169. 停止
確かに……、羊じゃのぅ。
魔術大国随一、世界屈指の魔術師と言われるまでのし上がったワシは、その過程で様々な知識を吸収してきた。じゃが都市防衛目的で羊の群を放つなど聞いたことがない。斥候から報告を受けた際は何を馬鹿なと思ったもんじゃが、目の前には確かに羊の群が放たれておった。
ガルム期の闇に紛れて国境を越え、道中の砦は大規模魔術で破壊、スピード重視で辺境伯都まで止まることなく進んできたと言うに、その勢いをまさか意味の分からぬ羊ごときに止められるとは思っておらんかった。ワシには時間が残っておらんと言うに、口惜しい。
「ファルシアンではガルム期に放牧するのが普通なのか?」
「いえ、そのようなこと聞いたことがありません。畜産業においては我が国と大した違いはなかった筈でございます。それに、数日前の偵察では辺境伯都付近に羊などおりませんでした」
であれば今の時期、羊は畜舎に入れておる筈じゃ。偶然羊が放牧されておる訳ではなかろう。しかし、どういう意図じゃ?
「羊など我が軍にとって何の障害にもなりません。蹴散らして進めば宜しいのでは?」
「ふん、それができれば楽なんじゃがな……。おそらく件の妖精が関わっておる。そうでなければ羊を配置するような突飛な策は出てこんじゃろ。妖精が関わっておった場合、不用意に手を出せばどれ程痛手を受けるか分かったもんじゃないわ」
「……左様で」
理解しておらん顔だな。拘束したファルシアン冒険者ギルド前ギルドマスターの話が本当なら、これまで我々と帝国で仕掛けてきた様々な工作はことごとく妖精に邪魔されたことになる。それも常人どころかワシのような賢人ですら理解の及ばぬ奇行によってじゃ。
そんな妖精が関わっておる可能性を考慮するに、どんなに珍妙で無意味に思える相手でも迂闊には動けん。
それなりに時間を掛けて進めたファルシアン北側貴族の洗脳もいつの間にやら解けておった。いずれ攻め入ることを視野に、ファルシアン辺境伯夫人を亡き者にし、残った娘を失明させることで辺境伯の気力も削いでいたというに、その娘も妖精が治癒したそうじゃ。完全な失明からの回復など人の力では成しえないのじゃが……。おかげで想定よりも進軍が遅い。
挙句の果てにこの始末。ワシは自身の腕を見る。やはりそれほど時間は残されておらんようだ。
「恩師様、羊の群がこちらに膨れてきたようで」
「むぅ……。何が起こるか分からん、少し後退させろ」
何か良い案はないものかのぅ。最終的にはワシだけがファルシアン王都まで転移するという手もある。幸い王都付近に大規模召喚陣も設置済みじゃ。召喚儀式に必要な人員も既に現地に待機させておる。今の体力で大規模召喚を実現させるには、多少命が削れるかもしれんが致し方ない。
「恩師様、新たな情報です」
「なんじゃ?」
「どうやら辺境伯邸にファルシアン第一王女が滞在しているとのこと。人質に取ることができれば進軍もスムーズになりましょう」
「第一王女……、半年前に来たという小娘か。なるほど、任せよう。ファルシアンの小娘をここに連れてくるのじゃ」
「はッ!」
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