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「だって、ものを作るって大変だもん。単純な比較はできないかもしれないけど、私だって図説作りでそれを味わってる。生徒会の仕事なら律ちゃんに助けてもらえるけど、今回はそういうわけにいかない。霧積さんはもともと音楽に入れ込んできた人なんだから、きっとずっと重たい」

 愕然となった。言われてみれば当たり前のことだろうに、まるで意識が及んでいなかったのである。

 ちょっと親しくなったクラスメイトが、優れた作曲家だと知った。背中を押したくなった。ただそれだけだったのだ。注目が集まり、実力が知れ渡ったなら、霧積さん自身も満足するだろう、その手助けを自分はしたのだ、という程度の思いで、あたしはいた。

「無責任だったかな」

 あたしが零すと、目黒さんは柔らかく微笑して、

「やるって決めたのは霧積さん自身なんだから。私だって、曽我くんだってそうだよ。クラスのためって思いは、もちろんある。でも同じくらい、もしかしたらそれ以上に、自分自身への意地があるの。単純に、いいものを作りたい。ただそれだけ。楽しくて苦しい道を、自分の意思で進んでる。私はね讃井さん、図説を展示のおまけって思われたくない。来てくれた人の本棚にいつまでも留めてもらえるような、ひとつの作品にしたい。そのためなら、どんな手だって使うつもり」

 だから、と急に肩を掴まれた。意味が分からずにただ振り返ったあたしに、目黒さんは言い聞かせるような調子で、

「これから、霧積さんのところに行ってきてくれない? 様子を見てきて。私が図説作りでこんな風に迷ってたって、ついでに伝えてほしい」

「あたしだけ?」

「そう。私は段ボールを運んでいく任務があるから。霧積さんち分かる?」

 なにやらあっという間に、そういう話になってしまった。あたしは困惑したまま、目黒さんの指示通りに道を辿っていった。差し入れにと思い、途中でコンビニに立ち寄って適当にお菓子を買い込む。霧積さんの家を訪ねるのは、むろんこれが初めてだった。

 霧積家は広々とした庭のある一戸建てで、塀の外側からでも青々とした庭木や、石造りの灯篭が見て取れた。乗用車三台ぶんほどのスペースのある車庫は空になっている。今のところ、家には霧積さんしかいないらしい。 

 緊張した面持ちで呼び鈴を鳴らした。ややあって扉が開き、霧積さんの顔が覗いた。「いらっしゃい、どうぞ」

 お邪魔します、と言って彼女の後に続く。二階へと案内された。

 霧積さんの部屋は、あたしのものとは比べるべくもないほど広く、そして洗練されていた。デスクトップのパソコンの周囲にはスピーカーや、音楽関係で使うらしい機材が置かれている。椅子の傍らにはスタンドがあり、楽器が何本か並んでいた。

 あたしたちは部屋の隅にあるソファに、隣り合って腰を下ろした。あたしがいい加減に選んで買ってきたお菓子を霧積さんは喜んで、

「開けていい? ちょうど甘いのが食べたかったんだ」

 ふたり、袋に小分けになったチョコレートを口に運んだ。なにから話すべきかと悩んだが、けっきょく思いつくままに、

「曲はどんな感じ?」

「候補はいくつかあるんだけど――どれも決め手に欠けるかな。中間発表ってことで聴いてもらった感じ、目黒さんたちは気に入ってくれたみたいだけど」

 あたしは小さく頷いて、「霧積さんは、自分に厳しいんだね」

「そうなのかな。好きでやってることなのにね。きっと不器用なんだよ。他に上手い方法があるかもしれないのに、苦しいほうへ、苦しいほうへって、進まずにはいられなくなっちゃう。なんでなんだろうね」

「そういう星の下に生まれついたみたいに?」

「うん、まさに。基本、どうでもいいことはどうでもいいって人間のはずなのに、音楽に関してだけは、意思が勝手に働くんだよ」

 我ながら不思議だ、と彼女は笑い、立ち上がってアコースティックギターを手に取った。パソコンの前の椅子に座りなおして、

「なにが足りないんだろうって、いろいろ考えてた。今回使う曲はぜんぶインストで、歌詞はまったくないわけだけど、でもそう、物語が伝わる曲じゃないと駄目だなって」

 言葉に、はたと意識を吸われた。「そうだ」

「なに?」

「目黒さんがね、図説の内容で悩んでるって話してくれたの。単なる説明だけじゃない、読み物として面白い解説を入れたいって。やっぱり物語が必要なんだ」

「だったらさ――讃井さん」ギターの糸巻きを摘まんで調整しながら、霧積さんが言う。「質問。ケルベロス座ってある?」

「昔はあったけど、今はない」

「星座が消えるってこと、あるの?」

「もちろん星自体は存在するよ。見方が変わっただけ。今の星座って、定められたのはわりと最近なんだよね。つい百年くらい前。ヘラクレスが左手に持ってるのが黄金の林檎の枝と、それを守ってた蛇だって言われてるんだけど、その部分がかつてはケルベロス座だった」

「なんでそんなことになったの?」

「もともとプトレマイオスが決めたトレミーの四十八星座っていうのがあったんだけど、大航海時代になると、ヨーロッパでは知られてなかった星座がどんどん発見されるようになったの。で、トレミーの四十八星座にこだわらなくてもよくないかって流れになって、いろんな人がいろんな星座を独自に作りはじめた。ケルベロス座を考案したのは、ヘヴェリウスって学者」

「意外に滅茶苦茶だったんだ。ケルベロスって冥界の番犬だよね?」

「うん。有名な話としては、ヘラクレスが冥王ハデスから借りて、地上に連れていったってやつ。そのときケルベロスが垂らした涎のあとから生えたのが、今のトリカブト」

「それは聞いたことある」

「ヘラクレスは腕力でケルベロスを屈服させたんだけど、ケルベロスには弱点もあって。普段は三つの頭のうちの最低ひとつは起きてるんだけど、音楽を聴くと寝ちゃう」

 霧積さんは繰り返し頷き、やがてゆっくりとギターを爪弾きはじめた。音色が繋がり、絡み合って、徐々にメロディを形成していくのが分かる。真新しい音楽が生み出される場面に、自分は立ち会っているのだと悟った――。

「見つかったよ」と彼女は口元を綻ばせた。「ここにあった。探してたものが――みんな」

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