追放公子の復帰録

@Reich

第1話

「ああ、本当に……感慨深いなあ」


「閣下、お体に触りますからあちらへ」


「お前はよく俺についてきたものだな。今では俺の名を覚えているのはどれだけいるものか」


「身寄りがありませんもので。閣下が北の辺境に封じられたと耳にした時、機会があればお供して申し上げようと思いました」


 寒々とした星空の下に若い男女が二人。一人は貴族の装いをしており、一人は女中の装いをしている。だがどちらも見るからに高貴な雰囲気を漂わせていて、辺鄙な田舎にはとても似合わない。


「感じるんだ。俺は一週間前までは帝都の公爵邸でぬくぬくと暮らしていた。美味いものを食って好きなことをして、何不自由しない生活をしていた。だが今では田舎の男爵や騎士にも劣る暮らしだ。ノルデン地方とはもっと寒いとも聞く。俺には想像できないよ、どんな世界が広がっているのか」


「どんなところにも人は住んでいます。困難があろうとも住めないことはないのです。住めば都とも申しますし、恐れる必要はないでしょう」


「フィリア、お前はそう言うが北の辺境というのは遊牧民が襲ってくることで有名なんだ。まともにありもしない兵士でどう戦えと。俺は二つの災害と戦わなければならないんだ。この恐怖、お前にわかるか?」


「閣下の悪い癖ですね。何もかも一人で抱え込まれようとするのは。脅威があるならば強い者に身を寄せればよいだけです」


「降れ、と?」


「いいえ。地元の力に頼るのです。確か有力な貴族がおりましたね」


「六鎮がいるな。何を考えているかわからない野蛮人だ」


 フィリアと呼ばれた少女は主ベルンハルト・ローエンハルトの悩ましい言葉に答えかねて、少し考え込むふりをする。'元'貴族の彼女にも多少の政略はわかるし、苦労してきた身として経験だけなら随分と上だ。


 焚き火をじっと見つめて再びベルンハルトに向き直ると彼女は問うた。


「閣下は、帝都に戻りたいのですか?」


「無論、言うまでもない。こんなところは俺のいるべきところではない。帝室に連なる名家の末裔が辺地に赴くなど……あってはならないことだ。父上が存命でいらっしゃれば斯くも愚かな差配はお認めにならなかっただろう」


「公爵様のせいだと」


「兄ーー今ではそうも呼びたくないあの男が俺に嫉妬してこんなことをしたんだ。いずれ舞い戻ってあの憎たらしい面に一発、二発くらいはくれてやりたい」


「でしたら腹を決めなさりませ。すべては閣下の思うままに、しかし閣下がやると言わねば誰もついては来ませぬ」


「だがなあ……身をやつすわけには参らん。高貴なる者が下賎な者と同じ暮らしをするなどと、兄を倒すどころか笑われてしまう」


「冗談はよしてくださいッ!!」


 目をカッと開いて眼前の少女を見つめるはまるで夢から覚めたような思い。見たこともない怒りの形相と右の頬に赤く残る平手打ちの痕がそれを何よりも示している。


艶やかな金髪を振り乱し、烈火の如く燃える瞳はその意志の強さを表していた。煮え切らない主人の考えを聞いて殴りたくなってしまったのだ。待ち続けて得られるものは何一つとしてない。短く濃い人生経験はそのように訴えていた。


「お前……」


「私は閣下のことを思ってッ、こんな無礼な真似をし申し上げているのです。私の手は閣下を殴るためにあらず、閣下に奉仕するためにあるのです。ですが主が道を誤った時にはそれを正すのも家臣の役目、万死に値する行いをお許しください」


「まあいい。今の俺はお前がいないと何もできない役立たずだ。だがそれが、お前の本性か」


「閣下を思えばこそ」


「本当に、このところお前、フィリアという人間がわからなくなってくる。もしお前が男だったら、と思うことが何度あったことか。名を残す人間になっただろう」


「そこまでお褒めくださるとは歓喜の極みにございます。ですが臣下を褒めすぎるのは下手というものです。一介の女中ごとき、適当に扱えばよろしい」


 いやしくも追放前ならば即座に首が飛んでいたであろう直訴はベルンハルトを驚かせはしたものの、怒らせはしなかった。否、弱った彼の気持ちは彼女を罰しようとさえ思わなかったのだ。


 流刑同然の扱いだというのに、分をわきまえた優秀な家臣の存在はまるで彼の行く末を暗示しているよう。彼女は自身の命を顧みずベルンハルトを助けるだろう。彼女もそういう意味では帝都のネジが外れた連中と変わらなかった。


「さて、そろそろお休みになってください。明日も早いです」


「ああわかったよ。病気にだけはなりたくないからな」


「そうですね」


 笑顔を崩さないフィリアを前にしていると、彼女が何を考え、何をしようとしているのかわからなくなる。実際は猫を被っていたフィリアならなんでもしてしまいそうだーーそれこそ政治だって任せられそうな気がしてくるのだ。魔法使いのように病気を治してしまうかもしれない。


 月も高く昇る時刻であったからベルンハルトはすぐ眠りに落ちた。慣れない長旅と将来への不安は過大なストレスとしてのしかかっている。


 フィリアは無防備なベルンハルトの様子を見てふと一言。


「ああ……哀れなこと。皆に見捨てられて死にに向かうなんて。せめて私だけは……」


 見下す視線は慈母のような温かいものかと思えば、口元は歪んで月光に照らされるのは美女の面影もない醜女の姿だった。彼女の隠してきた本性とは、まさにそのような形をしていた。



 

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