第12話 大学日本拳法の功徳 礼の効用 V.2.1

  私の大学生時代、昇段丘審査や大会のたびに、最高師範でいらした拳法協会会長の森良之佑というおっさんは、壇上でいろいろ仰っていらっしゃいました。

 大学で5年間も日本拳法をやっていたので、何十回もおっさんの訓示を聞いていたにもかかわらず、全部忘れてしまいましたが、一つだけ覚えている有益な言葉(教え)がありました。それは試合場における「礼」についてです。


  おっさんはこう仰っていました。

  「チワッす」なんて感じでペコっと頭だけを下げるのは礼ではない。(試合開始と終わりにおける)正しい礼とは「トン・チン・シャン」で行わねばならない、と。


「トン」で、かかとをくっつけて直立の姿勢になる。

「チン」で、腰を90度の角度に曲げて頭を下げる。

「シャン」で、再び直立不動に戻る。

しかも、自分一人で「演じる」のではなく、相手の目というか姿を意識しながらその心に合わせてこれを行うべきである。

  というお話でした。

  おそらく、この話だけは自分自身で「もっともである」と思ったのか、フォーマルな場では、必ずその通りにやっていました。


① 大学卒業後は、半導体設計装置や製造装置の輸入販売の営業・マーケティングを担当しておりましたので、当時10社あった大手電気(電機)メーカーの技術者の方々数百人と、日本で5年間・米国駐在員時代の5年間、商売でお付き合いををさせて戴いておりました。米国ではお食事や観光をご一緒したりという類のお付き合いですが。


  その内の10パーセントくらいの方から、商売以外の話の中で「平栗さんは礼がしっかりされていますね」と言われました。(礼とはあまり関係ありませんが、ほぼすべての方から「東京人には見えない。熊本か鹿児島出身ではないのか」と言われていました。)

  友人同士の「ペコっと」頭を下げる軽い挨拶ではなく、かといって銀行の案内係のようなペコペコした、慇懃無礼とも受け取れる礼でもない。「トン・チン・シャン」という、流れとリズムのある礼儀が「印象的」であったのではないかと思います。


② 入社後6年目に米国駐在員が決まった時、たまたま人事部長と話をする機会がありました。その時もやはり、私の礼がしっかりしている、ということを言われました(入社試験の時の面接審査時)。

  仕事の話をするにしても、単なる食事等の接待にしても、その「開始と終わり」はきちっとした礼をすることで「けじめができる」。大学日本拳法の試合でも「メリハリのある戦い方」というのが重要ですが、30分の仕事の打ち合わせにしても、何時間もお酒を飲んで話す時でも、始めと終わりは「きちっと締める」ことで、相手の自分に対する印象の度合いが違ってくるのではないかと思います。



③ 10年前、台湾・高雄という町の師範大学の寮に滞在していました。

  そこは中高も併設していたのですが、ある日の夕方、お昼の学食でよく会う女の子(高校三年生)から「今晩、学校のコンサートホールで学芸会があり、私たちも楽器の演奏や芝居をするから、見に来て。」と誘われました。

夕食後の7時頃行くと、受付には10数名ほどの正装した先生たちが、来賓(生徒の父兄や教育関係者)の応対をされていました。一般の人は入れない、身内だけの演芸(演奏)会のようでした。

  下駄履きにポロシャツ姿というラフな服装の私が近づくと、一人の男性教師の方が、ちょっと怪訝な顔で頭を下げます。私は「こちらの学校には関係ない者ですが、・・・。」と言うと、記名を則されました。

わたしが「平栗雅人」と記入した瞬間、それを見た教師たちが「おお !まさしく日本人だ」と(中国語で)歓声を上げました。

記入を終えると、いかにも賢そうな美しい(英語の)女性教師が目の前に立ち「ご案内申し上げます。どうぞこちらへ。」と丁寧な英語で促します。そこで私も、下駄の踵をカチッと合わせ、かの「トン・チン・シャン」を行いました。

すると今度は、さっきの倍以上の歓声が上がりました。口々に「リーベン(日本人だ)」と唸っています。


台湾人・韓国人に限らず、外国人できちっとした礼のできる民族はいません。(日本人でも、武道や茶道などをやった人以外は、皆いい加減な礼です。)

90度まで深々とお辞儀をする必要はありませんが、相手との間合い(距離)と「トン・チン・シャン」という間・拍子のとり方は、見る人が見れば「受ける」。


あの場にいらした10数名の教師とは、皆さんきわめて優秀な方々です(お茶の水女子大学や東京教育大学付属高校の教師のようなレベル)。

でも、どんなに優秀な頭脳・教養・知識があっても、「トン・チン・シャン」のようなことを、彼らは教わったことがない。

そんな、今まで見たことも聞いたこともない「礼」にもかかわらず、彼らに高く評価されたというのは、人間の根本的な態度・人倫的な仕種というものは万国共通の大切なことである、ということを私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

