがすぐヒラクに目を移し、青い瞳を潤ませた。


「ヒラク……」


「ユピ!」 


 ヒラクはユピに駆け寄って胸の中に飛び込んだ。


「ユピ! ユピ!」


「ヒラク……、やっと、君に会えた」


 ユピは両手をヒラクの頬にあて顔を上向かせた。

 じっと自分をみつめるユピにヒラクは不安になって言う。


「おれ、すっかり変わったよね? 目の色も、髪も……。やっぱりおかしいかな……」


「ヒラクはヒラクだよ。僕にとっては何も変わらない」


 ユピは優しく微笑みかける。

 ヒラクはユピの態度にほっとした。

 けれどもヴェルダの御使いを一瞥したユピの瞳は氷の欠片のように鋭く冷たい。 

 ヴェルダの御使いはなぜか身の危険を感じてぞっとした。

 けれども次の瞬間、ユピは表情を一変させ、ヴェルダの御使いに微笑みかけた。


「少し、ヒラクと二人きりにしてもらえませんか?」


 そう言って、ユピはヒラクを連れて部屋を出て行こうとする。


「待って」


 ヴェルダの御使いは思わず二人を引き止めた。

 ヒラクは驚いてヴェルダの御使いを見た。


「ヒラク、行ってはいけない。私のそばから離れてはだめ」


 ヴェルダの御使いはユピに対して言い知れぬ恐怖のようなものを感じていた。


「だいじょうぶですよ。僕は神帝国の人間としてここにいる。ヒラクは安全です」


「どういうこと? ユピ」


 ヒラクはユピに尋ねた。


「うん、そのことで少し話があるんだ。おいで、ヒラク」


「行ってはだめよ、ヒラク」


 あくまで引きとめようとするヴェルダの御使いにユピは冷たいまなざしを向ける。


「なぜあなたはそこまで僕を警戒するのですか?」


「私には、ヒラクの母親の代わりにその子を守る義務がある」


 ヴェルダの御使いは敵愾心あらわにユピを見る。


「あの人は母さんの妹で、おれのおばさんになるんだ」


 ヒラクは二人の間でおろおろしながら、とりなすようにユピに言った。


「誰であろうと関係ない。ヒラクのそばにいるのは僕だけでいい」


 そう言うや、ユピはヴェルダの御使いに背を向けて、ヒラクの手をつかみ部屋を出た。

 ヴェルダの御使いもあわてて後を追おうとしたが、廊下にいた衛兵たちに止められた。


「ヒラク!」


 ヴェルダの御使いの声に振り返るヒラクの肩をユピはしっかりと抱いて耳元でささやいた。


「だいじょうぶだよ。話を済ませたら戻って安心させてあげればいい」


 その言葉を信じたヒラクはヴェルダの御使いに笑顔をみせた。


「すぐ戻るから、待っていて」


 それでもヴェルダの御使みつかいは不安そうな顔でヒラクをみつめていた。


 ヒラクがヴェルダの御使いを見たのはこのときが最後となった。


            


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