182. 婚約破棄
「エフィリス、悪いが僕との婚約、破棄してくれ」
「……何故でございましょう?」
久しぶりにお会いしたクロス聖王太子殿下から、挨拶の次に飛び出た言葉に驚きが隠せません。「悪いが」という言葉の割に、表情はとても冷たく見えます。薄青色の髪から覗くグレーの瞳は極寒のよう。
「君も知っているだろう? 帝国が負けた。そのため君の妹と帝国第2皇子の婚約は白紙となったよ」
ここ、リアセイント聖王国は、古くから国全体に結界を張ることで永らえてきました。結界は魔物の侵入などを退けるばかりでなく外からの敵意も阻みます。この小国が領土戦争の絶えない紛争地帯で侵略の憂き目に遭わなかったのは、ひとえにこの結界のおかげと言えるでしょう。
しかし、この結界も良いことばかりと言う訳ではありません。人の行き来はできるものの敵意を持つ人間は聖王国に入ることができないため、自然と交流も少なくなり、ほぼ鎖国のような状況となっているのです。
そのため、外部との交流を盛んにしようと、まずは力のある西隣の帝国との結びつきを強化することになったのです。その足掛かりが聖女家系と帝国皇族の婚姻でした。しかし帝国が戦争に負けたため、思惑が外れたということなのでしょうか。
「まさか西の蛮国に敗れるとは思いもしなかった。蛮国は民が満足に食うこともできないほど荒れていたというのに、戦力だけはあったらしい」
西の蛮国……、ファルシアン王国でしたか。王妃教育の際に学んだ情報によりますと、国土は帝国よりも若干狭い程度、産業などに特色もなく、近年は不作により民が飢え荒廃した国ということでした。帝国と冷戦状態であったことから、近いうちに帝国に吸収されるのではと見られていた国です。
「それでだな……、その蛮国から婚姻の打診が来ている。相手は蛮国の王太子だそうだ。その相手にだな、お前を推薦することにした。行ってくれるな?」
「それは……、はい」
私に拒否権はありません。行けと言われれば行くしかないのです。妹が帝国に行きたいと言うので妹と代わりましたが、もともと帝国第2皇子とも私が婚約予定だったのです。それがファルシアン王国に代わっただけ。妹の婚約が白紙に戻ったということは、今後は妹が国に残り結界を張っていくのでしょう。
クロス聖王太子殿下にも元より特別な感情などありませんでした。私の生活は結界を維持するため光の玉に魔力を注ぐ作業、それを継続できるように魔力量を高める修行、そして王妃教育で埋まっていたのです。クロス聖王太子殿下にはお会いしたことすら、ほとんどありませんでした。
「出発は明日だ。準備しておけ。詳細は追って伝える」
そう言うとクロス聖王太子殿下はそのまま行ってしまわれました。それにしても明日とはなんとも急なことです。早くても冬が明けて春からの話かと思いましたが、雪が降る前に強行することになりますね。
しかし、いまいち理解が及びません。帝国が戦争に負けたため帝国第2皇子と妹の婚約が白紙になった、これは分かります。ファルシアン王国から婚約の打診、これも王国側に何らかの事情などがあるのでしょう。理解できなくはありません。しかし、そのお相手に私が選ばれる理由とは何でしょうか?
「あら、お姉さま。まだ国にいらしたのね?」
「マリー、戻ってきていたのですね。おかえりなさい」
春から帝国に行っていた妹が帰国していたとは。戦争があったと聞いて心配していましたが、元気そうで安心しました。
「せっかく大国の妃になれるって話だったのに嫌になっちゃうわ。贅沢生活を送る予定が全部パーよ。領土拡大も先の話になってしまうわね」
マリーが長く綺麗な金色の髪を指で弄りながら不貞腐れます。
「マリー、何を言っているの? ……領土拡大?」
「あら、知らなかったの? 今まで結界で国土を侵略されるようなことはなかったけど、逆に結界が邪魔で国土を広げられなかったって話よ。領土拡大に帝国を利用しようって話だったワケ」
妹があっけらかんと言い放ちます。なんてこと、帝国との結びつきは外部交流を盛り上げることが目的ではなかったのですね……。
「あげく
なるほど、だから私が選ばれたのですか。陛下はご存じなのでしょうか。いえ、あの方はあまり国政にご興味はないご様子。結界さえ維持できるのなら何も言わないでしょう。
帝国が戦争に負けたことで様々な国が少なからず国策の変更を余儀なくされているそうですが、ここ聖王国はそれ以上の転換期なのかもしれませんね。
それにしても、満足に食事もできない程荒廃した国ですか……。何か私にも復興のお力になることはできるのでしょうか。結界は光の玉が無ければ張れませんし。王妃教育で培った知識が役立てば良いのですが……。
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