第10話 食堂
白雪純白は腕を伸ばしたまま、机に突っ伏していた。
「退屈ですわー・・・つまらないですわー・・・」
「純白ちゃん!起きてください!授業中ですよ!」
そんな純白を揺すりながら、縹純麗が教壇をチラチラと気にしていた。
現在は授業中であり、担任である風花幾世が教壇に上がっている。
入学式を終えて二日目、通常授業の初日ということもあり、その授業内容は境界についての基礎知識や現在に至るまでの歴史といった簡単なものであった。
当然ここ、『国立感応力者養成学園』通称『学園』を受験し、合格した者達からすればそんな授業は基礎も基礎。知っていなければそもそも今ここにいないだろう、といった内容である。
学園側もそれは理解しており、初日の一限だからという理由で一応行っているといった、肩慣らし程度の授業である。
二限以降はいきなり授業の難易度が上がるのだが、それを知らない生徒達の中には退屈そうに「はいはい知っていますよ」などといった態度のものが数人見られた。
とはいえ純白が突っ伏している理由は彼らとは別なのだが。
「禊さんがいませんわー・・・折角お知り合いになれたから色々聞きたかったのに、まさかの初日からサボりですわー・・・」
純白が突っ伏したまま顔だけを動かして横を見れば、昨日天枷禊が座っていたその席は空席となっていた。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とでも言うべきか。
純白を含め彼らは昨日の風花幾世の言葉を忘れていたのだろう。
次の瞬間、気だるそうに横を見た純白の眼の前を、まるで銃弾のような速度でチョークが通り過ぎていった。
風切り音とともに飛来したチョークは、そのまま最後列に座っていた純白と純麗の背後の壁に小気味よい音を立てて突き刺さった。
油の切れた機械のようにゆっくりと純白が教壇へと顔を向ければ、そこには優しい笑顔の幾世がチョークを投げたままの姿勢で立っていた。
「次は当てますよぉ?」
「ひっ」
「他のみなさんも、ここに居る以上はちゃんとしましょうねぇ?」
今のを見せられて、それでもまだ退屈そうにするような度胸のある生徒はここには居なかった。間延びするような独特な声で行われた警告を聞き、生徒達はすぐさま背筋を伸ばして椅子に座り直した。
「・・・死ぬかと思いましたわ。というか当たったら死んでましたわ」
「・・・昨日は冗談のつもりでしたけど、本当に頭蓋骨を射抜かれるところでしたね」
その後は純白も真面目に授業を受けていたのだが、やはりチラチラと隣の席に目線をやり、禊の事が気になる様子であった。そんな純白を見かねたのか、純麗が小声で話しかける。
「禊さんは多分、昨晩の境界振の件で京都に行ってるんじゃないでしょうか」
「ほ、本当ですの?どうして知っていますの?」
その言葉を聞いて、素早く純麗の方へと顔を向け、早く知っていることを話せと言わんばかりに詰め寄る純白。
「ち、近いですってば・・・ネット上で話題になってましたから。ほら」
そうして純麗が机の影で自らのスマートフォンを、幾世にバレないよう恐る恐る、といった様子で純白の方へと向けて見せる。
そこには今朝方、当の本人である禊と社が見ていたものと同じ動画が表示されていた。
「この長い黒髪に学園の制服、ブレブレの残像からも溢れる隠しきれない気品!間違いありませんわ!禊さんですわ!」
「よ、よく分かりますね・・・というか残像から溢れる気品ってなんですか?」
「でもおかしいですわ。京都は白雪家のお膝元ですわよ?どうして禊さんがわざわざ出向いたんですの?」
「それは分かりませんけど・・・それに関しては純白ちゃんのほうが詳しいんじゃ?」
所詮はネット上に転がる情報以上のことは知らない自分よりも、家の関係上純白のほうが詳しいのではないか、と純麗が思うのは当然のことだった。
だがどうにも、純白の様子を見ればどうやら彼女は何も聞かされていないらしい。
興奮した様子で純白は自らのスマートフォンを取り出し、目にも止まらぬ速さで画面をタップし始めた。
「何も聞いてませんわ!今すぐにお父様に電話して詳しく話を────ぶふっ」
「あっ」
そんな純白の額にチョークが刺さっていた。
さすがに威力は落とされていたようではあったが、そのチョークは純白の意識を刈り取るのには十分な速度と威力を持っていたらしい。
スマートフォンを取り落としながら、純白はその場で気絶した。
* * *
別邸を出て、社が回してくれていた車に乗り込もうとしたところでお父様と遭遇。
