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「BGMって、どうかな」

 ケルベロスの彩色に励んでいた曽我くんに、そう声をかけてみる。ああ、と彼は明るい声で応じてこちらを振り返り、

「あったほうがいいなあ。うん、あったほうがいい」

「考えたんだけど、あえて歌が入ってないのはどうかな。そのほうが鑑賞に没入できそうな気がしない? こう、現実から切り離された感を出すっていうかさ」

「なるほどね。一種のアトラクションみたいに演出するわけか。だったら展示の雰囲気に合った、ちょっと神秘的な曲がいいね。足を踏み入れた途端にわくわくしてくるような」

 アトラクション、という言葉にあたしは刺激された。音で来場者のインスピレーションを湧きあがらせることだって、きっと可能だ。自分たちは不思議の世界に迷い込んだのだという、そして幻獣たちと対峙しているのだという感覚を、胸中に生じさせる手助けになるはずだ。

「そういう曲、なにかあるかな。映画音楽みたいな」

「ちょっと当てがある。とりあえず制作班の提案として、目黒さんにも相談してみるね」

 曽我くんの了解を引き出せたことに満足し、あたしはすぐに霧積さんを探した。折よく教室に戻ってきた彼女を掴まえ、「曽我くん、賛成だって」

「まじか」と霧積さんは頬を緩めたが、すぐに表情をもとに戻して、「でも私の曲だとは言ってないんでしょ?」

「まだ。だけど既存の曲をただ流すより、オリジナルのほうが絶対にいいって」

 あたしたちは揃って目黒さんにもとへ向かった。彼女は教室の隅に机を並べて拵えた独自のスペースで、ノートパソコンを広げて作業に没頭していた。

「――音を使った演出ね。凄くいいと思う」あたしたちの提案に、目黒さんはすぐさま興味を示してくれた。「雰囲気を出すために照明に凝ってみようと思ってたんだけど、音楽があったほうが効果倍増だね。音源はどうしよう? みんなに意見を募ってみる?」

「それなんだけど、目黒さん。もしみんなの了解が得られるなら、私が担当してもいいかな」

 緊張気味に霧積さんが告げる。楽曲の選定を一任してほしいという意味に受け取ったのか、目黒さんは瞬きを繰り返して、

「それはまあ――。でもみんなも流したい曲があるかもしれないし」

「私が作った曲があるの。よければ使ってほしい。もちろんみんなが気に入ってくれたら、でいいから」

 うわあ、と目黒さんは声をあげ、両掌を打ち合わせた。「そういうこと? だったらもちろん。音源、いま手許にある? スピーカーに繋げるかな」

 みんな、と目黒さんは声を張り上げ、瞬く間にクラス全員を集合させた。「霧積さんから申し出があったの。我らが二年三組の〈幻獣展〉で、霧積さん作曲のオリジナル曲を使わせてもらえるって」

 床に胡坐をかいたり、机に凭れ掛かったりしながら話を聞いていたクラスメイトたちが、いっせいに騒めきはじめた。曲を聴かせてほしいという意見が、あちこちから生じる。

「まあ、焦らない焦らない。ここから流すから、みんな心して聴いてね」

 じゃあお願い、と促され、霧積さんが緊張した面持ちで再生釦を押した。小振りなワイヤレススピーカーが、教室の空気を震わせる。あのときの曲だ。

 霧積さんと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、あたしは緊張していた。気に入られないわけがないという確信めいた予感こそあったが、それでもやはり不安だった。合格発表を待つあいだ、霧積さんはこんな気持ちでいたのではないかなどと、勝手なことを思った。

 ようやく一息つけたのは、じっと曲に聴き入っていたクラスメイトたちの口許に、少しずつ笑みが浮かびはじめるのを確認したときだ。それとほぼ同時に、隣り合った生徒どうしで視線を交わし合ったり、楽しげに首を揺らしたりといった動きも生じる。

 曲が終わると、ひとりでに拍手が起きた。なんかコメントしろよ、と背中を小突かれて前に出てきた曽我くんが、

「これで絶対、上手くいくと思う」

 歓声と指笛が起きる。嵐が静まると、彼は霧積さんを振り返って、

「ええと、まずはこんなに素敵な曲を作ってくれた霧積さん、ありがとう。これでますます創作に熱が入るというか――曲に負けない、いい展示にしたいなって、制作班としては思いました。それからひとつ提案なんだけど、スピーカーをいくつか用意して、エリアによって曲を使い分けたらどうだろう? これまでに作ってきた幻獣にもさ、どっしりした荘厳な曲が似合いそうな奴、お客を怖がらせる役回りの奴、小さくて可愛い奴、いろいろといるから。もしそんな曲も用意できるなら、もっと雰囲気が出せるんじゃないかと」

「ということですが、どうですか」目黒さんが霧積さんに尋ねる。

「作るよ。今回の〈幻獣展〉に合わせた曲を、新しく作る」

 再び拍手が起き、教室じゅうを満たした。もしかしたら、先ほどより熱烈だったかもしれない。

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