案内された席は、舞台正面の最前列、なんと校長先生の(一つ空席を置いた)隣りでした。

約1.5時間、音楽の演奏は別にして、芝居や漫才(コント)は中国語ゆえ、ほとんどわかりませんでしたが、そこは日本人の私、頭で理解できなければスピリッツで感じ取る、というスタイルで、この場の雰囲気に完全没入し思いっきり楽しむことができました。


終了後、校長先生(女性)にご挨拶すると、どうも私(日本人)が来るということは、かの女生徒から伝わっていたようでした。

彼女は20人ほどの少数精鋭進学特別クラス(?)の生徒で、台湾に約100校ある大学のうち、台北大学のような上位5校にほぼ全員が進学するのだそうです(それで英語が私よりもずっと上手 ! )。 そんな優秀な生徒の「お友達」ですから、部外者にもかかわらず入れてくれたのかもしれません。


さて、「日本人ゆえ」に楽しい演芸会を堪能させてもらったからには、ここはやはり「日本人として」口先ばかりでなく、報恩謝徳の心を行動で示さねばならない。

(→ 『行動は空論に勝る』

http://j.people.com.cn/n3/2023/0605/c94474-20027795.html )。


しかし、相手が日本人であれば、気の利いたセリフ一つで意を伝えることもできるのですが、ここは外国、しかも感謝の念を伝えるべき相手は一人ではなく、生徒や先生たち全員なのです。


◎「江戸の仇を長崎で討つ」

私は商社マン時代、客先で答えられないことは、すべて会社へ戻ってから日本の技術者やメーカー(アメリカ)の技術者に問い合わせ、それを一両日中にファクスやプリントアウトした回答(資料)にして郵送で送る、という「問題解決のアルゴリズム」を実行していました。

頭が悪いんですから、コンピューターや半導体製造装置に関する専門的な話なんてついていけるわけがない。しかし、エンジニアたちから聞いた話を、その内容を技術的に理解しないまでも、論理として文章化しまとめ上げることはできる。

それには膨大な時間がかかりましたが、そのために会社員時代、私にはいくら時間があっても足りないくらいでした。


◎ 平栗、台湾で落とし前をつける(恩に報い、徳に感謝する)

台湾でもこのやり方で、学芸会で受けた恩に報いようとしたのです。

翌日の土曜日、昼飯を食うと、私は机に座り時にベッドで横になりながら、昨日の生徒たちの熱演を思い出しました。のんびり思い出すというよりも、必死で哲学しました。

そして、夕食後パソコンに向かい、商社マン時代のように深夜まで画面を睨み、昨日の「感動を論理的に文章化する」作業に集中しました。「日本人にとって、何がどう素晴らしかったのか」を、誰もが納得してもらえる普遍的な内容にまとめ上げようとしたのです。


夜書いた文章というのは熱情が籠もり過ぎて暴走気味になる(しかし、暴走するくらい自由自在に発想を伸ばさなければ、内容的に小さくなってしまう)。

そこで必ず昼間、自分で読み返し、更には第三者(私以上に技術的なことを知らない、経理や財務の人たち)に読んでもらう、というのは商社時代にやっていたことです。

台湾では、英語から中国語にGoogle翻訳した文章を寮の仲間にチェックしてもらいました。師範大の学生は英語ができますから、中国語の添削と共に、内容的に意味が通じない部分も指摘してもらったのです。

書いては直しを何度も繰り返し、日曜日の夕方になってようやく出来上がった、A4一枚の英語・中国語併記「学芸会観劇記」を近くのコピー屋で印刷し、翌月曜日の昼食時、かの女生徒に感謝の言葉とともに手渡しました(金曜日の感動を、土・日を挟んで月曜日に伝える。これが火曜日や水曜日では駄目なのです。)。


その2・3日後、それまで3ヶ月間の台湾滞在で私が経験したことがないくらい、たくさんの高校生と教師たちで、昼の学食は満員御礼状態になっていました。

私は相変わらず、バカ面をしてテレビのニュースを眺めながら、サンマ定食かなんかを食べていたのですが、かの女生徒が側(そば)に来てこう耳打ちします。「あなたの書いた感想文を校長先生が見て、それが1ヶ月間の期間限定で学校のHPに掲載されたのよ。それでみんな、あなたをこっそり見に来てるの。」と。


◎ 大学日本拳法式「礼の心」

金もない、言葉もできない私ですが、バカはバカなりに「トン・チン・シャン」という礼の心を「場と間合いとタイミング」によって具現化(文章化)することで、異国の地で外国人として、正しい意思疎通ができた、と言えるのかもしれません。

場の雰囲気を見て、相手の知的レベルに間合いを調整し、タイミングを逃さずに攻撃する(相手に働きかける)。これこそ(現実に相手をぶん殴る)大学日本拳法の効用(というか楽しみ方のひとつ)なのではないでしょうか。

2023年6月10日

V.1.1

2023年6月11日

V.2.1

平栗雅人

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大学日本拳法の功徳 V.6.1 @MasatoHiraguri

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