第33話 会場へ

「あら?」


 八月花鶏の挨拶とも呼べない一言。

 観客席が静まり返ったのはその所為だと思っていた。けれどそれは、より大きな波を迎えるための引き波のようなものだった。


 静寂の後に来るのは割れんばかりの大歓声。

 私にはまるで理解が及ばなかったけれど、映し出される観客達の表情を見れば彼らは皆一様に喜びや感動を浮かべている。


「・・・新手の宗教か何かかしら?」


「禊様ほどではありませんが、彼女はあまり表に出てきません。戦闘系の感応する者リアクターではないというのもありますが。ですが彼女のああした言動自体はそれなりに有名ですからね。観客達からすれば望み通りの結果なのではないでしょうか。待ってました、といったところですね」


 社の話によれば、彼女は研究者だそうだ。

 それ故あまり顔を見せることはないけれど、その分コメントや論文等はそれなりに出すらしい。つまりは普段から、想像の斜め上を行く発言をしているのだろう。


 それを知っている観客達からすれば、先の発言はまさに望み通りというわけだ。

 私の知らない間に挨拶の基準が変わったのかと、一瞬本気で焦りを覚えた。


「・・・ああ、良かった。やっぱり今の変よね?私が世間とズレているのかと思ったわ」


「ズレてはいますよ」


「・・・」


「風貌も言動も、誰がどう見たって『異質』。ですがそれでも彼女は『七色』です。『七色』というフィルターを通して見れば、『異質』は『個性』に変わるのです。例えどれだけ奇異に映っても、です。この大歓声がその証拠です。ちなみに『七色』である彼女にも当然ファンクラブが存在しますが、禊様よりも会員数が上です。私が何を言いたいか、お解りになりますか?」


 当たり前だ。どうやらこの前の続きらしい。

 最近の社は妙にこの話題を振ってくる気がする。


「・・・はぁ。またその話?確かにあの時は一応覚えておくと言ったけれど、人気者になりたいだなんて言った覚えはないわよ?」


「承知しております」


「理解っているのなら、最近の貴女のしつこさは一体どういうことなのかしら?」


 私はただ境界鬼テルミナリアを壊すことが出来ればそれでいい。厳密には境界鬼テルミナリアである必要はないのだけれど、何れにせよそれ以外に興味なんて無い。社だってそれは理解している筈だ。ここ最近の彼女の言動、その意図が私には見えなかった。


「──────か・・・」


「・・・なんですって?」


「良いではありませんかっ!」


 俯いていた社が急に大きな声を出すものだから、少し驚いてしまった。醜態だ。

 瞳に一杯の涙を浮かべて私に詰め寄る社を引き剥がす。どう見ても嘘泣きだ。目薬の可能性すらある。


「オタクは自分の好きなものを布教せずには居られないのですっ!」


「・・・」


「いつもツンツンしていて、お高くとまっていて!」


「・・・私の事かしら?それ意味同じじゃないかしら?」


「プライドが高くて、意地っ張りで、素直じゃなくて!」


「・・・人より主義主張が多いだけよ。誇りを持っていると言って欲しいわね」


「そのくせ実は甘いものが好きで!」


「・・・別に好きではないわ。頭を動かす為に糖分を摂っているだけよ」


「そんな禊様をファンの皆さんで共有したいんですッ!」


 知ったことか。

 というか、どさくさ紛れに好き放題言われている気がする。

 こんな益体もない話をするためだけに嘘泣きまでしたのかと思うと頭が痛くなった。


 これまでもそうだったが、社は結構私で遊ぶ事が多い。今回も恐らくはその一環だろう。

 あの夜の言葉は至極真っ当に聞こえたけれど、どうにもそれをダシにして私で遊ぼうとしている気がする。放置してもいいのだけれど、連日のしつこさを見るとそれは悪手だろう。ここは一度、はっきりと言っておくべきかもしれない。


「・・・はぁ、面倒ね。、私は私の好きにするわ。私の『悪癖』に関しては誰の指図だって受けるつもりはないし、それは社、貴女でも同じことよ」


「そうですか。おや、そろそろ時間のようですね」


 急に真顔に戻るな。

 よく見れば涙など跡形も残っていなかった。

 何か嫌な予感がするし、社の瞳が鈍く光った気がするけれど、この時の私は自分の失言に気づくことはなかった。


「そろそろ会場に向かわなければ、純白様達の第一試合に間に合いません。出発致しましょう」


「・・・はぁ、何なのよ・・・」


 色々と言いたいことはあったけれど、彼女の言う通りあまり時間が無いのも事実だった。みれば既に開会式は終了しており、選手たちが退場していく姿が映し出されていた。


 敷地内にはいくつか試合会場があり、会場間の移動だけでもそこそこの時間がかかってしまう。直接観戦するのであれば時間に余裕を持って行動するべきだろう。

 遺憾ながら社のペースに飲まれたまま会場へ向かうことになった私は、準備を済ませてホテルの部屋を出発する。


 ここから一番近い会場ですら、歩けば二十分近くかかる距離だ。

 移動の度に車に乗っていては面倒だし、何よりあの無駄に大きくて高級な車では非常に目立ってしまう。しかし歩くのは億劫だ。


 そう考えた私は、社にあるものの手配を頼んでいた。

 こちらに到着してすぐに天枷家へと連絡を入れ、そうして昨晩の内に届けさせたのが、今私の目の前で佇むである。


「禊様、これを」


 そう言って社が手渡して来たのはフルフェイスのヘルメット。

 別に落ちるようなことはないし、社が運転で失敗するとは思えない。もっといえば、落ちたところで感応する者リアクターである私は怪我すらしないだろう。

 けれど道路交通法は一応守っておかなければ、通報されて捕まりでもすれば恥ずかしいことこの上ない。


 天枷家の別邸、そのガレージから届けさせたものは車種も知らない社の愛車だ。

 確か彼女は四台ほど所持していた気がするけれど、どれがどれかなんて私には全く分からない。あの黒光りする威圧感の塊で何度も移動する羽目にならなければ、もはや何でも良かった。