直接顔を合わせるのは2日ぶりだったこともあってか、お父様はひどく嬉しそうにしていた。そのまま車に乗り込もうとするとお父様が泣きそうになってしまったので、仕方なく別邸で少し話をすることになった。
話の内容はほとんどが昨日の入学式のことだったけれど、その後の京都での話も申し訳程度には報告した。
普段はわざわざ報告なんてしないし、お父様はとうに知っているだろうけれど、折角顔を合わせたのだから一応だ。私から何かを報告すると、内容に拘わらず何故かとても喜ぶのだ。
私が学園へと着いた頃にはすっかりお昼になっていた。
時刻は12時を少し回った頃。丁度二限が終わったくらいだろうか。
随分と中途半端な時間に到着してしまったようで、三限までは一時間近くあった。
仕方がないので社を連れて食堂へ。
学園の食堂にしては随分と立派でお洒落な、ともすれば有名料理店とでも言って差し支えないような食堂だ。金持ちや名家の子が多いせいか、資金援助が豊富故にこのようなことになっているらしい。中でも『六家』からの援助額が凄まじいのだとか。
一般家庭の生徒も問題なく利用出来るため、学内でも有数の人気スポットとなっている。ちなみに一般家庭の生徒と上流階級の生徒は大凡半々ほどの割合だ。
生徒会長である白雪聖の活動により、意外にもよくある対立のようなものは一部を覗いて殆ど無いらしい。
二限が終わったばかりだからだろうか、まだ人は疎らだった。
そんな食堂のテラス席へと座り、断る社を無理矢理座らせて二人でゆっくりとお茶を飲みながら、授業までの時間を潰すことにした。
この学園では使用人の付き添いが認められており、希望があれば使用人を授業の補助に使うことすら、制度上は認められている。
実際に、戦技科の生徒が授業へ使用人を伴ってくるという事は殆ど無い。
せいぜいが送り迎えに使う程度だ。
現在は専ら、戦闘向きではない
つまり私の在籍する戦技科では、使用人を連れているのは珍しいということだ。
戦技科と研究科では制服が違うこともあって、私達は少し目立っている。
煩わしいとは思うけれど、この先も三年間は続くのだから、今から気にしていたところで仕方がない。
そうして社と二人、他愛のない会話をしていたところで、食堂の入り口から声が聞こえてきた。非常に嫌な予感がするその声は、予想通りにこちらへと向かってきていた。そして遂に私達の横に立ったかと思えば、手にした料理を既にテーブルの上に置いている。何かを言う前に、相席するつもり満々であるらしい。
「見つけましたわー!今日はもういらっしゃらないのかと思ってわたくし、しわしわになる寸前でしたわー!」
「こんにちは禊さん、それに社さん。ご一緒させてもらってもいいですか?」
開口一番、元気の有り余っている様子の白雪純白と、そんな彼女とバランスをとるように礼儀正しい縹純麗の二人であった。
「こんにちわ二人共。構わないわ、好きに座りなさいな」
そう許可を出すと、二人はいそいそと自らが手にした料理をテーブルへ置く。
同時に社が席を立ち、私の背後に控える。
私と2人のときならともかく、他家のご令嬢と席を同じくする訳にはいかないという理由だ。恐らく2人は気にしないだろうけれど、これに関しては社の線引でありポリシーなのだから仕方がない。そもそも私と2人のときでさえ、無理を言って一緒に座って貰っているのだから。
漸く落ち着きを取り戻したのか、声量がいくらか下がった純白が話を始める。
「昨夜京都で起こった境界振に、禊さんが関わったのは本当ですの?」
「ええ」
「やっぱりそうでしたわ!私の目は誤魔化せませんわ!」
「あら?知っていたの?」
いくら彼女が白雪家の人間だからといって、家に関わる情報が全て知らされる訳では無い。昨夜の件についても知らされてはいない筈だけれど、やっぱり、とは一体どういうことだろうか。
「禊さんは知りませんか?今ネットで話題になっている動画」
純麗の補足によって漸く理解した。
要するに彼女も、あの動画を見たのだろう。そこで私が京都に行っていたことを知ったというわけだ。と、ここで少し気になることがあった。
「ああ・・・社に見せてもらったわ。貴方、あれで私だって分かったの?」
「当然ですわ!画面から禊さんの香りがしましたわ!」
香り。
この縦ロールは一体何を言っているのだろうか。
「純白ちゃん凄いですよね。あのブレブレの動画で解ったみたいです。私は正直、半信半疑でした」
「さっきお父様にも確認を取りましたわ!なんでも教えてくれますわ!」
白雪家の当主はどうやら口が羽よりも軽いらしい。
別に隠していたわけでもないけれど、やたらと話して回られるのも気分が良いものではない。指の一本でもへし折ってくれようかしら?
