7

 先日の取り決め通り、霧積さんは放課後の準備作業から解放され、ひとり帰宅するようになった。休み時間にでも進捗を尋ねてみようと思ってはいたのだが、彼女はたいがい、目黒さんや曽我くんと打ち合わせをしているか、でなければ別の友人たちに囲まれていた。誰もが霧積さんの作曲に興味津々らしい。

 あたしはといえば、相も変わらず制作班の雑用担当を一手に引き受けていた。もとより手先が器用なわけでも、美的なセンスに恵まれているわけでもない。下手に作品に触れて台無しにしてしまうのが恐ろしかったし、クラスメイトたちもあたしにそうした繊細な作業を要求しては来なかった。物を運んだり、ごみを捨てたり、同じ形状のパーツをひたすら切り出して量産したり――無益ではないが表に出ることもない仕事をただ淡々と熟しながら、日々を過ごした。

「今日は私、段ボール取りに行こうかな」

 とある日、図説班の中心人物であるはずの目黒さんが急にそんなことを言い出したので、教室は少しざわついた。材料を揃えるのは基本的に、制作班の役目だ。

「あたし、行くけど」

 と申し出ると、目黒さんは笑顔で、

「じゃあ一緒に。私もたまには外に出たいし。それに作戦の成果がちゃんと出てるか、自分で確認しておきたいしね」

 先日の一件のあと、目黒さんは学校祭実行委員会に事情を説明し、対策を講じてくれていた。全クラスが学校に近くに位置する業務スーパーやホームセンターに集中すると迷惑がかかる。そこで籤引きにより、物品を購入したり段ボールを分けてもらったりする場所をクラスごとに割り振ったのである。

 あたしたち二年三組は比較的外れの部類で、けっこうな距離のある店に行く羽目になっていた。同様に貧乏籤を引いたクラスからの不満は多少出たものの、必要な物品がトラブルなく、ほぼ確実に手に入るメリットはやはり捨てがたいということで、最終的に意見が纏まったという。

「名采配だったと思うよ。ちゃんと対策内容を考えたうえで、実行委員に話を上げてくれたんでしょ?」

「うん、いちおうね。遠くに行くのはちょっと大変だけど、いろんな店にチラシを置いてもらえれば、宣伝にもなるかなと思って。実は実行委員を説得するのに、友達にも助けてもらったんだ。一組の楠原律ちゃん」

「あの激辛好きの」と反射的に口走ってしまってから、もう少しまともな肩書があるだろうと思いなおし、「ごめん、生徒会管財担当の」

「そうそう。よく知ってるね。管財のほうじゃなくて、辛党だって話」

「たまたまカレー屋さんで会って、一緒にご飯食べたんだよ。スパイスカレーレベル五を平気で食べててさ。私は二でもひいひい言ってたのに」

 あはは、と目黒さんは掌で口許を覆って、「昔から辛いものが大好きなんだよね、律ちゃんって。表情ひとつ変えないで食べるの」

 あのカレーの店での楠原さんは、まさにそんな調子だった。「付き合い長いの?」

「幼馴染だよ。幼稚園の頃から一緒」

 頷き、「ちょっと意外な組み合わせかも。霧積さんが去年、楠原さんと同じクラスだったって。そういえば噂を聞いたんだけど、楠原さんに睨まれてる人が二組にいるってほんと?」

 目黒さんは答えず、ただ意味深な笑みを覗かせた。「そうだ。讃井さん、『アモール』って知ってる? 文芸部の部誌」

「文芸部? 知らない」

「帰ったら見せるよ。私ね、今回の図説をどう纏めるか、けっこう迷ってるんだ。だから参考のためにいろんな冊子を集めてるんだけど、私に足りないものが文芸部にはあるかも、なんて思うんだよ」

 はあ、とだけ応じてあたしは首を傾げた。「具体的にどのへんが?」

「展示物の制作プロジェクトを記録した部分は、我ながらけっこういい出来だって気がしてるの。問題は作品の解説。ケルベロスとかペガサスとか、幻想の生き物について書いたパートが、なんだか辞典の引き写しみたいになっちゃって、あんまり面白みがないなって」

 あたしは顎を摘まんで、「文芸部の部誌ってさ、小説が載ってるんでしょ? うちの図説にも小説を入れたいの?」

「必ずしも小説ってことじゃなくて、読み物として楽しくできればいいんだけど。ただの説明じゃなくて、もう少しこう――興味を引けるような」

 ああそうだ、とあたしはふと思いついたかのように声をあげた。「霧積さんの作曲、どんな感じかな? 進捗状況とか聞いてる?」

「うん。もう何曲かできあがってる。でも本人が納得してないみたいで。締切ぎりぎりまで粘るって」

 霧積さんらしい姿勢だ。しかしそうして自分を追い込み、息苦しくなってはいないと、あたしは小さな不安を覚えた。作曲という作業に向かっている彼女は、ただひとりきりなのだ。

「できてる曲は聴かせてもらったの?」

「うん。私と曽我くんが先にね。凄くいいと思ったけど、やっぱり霧積さんの中ではなにかが違うみたい。自分が満足できてないのに、みんながいいって言うからそれで行くってのは厭なんだって」

 あたしは足許に視線を落とした。みんなが良ければ自分もそれで構わない、というのはまさに、雑用係を買って出ているあたしの心情に他ならなかった。ほんの数日前までは、霧積さんも同様のスタンスでいた。しかし彼女はもう、違う宇宙にいる――。

「気になるなあ」

 と思わず、思考が口に出てしまった。はっと唇を引き結んで誤魔化そうとしたが、目黒さんに通じたはずもなく、

「霧積さんのこと?」

「気になるっていうのはその――曲作りでしんどくなってないかなってこと」

「なってると思うよ」

 と目黒さんが即座に応じたので、あたしはひどく驚き、「え?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る