第2話

 数日後、二人は封地のノルデンラントに到着した。帝都では夏の盛りでも北の果てでは風が冷たく、獣のコートを着ていても首元から入ってくる風で体が震える。


「なんてことだ。兄は前から性根の腐った野郎だと思っていたが、これほどとは思わなかった! 俺を殺したいなら刺客を放てばよいものを」


「聞かれてはかないません。どうか、抑えて」


「す、すまない。だが見てみろ。これに怒らずして何に怒る」


 元々はベルンハルトの兄、ラインハルトが最近継いだばかりのビューロー公爵家の北辺領地であるノルデンラントはど田舎で、統治というものが必要なのかと疑うほど人も少なく、貧しい。


ただでさえ苦労しそうなのに現地の代官屋敷を訪れてみるとさらに目を丸くする。屋敷の内は荒らされていて、大切な台帳や記録が散乱していたのだ。すでに空っぽな屋敷が盗賊や現地住民の手によって荒らされたのか、それとも代官が意図的にそうしたのか。


答えは明らかだった。当面の統治に必要な金は屋敷の地下の金庫に隠されていた。他の金目のものもなくなっていなかった。つまりは代官がその意思で、またはラインハルトの指図で本棚を倒したり書類をばら撒いたりしたというわけだ。


「ではまずはお片づけから始めましょう。一応体裁を整えておきませんと有力者と会うこともままなりません」


「わかった。俺は何をしたらいい?」


「……それでは家具の処理をお願いします。私は小物を整頓しておきます」


「任せておけ。これでも俺は男だからな」


 数日前とは打って変わって積極的なベルンハルトに喜びを覚えつつその表情を隠すためにしおらしくするフィリアは華麗に身を翻し、手当たり次第に書類を拾っていった。実家が破産した経験のある彼女は数字を見極める意味を理解している。


「っとになんてことをしてくれる。邪魔ばかりしやがって」


 フィリアには止めろと言われても兄に対する不満はとめどなく溢れる。自分を殺す勇気もなく、体よく追放するためにこんな田舎に封じたくせに妨害だ。肝が小さいとかそういう話ではもはやない。


体を震わせ、まずい飯を胃に流し込むたびに憎悪は大きく膨れ上がっていた。一発殴りたいという想いは殺してやりたいという想いに姿を変え、そのためにはなんだってできそうな心持ちである。


 とはいえ今は雌伏の時。チャンスを待って大人しくしている他ない。目の前の壁を一つ一つ取り除いていく他ないのである。


散らかしていった重い家具を元に戻して見れる形にまで戻すと、久しぶりに体を酷使したため疲労がどっと彼を襲い、そのままソファに眠り落ちてしまった。毛布も掛けずに寝ているところを発見されたのは二時間もあとのことだった。


 その間フィリアは大きな発見をしていた。


「まさか……ビューロー家がこんな悪手を打っていたなんて。六鎮の力を借りてどうにかしようと思っていたけれど、それは難しいかもしれない……」


 帳簿と戸籍台帳を取りまとめて厳重に保管した後、彼女が漁ったのは代官執務室の机だ。重大な手紙の類がないか探していたのである。


そこでみつけたのは執筆途中で放棄されたと思われる文書だ。宛先はさらに北、草原の覇者と恐れられるウンガル人の一部族に対するものだった。彼女を驚嘆させたのはその内容にある。


 手紙が伝えるところによると、今後三年間の越境攻撃はその罪を不問とし、賠償を求めない、とのことだ。つまりこれは略奪しまくってその中でベルンハルトを殺してくれと言っているようなものだ。北辺全体がビューロー家の領地であるためできるごり押し戦術ではあるが。


 もしこんなことが帝国政府に知られればビューロー家は大逆の罪で取り潰しになるかもしれない。だが公爵家のことなんてハナからどうでもいいフィリアにとってこれは擦り切れるまで使い潰せる発見だった。扱いは難しいが、帝国政府、公爵家、六鎮すべてを手玉にとれるかもしれない。そう思うと彼女の冴えた頭は次に何を具申しようか考え始めていた。


「ベルンハルトさま!! 天は悪を滅し、善を助けようとしていらっしゃいます!!」


 狂気を帯びた叫びは決して冗談ではなかった。深く思索にはまるうちに悪魔のような作戦を思いついたからだった。可哀想な主第一の作戦が成功すれば公爵ラインハルトはすべてを失い、ベルンハルトがすべてを手に入れることになるだろう、と。

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