第54話 勇者モニカ
本陣前の、樹々が少し開けた広場。
私はそこで腕を組み、ただ試合が始まるのを待っていた。これまでの試合とは違い、出場する日本の選手達が全員、配置に付かずにここに集合している。
学生同士の競技会なんて。
当初はそう思っていた私だけれど、いざその場に立ってみるとなかなかどうして悪くない。決勝戦ということもあるのだろうけれど、選手達の緊迫した空気がこちらまで伝わってくるような、そんな空気だった。
唐突に現れ、聖の鶴の一声で交代選手として捩じ込まれた、そんな私を訝しんでいる生徒も多い。それに加えて試合直前での作戦変更だ。彼等の気持ちも分からないではない。
指揮官は変わらず聖が請け負う。それは予定通り。逆を言えば、そこだけが予定通りだ。当初の作戦では聖とモニカ・ラブレットをぶつけ、その間に周囲の選手をツーマンセルで倒していく、謂わば正攻法をとる予定だったらしい。
けれど私が入ったことで、聖の立てた作戦は随分と大味なものに代わっていた。それがつまりは、敵本陣の制圧である。
私が実際に戦っているところを見たことのない聖が、最初に私に聞いてきたことは『何が出来る?』だった。作戦に参加する、その個々人の能力を知っていなければ作戦の立てようがない。故に彼女の問は至極真っ当だと言えるだろう。
そして私の返答は『何でも』だ。
本陣を守っていろと言うのならそうするし、全員潰せと言われればそうする。だから私は逆に問いかけた。『何をして欲しいのか言って頂戴。出来ないことなら無理だと言うわ』と。事ここに至り、私は全力───本気という意味ではない───を出すつもりで居た。何を企んでいるのかは知らないけれど、お母様もそうして欲しいみたいだから。
そんな私の言葉を受けて、まるで悪戯でも仕掛けるかのように聖が出したオーダーが『じゃあとりあえず、半分減らせる?』であった。
雑も雑、一つ前の試合での緻密な作戦は一体何だったのかと言いたくなるような、そんな注文だった。
そうして出来上がったのがこの布陣。
聖の作戦を要約すればこうだ。まずは私が敵を半分リタイアさせる。その後、他の選手達が両サイドから攻め上がって本陣へ。私はそのまま前進してモニカの相手をする。
直截に言って、こんなものは作戦でもなんでもない。そもそも私を何だと思っているのだろうか。まず私が半分リタイアさせる、とは一体どういうことだ。雑にも程がある。信用してくれるのはいいけれど、根拠に乏しすぎる。周囲の生徒達の不満そうな顔がそれを物語っている。こんな突っ込みどころの多い、否、突っ込みどころしかない戦術に誰が従うというのだろうか。
けれど、そんな私の考えとは裏腹に、生徒たちは渋々ながらも聖の指示にしたがった。恐怖政治か何かだろうか?彼女の人望が厚いということは察していたけれど、こんなものに従うのは流石に如何なものだろう。
ちらりと隣を見れば、この馬鹿げた作戦を立案した張本人がこちらを向いてウィンクを飛ばしてくる。反対方向へ目を向ければ、その妹が親指を立てて阿呆のような笑顔を向けてくる。となりでは純麗が心配そうな瞳でこちらを見ていた。
「はぁ・・・やればいいんでしょう、やれば」
迷惑な姉妹に呆れたところで、丁度試合開始のブザーが鳴り響いた。
周囲の視線が私へと集中するのが嫌でも伝わる。そう心配しなくても、私だってここに立った以上は負けるつもりなんて無い。
私の
「"
使うのは足だけでいい。腕を組んだまま、
つい先日、北海道で行った
「"
地面を踏みしめる、という程の力は必要ない。ただほんの少し、つま先で地面を蹴る程度でいい。お母様曰く、『何人か殺してしまっても気にするな』とのことだけれど、流石にそんなつもりはなかった。
* * *
アメリカ側陣地の最前列。
左右に広く展開したアメリカチーム前衛、その中央より少し後ろでモニカは配置に着いていた。アメリカ側も当初の日本と同様、正攻法で戦う算段でいた。どの国も殲滅戦に於いては基本的にツーマンセルを組むことが多いが、彼女にペアは居なかった。
モニカに与えられた指示は一つだけ。後ろのことはチームに任せ、白雪聖を抑え込むこと。それだけだった。
日本もそう考えている筈で、むしろそうでなければこの試合は成り立たない。モニカと聖が互いに好き放題暴れて終わる、それだけの戦いになってしまう。
今か今かと試合開始の合図を待つモニカは、ふと先程の会話を思い出した。それは入場前の出来事。会場から移動するため地下道へと向かうモニカに、あのエリカ・E・スプリングフィールドが声をかけてくれたのだ。彼女が選手に激励の言葉をかけるなど、今まで一度も無かったはずだ。
とても意外で、しかし彼女にとっては何よりも嬉しい激励だった。彼女に憧れてこの道を志したモニカからすれば、それは何にも代えがたい力となった。けれどそんなエリカの去り際に放った一言が、こうして試合開始を目前に控えたモニカの頭の中をぐるぐると回っていた。
『まぁ、一度負けておくのも大事デスよ』
言葉の意味は理解らない。けれど、その一言が頭の中にこびり付いて離れない。自分は万全の状態で、仲間達の士気も高い。二連覇へ向けての心構えはずっと前からしてある。対して、相手はエースを一人失っている。彼の試合はモニカも見ていたが、確かにに見事な実力だった。代わりの選手がいるとはいえ、彼の代役はそうそう務まらないだろう。
ならば一体何故、何が、何処が私達の敗北に繋がるというのか。エリカなりの忠告か何かだったのだろうか。