 そう考えていたのだけれど。

 目の前にはフルフェイスのヘルメットを被ってバイクに跨る、全身メイド服の社。

 そして今から制服姿の私が、同様のヘルメットを被って後ろに乗る。


 どうやら昨日の私は、自分で思っていたよりも疲れていたらしい。

 事ここに至り、車のほうがマシだなどと今更言い出せなかった私は、諦めてヘルメットを受け取る他なかった。



 * * *



「遅いですわぁぁぁぁぁぁ!!」


 いくつかある試合会場の一つ、これから一学年の競技が行われるここで、純麗さんと一ノ瀬さん、そして私の三人は禊さんが来るのを待っていました。


 折角なので一緒に観戦したいと昨晩の内に誘ってみたところ、禊さんは暫く悩んだ後で渋々同意してくれました。あの顔はどう見ても『喧しそう』といった表情でした。


 経緯はどうあれ、許可が得られたところで今日。

 禊さんは当然のように開会式をおサボり遊ばされておりました。あの方のメンタルはきっとダイヤモンドか何かで出来ているに違いありません。


 今日この会場で行われるのは一学年の『共闘ペア』、その予選。

 第1試合まではあと10分ほどで、それほど余裕がありません。

 当然、私と純麗さんもこのあと試合があります。何が言いたいのかといえば、要するに禊さんの到着がクソ遅いということです。


「このままでは試合が始まってしまいますわ!!」


「お、落ち着いて純白ちゃん。まだ10分あるし大丈夫だよ」


「こうしては居られませんわ!電話しますわ!!」


 突然北海道へ向かっていた前例もあります。もしかすると、またふらふらと何処かへ行っているかもしれません。やはりここは一度連絡を入れて───

 そこでふと気づきました。

 学園を出発するバスに乗る前に、純麗さんとあれだけ話していたにも関わらず、私は昨晩、禊さんの連絡先を聞くのを忘れていました。


「そういえばまだ知りませんでしたわぁぁぁぁ!!」


「あははははは!!純白ちゃんそれめっちゃ笑える!あんなに言ってたのに!」


 とにかく、連絡先を誰も知らない以上、私達に出来ることは待つことだけです。

 私達は選手席を利用出来るので、席を取っておく必要がないことだけが唯一の救いでしょうか。


「ていうか、あんま知らないあたしからしたら、ミソミソが遅刻するとは思えないんだけど。あの見た目で遅刻ってギャップヤバくない?ギャップで萌え死ぬぞ」


「あー・・・禊さんの場合は・・・」


 一ノ瀬さんの言っていることは分かります。禊さんは遅刻なんてしない。きっとそれは間違いではありません。でも純麗さんが言い淀んでいるその理由も、私には分かります。あの禊さんのことです。急に『やっぱり面倒になったから部屋で見るわ』などと言い出し兼ねないのです。


「遅刻は無くても、禊さんには『面倒だからやっぱりパス』がありますわ!そしてこれは言うかどうか悩みましたが、一応言っておきますわ!そういえばわたくし時間を伝えておりませんわ!!」


「あっははははは!!じゃあ少なくとも遅刻じゃないじゃん!!」


「純白ちゃん・・・」


 純麗さん、憐れむような眼を向けるのは止めて下さいまし。

 禊さんに頼まれていたお土産をなんとか受け取ってもらうので精一杯だった所為です。あと寝起きの禊さんは機嫌が最悪でしたわ。私は悪くありません。


 そうしてその後も待つこと5分。

 第1試合の開始まであと5分となった時のことでした。


 迫力のある、どこか心の臓に響いてくるような排気音が、会場の方へと向かってきました。山間に響くその音の主は、数十秒後には私達の目の前へと姿を見せました。


 私は、いいえ、三人ともが目を疑いました。ハッキリ言って異様でした。

 ヘルメットで顔を覆い隠したメイド服の女性と、その後ろには制服姿のヘルメット女。そんな怪しすぎる風貌の二人組みを乗せた二輪車が、けたたましいブレーキ音を上げながら車体を横滑りさせて私達の目の前で停車します。


 呆気に取られて声も出ない私達を横目に、怪しげな二人がヘルメットを外しました。

 予想通りというべきか、運転していたのは社さんでした。当然後部座席のヘルメット女は禊さんです。


「あら、わざわざ待っててくれたのかしら?」


「申し訳ありません。禊様との初ツーリングで興奮してしまい、あちこち走り回ってしまいました」


「そうね・・・もう途中からどうでもよくなったわ」


 二人はなんでもないような顔でそう言いましたが、私はそれどころではありません。

 見れば純麗さんも同様で、そんなことよりも何処から突っ込めばいいのか分からない、といった表情を顔に貼り付けていました。

 その怪しさで、この近辺を走り回って・・・?


「わっはははははは!!最高!!そんで普通にめっちゃカッコイイし!!ぶふっ・・・あはははは!ヤバ、笑いすぎて涙出てきた!」


 唯一、一ノ瀬さんだけがゲラゲラと大笑いしていました。

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