170. 気合

 街の西側に展開しているエネルギア軍を観察する。エネルギアは砦に集結していた辺境伯軍を一気に破ってそのままの勢いで辺境伯都に迫ってきたらしい。その早さは砦の敗走兵よりも早いくらいだった。


 砦での戦は、戦と呼べないくらい一方的だったらしい。大魔術で1発。その1発で砦が破壊されたそうだ。辺境伯様の安否も不明である。砦を破壊しつくす程の大規模な魔術など見たことがない。シルエラですら広間1室を吹き飛ばすのが精一杯だろう。


 まさかエネルギアがここまで早く辺境伯都まで迫るとは誰も予想しておらず、辺境伯都の防衛はかなり手薄。軍に対する防衛など無いも等しい。


 周辺貴族の私兵は砦を目指していたため辺境伯都から微妙に遠く、すぐには来ることができない状況だ。急ぎ呼び寄せるよう知らせが出されたが、どんなに急いでも半日はかかるだろう。



「あれは……、効いておりますな」

「そうですね」


 街はそのままの勢いで蹂躙されると思われたが、それを救ったのは羊だった。辺境伯様が出発前に手配された約150匹の羊。幸いそれが間に合ったのだ。エネルギアの進軍に合わせて急いで羊を街の城壁外へ出したところ、エネルギアの進軍が止まった。


 辺境伯都の防衛戦力を警戒したのではなく、明らかに羊を警戒して止まったのだ。その証拠に、羊の群が気まぐれに移動するとそれに合わせてエネルギア軍が後退する。


「どうして羊を警戒しておるのでしょう?」

「分かりません。1つ言えることは、妖精様はこれを予想されていたのでしょう」


「なるほど、知略の妖精……。あまり信じてはおりませんでしたが、納得せざるを得ませんな。これで援軍が来るまで時間を稼げれば良いのですが……」


 援軍……。援軍が来たところでどうにかなるのだろうか。相手は1発で砦を破壊したのだ。人が何人居ようと魔術を発動されてしまえばその時点で負けが確定してしまうのではないか。


 しかし妖精様のおかげで時間を稼げている。この時間稼ぎが無意味であることはないだろう。と言うことは、ここから何か逆転の策もあるのだろうか。妖精様から齎され、この場にあるモノ……。私の結界、シルエラの攻撃魔術、瓶詰……はもうないか。あとは……、妖精様ドール。


 購入予約していた貴族に渡すために持ってきていた6体のドール。4体は道中で受け渡し済みで、1体は馬車襲撃の際に破損してしまった。残りの1体はエレットが所持している。しかし動かない妖精様ドールをどう戦闘に使えば良いのか。



「援軍が来ればこの状況を打開できますか?」


 禿頭とくとうの男に尋ねる。私が積極的に案を出すよりは、現場の人間にやらせた方が良いだろう。あまり出しゃばると昨日の会議の二の舞になる。お母様はあまり喋らずに家臣を思い通りに動かしていた。あの振る舞いが理想の王族なのかもしれない。


「こちらの残存兵と援軍で挟み撃ち、注意が逸れたところで大魔術を叩き込めば見込みがありますでしょう。姫様、そちらの侍女を借り受けたい」


 禿頭とくとうの男がシルエラを見る。シルエラとニーシェの魔術の腕は昨夜の内に披露済みだ。どのようにして挟み撃ちの状況に持っていくのかや、シルエラはどこから魔術を放つのかなど、気になる点がいくつかあるが、あまり詳細に口を出さない方が良いだろう。


「シルエラ、いけますか?」

わたくしは与えられた指示を遂行するまででございます」


「そう……」


 羊で稼げた時間が無駄になる筈がない。何故なら妖精様が考案されたからだ。その稼いだ時間で次に打てる手がシルエラの1撃と言うのならば、シルエラに任せるのが妖精様の思し召しなのかもしれない。きっとこの時のために、妖精様はシルエラに力を与えられたのだ。