あの浮気中年男へは、次に会ったときに苦情を入れておくことを決意した。
「ところで貴方、額が赤いわよ?」
「これは名誉の負傷ですわ!」
そういって謎の自信を見せながら胸を張る純白。かなりの大きさで、テーブルに乗ってしまっている。
「今朝は禊さんの顔が見えなかったので、純白ちゃんずっと心配してたんですよ?授業中ずっと、気もそぞろって感じで。あ、勿論私もですよ?」
純麗が言うには、どうやら私の心配をしてくれていたらしい。
私の心配をする人なんて、社と両親以外に居なくなって久しい。
そんな彼女達の言葉は、嬉しいというよりもただむず痒かった。
「ああ、それで風花先生にチョークを投げられた、といった所かしら」
「効きませんわ!」
「気絶してましたけどね」
「効いてるじゃない」
「何度でも立ち上がりますわ!」
ふと背後の社を見てみれば、そんな下らないやり取りをしていた私達の様子を見て笑顔になっている。あれは微笑ましいものを見ているというよりも、慣れない会話にぎこちない言葉を返している私を見て楽しんでいるのだろう。
減給してやろうかしら。
そんな事を考えているうちにも、2人の同級生は楽しそうに会話をしている。
騒がしい純白と、それを抑えに回る純麗は相性が良さそうに見えた。
私は人付き合いが苦手というわけでは無いつもりだけれど、彼女達ほど自然な会話が出来ているとは言い難い。出会って二日目ということもあるけれど、それは2人も同じことだ。時間をかけたところで、私は彼女達ほど気安い会話ができるだろうか。
2人のやり取りを眺めながらお茶を飲んでいると、不意に私達へと声がかけられた。
少し前に女生徒が一人近づいて来ていることには気づいていたけれど、まさかこのテーブルに用があるとは思って居なかった。
切れ長の目に綺麗な銀髪のその女生徒は、制服を見れば三年であることが分かる。
上級生が入学したての新入生に何用だろうか。
そう思い横目で見てると、上級生である彼女は私の方へ微笑みながら軽く会釈を行い、未だ彼女の接近に気づいておらずなにやら騒いでいる純白へと話しかけた。
「純白」
澄んだ色でありながら、どこか威厳を感じられるような、そんな声だった。
名前を呼ばれた純白は漸く彼女に気づき、次いで顔を綻ばせた。
「お姉様!」
名前を呼ぶや席を立ち、お姉様と自身が呼んだ女生徒へと抱きつく純白。
成程、確かに髪色が似ていた。
2人並べば純白のほうが若干くすんだ銀色のようにも見えるが、系統は同じだろう。
しっかりと背筋を伸ばした姿勢で左腕に純白をぶら下げた彼女が、純麗に顔を向けた。
「縹純麗さん、だよね?妹と仲良くしてくれてありがとうございます」
「へ?あ、あの、はい。どういたしまして・・・?」
唐突に声をかけられた純麗は何が何やらと行った様子だった。
未だに状況が飲み込めていないようで、しどろもどろになっている。
次いで彼女は、私の方へと顔を向ける。
「お会い出来て光栄です、『災禍の緋』」
「・・・そう呼ぶのはやめて下さい。敬語も不要です。貴方のほうが年上なのですから」
「ふふ、分かった。私にも敬語は不要よ。たかだか数年早く生まれただけで尊敬する『緋』から敬語を使われるなんて、とても居心地が悪いから」
「そう、ならそうしましょうか」
そういって彼女は左腕にぶら下げた純白を降ろし、私達へと向かい直してこう言った。
「初めまして。私はこの学園の生徒会長で、白雪純白の姉、
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