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 そういった次第で、あたしたちは三人でボックス席に通された。メニューによると、カレーの辛さは五段階で選べるらしい。

「じゃあ真ん中の三で」

 先ほどとは別の、どうやら外国籍らしい男性店員が、「うちのカレー、辛いよ。本格派だからね」

 深く考えることなく選択しかけていたあたしと霧積さんは顔を見合わせ、「二にします」

「二ね。そちらのお客さまは」

 楠原さんは掌を広げ、「五」

「五でいいの? 本当?」

「大丈夫ですから、五で」

 メモを取り終えた店員が下がってしまうと、霧積さんは呆れたように、「楠原あんた、話聞いてた?」

「聞いてたに決まってる。というか、ここには何回か来てるんだって。毎回五で食ってるよ」

 スパイスカレーが来た。下から二番目の辛さなのだからさすがに平気だろうと思って口に運んだのだが、これが存外に刺激的で、あたしは危うく咳き込みかけた。霧積さんも似たような感想を抱いたらしく、目をしばたたかせながら冷水のコップに手を伸ばしている。次に来たときは、辛さレベル一に留めておくべきだろう。

「このあいだ、雛から相談されたことがあって」あたしたちのものとは明確に色合いの異なるカレーを平然と胃袋に収めながら、楠原さんが切り出す。極端な辛い物好きらしい。「展示、もっと雰囲気を出したらしい。雛自身もいろいろ考えてるみたいではあるけど」

「今はそれどころじゃない」と霧積さんが口元を掌で覆いつつ答える。「やばい、舌の細胞死んだかもしれない。目黒さん、展示をどうしたいって?」

「本人の言葉を借りるなら、オーラを出したい、と。照明にでも凝ってみればって言っておいたけど、やっぱりまだなにか足りないっぽいな」

 テーブルの木目や、銀色の食器が放つ輝きをぼんやりと見つめながら、あたしは考えを巡らせた。完成した幻獣たちの陳列はおそらく制作班の仕事だろう、程度のことは漠然と想定していた。しかし具体的にどのようなレイアウトがなされるのか、いかなる雰囲気を纏った展示会にするのか、といった諸々については、これまで意識が及んでいなかった。前面に打ち出されるのは恐怖なのか? 重厚さなのか? それともポップさなのか?

「そういう話、目黒さんクラスでしてたっけ?」

「いや、聞いたことない」

 だろうな、と楠原さんは低い声で言った。「雛って、思い付きをすぐ口に出す奴じゃないから。形になるって確信が得られるまで、自分だけで煮詰めたがる癖があるんだよ。こっちから訊いてやらないと吐き出さない。だからまあ、少しは気にかけてやって。じゃ、悪いけど私はこれで」

 代金を置いて立ち去ろうとした楠原さんを、霧積さんが引き留める。「帰っちゃうの? ここで?」

「もう食べ終わったし。ふたりを待ってたら、いつまでかかるか分かんないだろ」

「辛いんだもん。デザートかなんか追加しなよ」

「こう見えて忙しいんだよ、私は。それに、展示会をどうするかは三組の問題だろ? 部外者の私が首を突っ込みすぎる気にはなれない」

 ふん、と霧積さんは鼻を鳴らした。「ごもっとも。あとは私らで考えろってことね」

「そういうこと。じゃあ」

 楠原さんは鞄を肩に引っ掛け、本当にそのまま出て行ってしまった。あたしとふたりきりになった途端、霧積さんは深々と息を吐き出して、

「なんであいつ、ああなのかな」

「まあ、でも、友達思いな人なんじゃない? ああやって忠告してくれたわけだし」

「いい面に目を向ければ、ね。基本的に自分勝手だし、態度もでかい。悪い奴ではないけどね。そう――それでさ、讃井さん。さっきの話なんだけど」

「展示にオーラを出すにはどうするかって話?」

「いや、もっと前。夏休みになにしてたかって話」

 そういえば確かに、そんな会話をしていた。この店に入る直前のことだ。「ああ。インドア派って言ってたっけ」

 彼女は小さく頷き、それから屈み込んで自分の鞄を引き寄せた。イヤフォンを取り出し、指先で摘まむ。片方をこちらに差し出しながら、

「本当は、星の話を聞かせてもらったときにすればよかった。テンブンガクに比べたら私のはぜんぜん、遊びみたいなもんではあるけど」

 霧積さんの意図がいまひとつ理解しきれないまま、あたしはイヤフォンを受け取って左耳に嵌めた。彼女はもう片方を自分の右耳に宛がい、手許で端末を操作しはじめている。音楽鑑賞が趣味なのか。

 脳裡に煌めきが生じた。そう感じた。鍵盤の響きのようにも聴こえたけれど、確信は抱けない。細やかで、それでいて深く、明瞭なトーンを伴った音色がメロディを成していく。シンプルながら力強いリズムと、激しく動き回る低音が、曲を支えているのが分かる。駆け出すようにテンポが上がり、また同じ主旋律が訪れる――。

 ヴォーカルのない、いわゆるインストゥルメンタルの曲だった。最後の音がふわりと消失するまで、あたしはただ沈黙を貫いたまま、片側だけのイヤフォンに意識を集中させていた。吸い寄せられていた、と言ってもいい。その数分間だけ、自分が別の宇宙の存在になったかのような気がしていた。

「これ、なんてバンド?」とあたしは昂奮気味に尋ねた。「こういうの、初めて聴いた。歌がある曲しかふだん聴かないから」

「そう」と霧積さんは照れたように笑った。それからあたしを見て、静かな声音で、「私が作った」

「え」

「休み中、なにしてるかって話だったじゃん。暇だったから作ったんだよ、ひとりで」

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