モニカはそんな一抹の不安を、試合開始のブザーと共に頭の隅へと追いやった。今は考える必要はない。ただ勝つことだけを考えろ。そう自分に言い聞かせて。
そうしてモニカが駆け出そうとしたその瞬間だった。
最初に聞こえたのは、金属が無理矢理捻じ曲げられたかのような、歪で不快な音だった。次いで爆発物か何かが破裂したかのような、思わず耳を塞ぎたくなるような轟音。大地は悲鳴を上げ、地響きがモニカの脚へと伝わる。
彼女が咄嗟にその場から退避することが出来たのは、ただの勘でしか無かった。或いは、エリカの言葉によって植え付けられた嫌な予感の所為かもしれない。
負担が大きい為にあまりやりたくはなかったが、
そこで彼女が見たものは、罅割れ砕け散った試合場の大地と、倒壊する樹々や岩だった。まるで地震、それとも竜巻でも通過したのか。そこには災害もかくやといった惨状が、モニカの眼前に広がっていた。
災害と異なるのは、その被害がある一定の地点で綺麗に止まっているところであった。日本側の本陣があるあたりを中心に、扇型状となって崩壊している。
「なッ・・・!何よこれッ!?」
こんな馬鹿げた現象が、まさか敵の攻撃であるはずもない。ならばアクシデントか、モニカはそう考えた。しかしそこで彼女は、まだ試合中止のアナウンスが流れていないことに気づく。予期せぬ事故等が起こった場合には、すぐさま試合を中断する案内が行われる筈である。それがないということは、つまり───。
ただの一足で本陣近くまで下がったモニカの元へと、指揮官であるアメリカの三年生から連絡が入る。
『ラブレット!無事か!?』
「はい。なんとか・・・ですがこれでは・・・」
『・・・ああ、今ので7人がリタイアになった。クソっ!何だ、どういうことだコレは!!何故試合が中断されない!?』
「先輩落ち着いて下さい。信じ難いですが、恐らくこれは敵の攻撃です・・・っ」
『はぁ!?馬鹿を言うな!こんな攻撃があってたまるかッ!!』
指揮官を落ち着かせるためとはいえ、言っているモニカ本人でさえも、自分は何を言っているのかという気分になった。こんな攻撃などある筈がない。これではまるで幼い頃に目にした、あのエリカ・E・スプリングフィールドの『
被害を受けた7人が『
そう考えたところで、モニカの脳裏にはある疑問が浮かんだ。それは『この攻撃は一度しか使えないのか』である。もし仮に、この正体不明の攻撃が何度も使えるとするならば。
「っ!!先輩、もう一度コレが来たら終わりですッ!私が行きます!」
『マジかよ、クソ!!・・・ああもう!すまん、頼む!俺は残りを集める!』
指揮官の指示に返事をすることもなく、既にモニカは駆け出していた。この馬鹿げた現象を引き起こした、その元凶の場所をモニカは知っている。
先程飛び上がった時に見えた、扇形に広がる破壊の爪痕。その根本となる場所に敵は居る筈。破壊された大地や露わになった木の根が邪魔で走り難いが、ここからまっすぐ敵陣のど真ん中を突っ切ればたどり着ける筈だ。
試合開始から一分も経っていないというのに、状況は最悪だった。既に味方は半数まで減っており、アメリカが不利どころの話ではない。ほとんど決着が着いたといっても過言ではない。しかし、まだ負けてはいない。私が元凶を倒して、白雪聖も倒して、周りの選手も蹴散らして、そうすれば勝てる。そうだ、まだ負けてはいない。
そんな思いを胸にモニカは駆けた。ただただ、敵陣のど真ん中を駆け抜けた。次の一撃があるのかどうかも知れず、あったとして次は何時来るのかも分からない。敵陣のど真ん中を駆けているというのに、日本側の選手とは誰とも遭遇しない。そんな違和感を感じる余裕すらなく、ただ駆けた。
そうして、遂に敵本陣前の広場へと辿り着いた。破壊の爪痕が残されていない中心部、ここがそうだと一目で理解る場所。そこでモニカは、それに出くわした。
本陣前だというのに唯一人。
長い黒髪を風に靡かせ、抜き身の刀のように鋭く異様な空気を纏い、腕を組んだまま悠々と歩く日本校の生徒。
その足取りは重くもなく、軽くもない。これほどの惨状となった
モニカは一目で理解した。これが、彼女がこの惨状を引き起こした元凶であると。少女から放たれる異様な気配は、それを如実に物語っていた。
瞠目して動かずにいたモニカを見かねてか、黒髪の少女が口を開いた。
「随分遅かったわね、モニカ・ラブレットさん?日本語でいいかしら?それとも英語の方がいいかしら?」
「貴方は・・・貴方がこれを?」
怒りというわけではない。恐れ、動揺、或いは困惑。そのどれが原因なのかはモニカにも理解らなかったが、震えた声で紡がれるモニカの返答は、流暢な日本語だった。
「ええ。力加減に随分苦労したわ。気に入ってもらえたかしら?」
「ッ!!貴女は一体、何者ですか。こんな、これほどの・・・っ」
「私が誰かなんて、どうだっていいでしょう?」
「・・・確かに、そう、ですね。私はすぐに貴方を倒して、戻らなければなりません」
「ここでリタイアするのに?面白いことを言うのね、貴女」
「ッ・・・!!アメリカ校二年、モニカ・ラブレットです」
「あら、騎士道というやつかしら?それとも───ふふ。まぁ、無視をするというのも少し無粋かしら?」
「───行きますッ!」
「ふふふ。日本校一年、天枷禊よ。遊んであげる」
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