「では、今よりエネルギア軍を撃破するまで、もしくはガルム期が明けるまで、この男の指揮下に入りなさい」


「承知致しました」



 方針は決まった。後は大人しくしておいた方が良いだろう。戦えない割に動き回る護衛対象ほど面倒な者も居ないだろうから。それにエレットも心配だ。エネルギアが攻めてきただけでショックを受けていたのに、今や父親と兄弟の安否すら分からず領都まで落とされそうになっている。精神的に参っているに違いない。


 ニーシェと護衛の近衛1人を連れてエレットの部屋を訪れると、案の定エレットは妖精様ドールを抱いて塞ぎ込んでいた。もうすぐ援軍が来るから大丈夫、辺境伯様もきっと生き延びておられる。そう励ますのだが、彼女も馬鹿ではない。望みが薄いことを理解しているのだろう。何も突出した能力のない年下の私が状況を把握できているのだから。



 ドガッ!


 不意に部屋のドアが室内に倒れ込んできた。外から蹴破られたのか? ドア前には私の護衛1人とエレットの護衛2人の計3人が警護していると言うのに?


 ドアを見やると護衛2人が驚いた顔で室内を覗き込んでいる。もう1人、私の護衛である近衛は走り出していた。遠くに魔術師らしきローブの男が見える。魔術攻撃でドアが吹き飛ばされたのか。


「我ニーシェが、ぐふッ!?」


 詠唱を始めたニーシェが突然吹き飛ばされた。何? 何が起こったというの!? よく見れば室内を覗き込んでいた2人の護衛も何時の間にか倒れていた。



「おい、2人いるぞ! どっちだ!?」

「そっちの娘だろう! そっちの方が姫っぽい雰囲気だ! それより妖精が居るぞ!? 情報と違う」


 室内に知らない声が響く。透明化か! しかも相手は2人以上。透明化無効の瓶詰はもうない。エレットの妖精様ドールを本物と勘違いしているようだが、どうする?



「きゃぁ!?」


 エレットの腕が釣り上げられたように不自然に上がる。狙いはエレットか。



「待ちなさい!」


 室内の調度品を手当たり次第に投げつけると、投げた物のいくつかが何かに当たったように軌道を変えた。3人居る!


「くそ、こいつ!」

「やっぱりこっちが姫だ。あんなクソガキが姫の筈ねぇ!」

「なら死ね!」


 一瞬私の周りに半透明のドームが現れる。どうやら攻撃されたらしい。それを妖精様の結界が防いでくれたのだ。


 さらに相手は気になることを言っている。どうもファルシアン王女である私を攫おうとして、間違ってエレットを連れて行こうとしているらしい。


 エレットが捕まれば状況はかなり面倒になる。人質にされてしまえば援軍の到着前に辺境伯都を素通りされる可能性が高い。エネルギアの要求を無視してエレットが犠牲になるようなことがあれば、そのような非道な判断を下したとして反感を買うだろう。そうでなくともエレットは助けたい。私の数少ない友人なのだから。


 しかし手がない。近衛は遠く、ニーシェと護衛2人は倒れたまま。他にエレット付きの侍女も居るが戦力にはならないだろう。私に力があれば、魔術が使えていれば……。いや、魔術師団長は何と言っていた?


 ――絶体絶命の危機に、気合でズドン


 助走をつけて転がりニーシェの魔術杖を拾い上げる。良かった、ニーシェも息はあるようだ。気合、気合だ! エレットはもう扉まで引きずられている。気合があれば魔術は撃てる!


「はあああ、気合だああああああああああああッ!!」


 ドン!


 出た! エレットを引っ張っていたであろう男が吹き飛び、床に転がった状態で姿を現す。


「な!? このガキ魔術師だぞ!」

「しかも無詠唱だと!?」


 消えていた半透明のドームが明滅する。どうやらまた攻撃を受けたらしい。しかし心配はない。もう相手に逃げ場はないのだから。戻ってきた近衛が出口を塞ぐ。


「姫様、エレット様、大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありません」


「状況は?」

「透明化した敵があと2人は居ます。いけますか?」


「ええ、全く問題ありません・・・・・・・・・絶対大丈夫・・・・・ですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る