第35話 神を見抜く力

 甦った緑の大地が鮮血に染まる。

 黒装束の民は全員大地にたおれて動かない。


 一瞬の出来事に、カイルもシルキルもセミルたちも呆然とした。


 ヴェルダの御使みつかいとヒラクは足並みをそろえて近づいてくる兵士たちを瞬きもせずにみつめる。


「いやぁぁっっ!」


 アクリラは黒装束の民たちの無残な姿を見て絶叫した。


「落ちつけ、アクリラ!」


 カイルはアクリラを抱きしめて必死になだめようとするが、アクリラは錯乱状態だった。


 その時、ヒラクは弓兵隊の構える弓がアクリラを狙ったのを見た。


「やめろ!」


 だがそのヒラクの言葉と同時に、アクリラをかばうように神帝国の兵士たちの前に立ちはだかったのは、ヴェルダの御使みつかいだった。


「殺すなら私を殺せ。すべて私のせいだ……。プレーナ教徒を苦しめたのも、遊牧民たちを死なせたのも……。私がここに来なければこんなことにはならなかった……!」


 ヴェルダの御使みつかいは涙を流して叫んだ。


 彼らを指揮する兵隊長が兵士たちの中から進み出て、ヴェルダの御使いに歩み寄ってきた。


「緑の髪……おまえがそうか。いや、もう一人いるな。どっちだ?」


 隊長はヒラクに目をやった。

 ヒラクは隊長をにらみつける。


「なぜ殺した? なぜ殺したんだ、彼らを!」


 ヒラクは黒装束の民の死体を指差して神帝国の言語で叫んだ。


「ほう、言葉がわかるか。好都合だ」


 隊長は珍しそうにヒラクを見た。


「なぜ殺したか聞いている、答えろ!」


「プレーナは滅びた。それに従属するものもすべて消え失せるべきだ」


 隊長は冷たく言い放つ。


 ヒラクはユピ以外の神帝国人を初めて間近に見た。

 赤みを帯びた白い肌、筋の通った鼻、彫りの深い顔立ち、瞳の青さはユピと共通しているが、その目は鋭く、獲物を狙う猛禽類のようだとヒラクは思った。


「おれたちも消すつもりか?」


 ヒラクは怯えを悟られまいとするように、隊長の鋭いまなざしをじっと見据えて言った。だが言葉にすると声が震えた。

 隊長はそんなヒラクを嘲るように笑った。


「命乞いでもしてみるか?」


 その言葉にヒラクはカッとなり、隊長に飛びかかろうとした。

 隊長の後方の兵士たちが一斉に弓を構える。

 だがヒラクにつかみかかられた隊長が片手を上げて制止した。


「よせ、緑の髪の者は殺してはならない」


 兵士たちは弓を下ろした。


 隊長はヒラクに向き直って言う。


「安心しろ。命を奪ったりはしない。そのかわり、我らと共に来てもらう」


「どういうことだ?」


 ヒラクは隊長に聞き返した。


「我々はセーカ制圧のための先発隊だ。だが、セーカの民の中に緑の髪の者をみつけた場合は、後続の隊を待ち、神帝国へ引き返すことになっている」


「神帝の前に突き出す気か?」


 ヒラクはごくりとつばを飲んだ。

 隊長は何も言わず、代わりにカイルたちに呼びかけた。


「おい、おまえら、言葉はわかるか?」


 セミルたちは一声も出せない状態で、怯えながら何度もうなずいた。


「地下の民を全員ここに出せ」


 突然隊長の口から出た言葉に、セミルたちはどう反応していいのかわからない。


「俺たちをどうする気だ」


 カイルは気丈な態度で隊長に言った。

 カイルの腕の中のアクリラは、涙に濡れてうつろだった。

 そのそばでシルキルは体を震わせながらも、状況をしっかり把握しようと会話に耳をそばだて、その場全体に視線を配っていた。


「おとなしく従えば悪いようにはしない。だが、従わねば殺す。すでに食糧の供給路は断ってある。地下に閉じこもっても、渇きと飢えに苦しみながら死んでいくだけだ」


 神帝国の隊長は禽獣が獲物をなぶるような獰猛な顔つきで言った。


「……わかりました。皆を呼んできます」


 少し間を置いて、そう答えたのはシルキルだった。

 それからカイルにそっと耳打ちする。


「カイル、一度中に戻って考えよう。父さんにも知らせなければ」


 そしてカイルたちは奇岩群の中にある通気孔の見張り場から全員で中に戻ろうとした。

 だが隊長はそれを引き止めた。


「おい、一人はここに残れ。そうだな、おまえがいいだろう」


 隊長はカイルを指名する。


「変な考えを起こさないようにするんだな。南の出入り口はすでにこちらの監視下にある。あとはここだけだ。どのみち地下の者たちが出てこなければ、後続の隊が到着次第、こちらから潜入するというだけだ。その時は、おまえが道案内をしろ」


