009. 雨

 その夜、待望のしっかりとした雨が降りました。

侍女を務めておりますわたくしは、雨が降り始めたことを侍女長様に報告にあがるため廊下を足早に進んでおりました。


 そんなわたくしの目の前に、急に壁から光の球が飛び出して来たのです。


「よ、妖精っ!?」


 わたくしは目を見開き驚愕しました。薄暗い廊下で光り輝いていたため、まぶしすぎて逆によく見えませんでしたが、絵本に描かれるような妖精そのままの容姿の物体が浮いていたのです。

わたくしに気付いた妖精のような光の球は、弾けたように飛んで行ってしまいました。


 報告内容が増えたとわたくしは急いで侍女長様のもとへ向かい、事情を説明して2人で鳥籠を用意しておりますと、何やら城内が騒がしくなって参りました。どうやら先ほどの妖精のような光の球が城内を飛び回っているようで、それを追いかける衛兵達が騒いでいるようです。


 あれほど光り輝いていたのですから行く先々で発見されたことでしょう。気付けば多くの者達が走り回っております。普段では王城内を走るなど、はしたないやら常識がないやらとひたすら嫌味を言われることでしょうに、この時ばかりは衛兵も騎士も魔術師も、文官も侍女も女中も下女も下男も私共も、誰から誰まで走りまわられており、上へ下への大騒ぎでございます。比喩ではなくあの光の球は床を抜け天井を抜け、文字通り上へ下へと飛び回っているようなのです。


 周りを見てオロオロする者や、やれあっちだ いやこっちだと錯綜する指示。光の玉が床を抜けると階段を駆け降り、天井を越えると引き返し、壁を越えるとその部屋主が捜索隊に加わり人が増え、今やこの王城内で走っていない者はいないのではないかという大騒動です。



「おじゃーっ!!」


 遠くの方から魔術師団長様のお叫びが轟きました。何かの魔術をご使用されたのでしょう。魔術師団長様はお歳のため戦線に赴かれるようなことはなくなりましたが、それでも無詠唱で様々な魔術を行使なされる優れたお方です。ただ、魔術の行使の際に奇声を発せられる癖をお持ちのため、魔術師団長様が魔術をご使用された場合はそのお声で遠くからでも判るのでした。



 息を整えわたくしがその場へ向かうと光の球…、いえ、やはり妖精ですね。妖精は床に崩れ落ちておりました。魔術師団長様の何かしらの魔術の影響でしょうか、放心状態のようです。皆が固唾を呑んで見守る中、恐る恐る近付いてみますと妖精はこちらを見上げてきました。


 逃げられないようにそぉっと鳥籠を近付け、わたくしは妖精が混乱から回復する前になんとか鳥籠へ捕らえることに成功したのでした。




「待ちなさい! あなた! その妖精様をすぐに解放するのです!」


なんとティレス第一王女殿下がアーランド王太子殿下と共にこちらへ走って来られました。王女殿下の全力疾走など、わたくし初めて見てしまいましたわ。せっかく捕獲した妖精……、妖精様でしたが、王女殿下の指示に逆らう訳には参りません。わたくしは鳥籠の扉を開放し、妖精様が出ていきやすいように扉を自身と反対に向けて籠を掲げました。



 ……しかし、しばらく待ってみましたが妖精様が籠から出て来られることはありません。膝立ちでなにやらしきりに頭を縦にふって何かを訴えておられるようです。


「王女殿下、どうやら出て来られないようです。如何様に致しましょうか?」


「……」

王女殿下が無言で妖精様に人差し指を近づけますと、妖精様はそれに応えるように右手を王女殿下の指に乗せました。そして王女殿下の顔をじっと見つめられます。


 王女殿下も妖精様の意図をご理解なされていないのでしょう、首を傾げられました。その際に王女殿下の指がわずかに動き、妖精様はすかさず右手を引っ込めて左手を乗せられました。


 まわりで見守る大勢の人間も、この居たたまれない雰囲気に耐えられなかったのでしょう。まず下男下女からこの場を離れ、持ち場を放棄してきたであろう衛兵や侍女達も離れていきます。


 報告の義務があるからか何人かの衛兵と文官、そして興味本位からか魔術師3人、わたくしと侍女長、王女殿下と王太子殿下がこの場に残りました。



「この妖精様は私の命の恩人です。また、この国の救世主かもしれないのです。丁重にもてなしなさい」


「ティレス、それはどういうことだい?」

王太子殿下が王女殿下に問いかけられました。


「簡単な知らせは事前に走らせましたが、帰ってきたばかりで報告が遅れておりました。道中で野盗に襲われた件はご存じでしょう? 実はその際、護衛達が倒れ最早これまでというところまで追い詰められたのです」


「なんだって? しかし護衛騎士に負傷者が出た報告は聞いていないよ?」


「ええ、護衛の負傷は妖精様が癒してくださいました。それだけではありません、護衛を強化してくださり野盗打倒に貢献、さらには西の森から王都までの田畑を回復までしてくださったのです!」


「田畑を回復だって!? それが本当なら食料問題がいっきに解決するじゃないか!」

王太子殿下は驚愕の表情で語気が強まりました。



 そう言えば、このような大捕物が発生してしまいましたので、まだ王太子殿下までは伝わっていないのでしょう。

「王太子殿下、発言を宜しいでしょうか?」



「ああ、なんだい?」


「先ほど雨が強めに降り出しました。ちょうどこの大捕物が起こる少し前でございます」


「なんだって!?」

王太子殿下が窓際まで駆けて行かれます。本当ははしたないことでございますが、先程まで皆散々走りまわっておられたのです。今更でしょう。


「本当だ! 雨が降っている!! いつもの弱い雨じゃない、ちゃんとした雨だ!

これで不作も大分改善するだろう、これも妖精様のおかげなのかい、ティレス?」


「そこまでは分かりませんが、その可能性は高いでしょう。私たちの悩みを妖精様が感じ取り、雨を呼んでくださったのだと思います」


「そうか……、そうか! でかしたぞティレス! 何が『駄目でした』だ、大手柄じゃないか! これで肩の荷が下りる」


「ありがとうございます。それで、妖精様をお母様のもとにお連れしたいのですが……。妖精様は癒しの力をお持ちです。きっとお母様のご病気も治して頂けると思うのです」


「ああ、それはいい考えだね」



 王太子殿下の同意に対し、これまで無言で見守っておられた魔術師団長様が意見されます。

「まぁまぁ、待たれよ。すでに今宵は更けておるし、幸い王妃様の様態も今日明日ですぐに悪化するような状況ではないですじゃ。 姫様も先ほど戻られたばかり、とりあえず今日はゆっくり休んで明日にしては如何ですかな?」



「……そうですね、お母様の主治医でもあるあなたが言うのならそうなのでしょう。多少気が急いていたようです。確かにこのような夜更けに病床のお母様を訪ねる訳にはいきませんね」


「よし、では明日妖精様を母上のもとへお連れしよう。予定は私の方で調整しておく」


「お願いします、お兄様」



 どうやら、ようやくこの騒動にも終止符が打たれるようですね……。

ところで、そろそろ籠を下ろしても宜しいでしょうか。籠を掲げたままのわたくしの腕はすでに限界を迎え、プルプルと震えているのでした。


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