第5話

「諸将よ、作戦は事前に説明した通りだ。おそらく敵の大軍が攻撃できる機会は一度だけ、相手に正気が残っていれば無理してまで再攻撃はしてこないはずだ。だから、耐えてくれ。絶対に前に出てはダメだ。あなたたちの戦いの作法に反することは知っているが、それでは勝てないと思う。」


 年の明けた一月十日、ベルンハルトらは総力を結集して作り上げた防衛線に数多の兵士と置けるだけの武器弾薬を搬入して、眼前に迫るウンガル人の襲来に備えていた。偵察隊は日を追うごとに短い間隔で敵の位置を知らせてくる。戦いが起こるのは明白である。


 あまり似合わない鋼の鎧を着込んだ若き大将は六鎮の当主をはじめ軍に参集した有力貴族・騎士に向けて威勢のいい演説をしている。側には不可解な笑みを浮かべるあの女はいない。もはや彼は一人でも貴族の一員としての責務を果たせるようになったのだ。


 そして正午、北から敵はやってきた。そこを通らねば南侵できないできないことに勘づき、致し方なく正面衝突することを選んだ。猛烈な騎馬の嵐が押し寄せてくる。


「さあ射って射って射ちまくれ!! 矢はいくらでもあるぞ!!」


 包囲を気にせずによい陣形、狭隘な地形、精強な弓兵、ベルンハルトは思いおきなくクロスボウ兵を指揮している。この局面に至っては小手先の戦術は意味を成さず、体力の限界を超えてでも立ち上がって矢を放ち続けるしか勝ち筋はない。肌の色も異なり、ひどく訛った方言を話す現地兵に彼は全身全霊を込めて鼓舞していた。


 戦場はまさしく血の川とも呼ぶべき惨事だった。所狭しと配置された小道具は騎馬兵の速度を崩し、落馬させ、ひいては後方にも混乱を与える。ようやく一つを突破したと思えば次の罠が容赦なく襲いかかってくる。塹壕の手前にやってきた頃にはほとんど疲労困憊の状態だった。


 クロスボウおよび弓兵を最大限活用して敵陣の中ごろに射掛け、距離といい、威力といい、位置どりといい、すべてが仕組まれた防御陣に無策にも突っ込んできたウンガル人はなすすべなく屍を積み上げていくばかりだった。


 射撃が始まってから三十分、ウンガル人の指揮官は一時撤退を選んだ。被害が大きくなりすぎていた。


「騎兵隊! 追撃せよ!」


 ベルンハルトの叫び声に合わせてラッパの音が青空に響き、これを待っていましたと言わんばかりに六鎮の主力騎兵隊が塹壕陣を飛び出していった。


 戦術は防御に徹するが、相手に完全退却を強いるまでは終われない。硬い要塞というだけでなく、積極性も示してやる必要があった。


 ウンガルの騎兵は大軍ということもあって各部族の混成部隊であり、撤退に整然さは見られない。味方が味方を踏み潰し、四方に散って逃げていく。それを日頃の鬱憤を晴らすつもりで騎兵隊は追撃した。


 そして追撃が成功し、逆上して反転してきたならば速やかに撤退。再び矢の雨を浴びさせる体勢へと盤面は元に戻ってしまった。こうなってくるとあとは持久戦の様相を呈してくる。


 ベルンハルトの狙いはこれだった。遊牧民の大軍は略奪できなければ補給が乏しく、長期的な戦争はできない。もとより本格的な戦争の用意をしていないのだから一層。


さらにウンガル人の王は求心力を保つためにもこれ以上の敗北を望まないだろう。となれば撤退しか道はない。


 一方で敵を挑発して更なる敗北をプレゼントしようとして戦況の打開をしようともしていた。フィリア曰く一週間以内に戦いを終わらせてほしいとのことだ。彼女は何やら陰謀を企んでいるようだ。


 開戦三日目、敵の様子に変化がみられた。本来なら王の号令に従って出撃をするはずの軍の一部が独自に攻撃を開始したのである。しかし容易く迎撃され、血が大地を濡らしただけであった。


 だがこのような越権の傾向は続いた。王の権威が衰え、挑発に怒った部族長が勝手に攻め寄せて、失敗する。これが何度も起こるととうとう敵軍の崩壊が発生した。


 夜中に密かに陣を畳んで撤退する様子を見届けた六鎮軍は勝ちどきを挙げた。ベルンハルトの号令に合わせて圧倒的勝利を祝ったのである。







 北の辺境で真冬の激戦が繰り広げられていた頃、帝都ではある事件が発生していた。


「そのようなことは私を陥れようとする陰謀に他なりません!! 賢明なる我が君よ、どうかお信じくださいませ」


「だが貴公のことを讒言する声は多数である」


 帝都の宮廷で老皇帝に問い詰められていたのはベルンハルトの兄、ラインハルトだ。謀反の容疑でこの一ヶ月の間忙しく弁明していた。


「我が家はッ、建国以来陛下と皇室に忠実にお仕えしてきたでありませんか。私の代でその伝統が終わるわけがございません」


「……何?」


 やかましいラインハルトの声の傍ら、皇帝の耳に急の知らせを届ける者がいた。耳元で囁いた言葉は匿名の密告者が告げた謀反が今に発生しているということだった。


「公よ、北の地にウンガル人が侵攻しているという報が今入った。これはどういうことか。弁明できるものならしてみよ!」


「ぐ、偶然でしょう」


「どうやらウンガル人と戦っているのは公の弟という話だ。先の騒動で弟を追放したと聞いているが、もしやそれを殺すために企てたか」


「私は弟を殺すような冷血漢ではありません。それに殺すために国を危機に陥れるような真似はせぬでしょう」


「まあ公がいくらこの場で言い訳をしようとも容疑が晴れたわけではない。拘禁せよ」


「お待ちください!!」


 これがラインハルトの最期だった。帝国随一の名門、その当主としての人生はここで終わりを告げることになる。


 しかもそれは憎たらしい弟の手によるものだった。

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