 反発心を抱いても、抵抗できるような状況ではなかった。

 カイルは仕方なく隊長の言うことに従い、アクリラをシルキルにあずけた。

 シルキルが機転を利かせ、女たちは女性が誘導しなければ動かないというような適当な理由をつけたことで、アクリラは地下に戻ることができた。


 隊長は鎧の上に白い外套を着た兵士を二人呼ぶと、ヒラクたちを見張らせて、自分はその場を離れ、他の兵士たちに遊牧民たちの死体を調べるよう指示した。


 遊牧民たちがまとっていた黒装束ははぎ取られ、神帝国の兵士たちに乱暴に扱われながら一人一人の死体があらためられた。

 自らを盾にしてたおれた母親の体の下から引きずり出された子どもの死体が物のように投げ捨てられる。

 放心した様子でその光景を見ているヴェルダの御使いにカイルが言う。


「何があったのか説明しろ。プレーナが滅んだってどういうことだ? 空から降る雨と甦る大地はセーカの民がプレーナの怒りから解放されたことを意味するのか?」


「プレーナの怒りなど初めからなかった……。罪の意識も、そのための救済も、聖地も、何もかもプレーナ教徒が作り出したものよ」


 ヴェルダの御使いは静かに答えた。カイルは怪訝な顔をする。


「意味がわからないな。そもそもプレーナなんていなかったってことか?」


「いえ……プレーナはいる。プレーナはあらゆる場所にいる。そうじゃなければ、私もまた救われない……」


 ヴェルダの御使いもアクリラと同じだった。

 プレーナの存在を否定することは、ヴェルダの御使いにもできないことだった。

 それは自分の存在理由さえ否定することになる。


「プレーナがいなくなったから大地が甦ったんじゃないのか?」


 カイルはなおも質問する。

 それにはヒラクが代わりに答えた。


「もとの状態に戻ったってだけだ。女神プレーナのもとの姿に。今ここにある大地は過去にもあったもので、砂漠になる前の大地そっくりそのままってことなんだ」


「さっぱりわからないが……。まあ何にしても、いきなり変化が起きたのはどういうわけだ? 何がきっかけでこんなことが起きた?」


 カイルは質問を変えた。

 そして今度はヴェルダの御使みつかいが答えた。


「ヒラクよ。これはヒラクにしかできなかったことだわ。この子には、神の真の姿を見抜く力があるのかもしれない」


「神の……真の姿?」


 ヒラクがきょとんとしていると、神帝国の二人の見張り兵のうちの一人がヒラクに視線を向けた。面頬つきの兜の下の顔は隠れて見えないが、何も言わずヒラクをじっと見ているように見える。

 神帝国ではヒラクたちの話している言語は「禁じられた言葉」とされていて、話せる者はほとんどいないという。だがその見張り兵はまるで聞き耳を立てているようにも見える。


「おい、静かにしろ」


 もう一人の兵士がヒラクに言うと、ヒラクをみつめていた兵士は前に向き直った。

 ヒラクたちはむっつりと黙り込んだ。

 だが少しするとヒラクは我慢できなくなって小声でカイルに尋ねた。


「ユピはどこにいるの?」


 カイルは見張りの男たちの様子を気にしながら答える。


「テラリオが神帝国に連れて行った」


「どうして!」


 ヒラクは大声をあげた。

 それと同時に神帝国の見張り兵の一人がヒラクに手をあげようとした。

 だが、もう一人の見張り兵が制止する。


「よせ」


 有無を言わさぬ口調だった。

 そしてその見張り兵はヒラクを再びじっと見た。


 これが運命の出会いとなっていたことを、この時のヒラクはまだ知らない。

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