第11話 大学日本拳法の功徳(如来を見る)
インドで生まれ中国で広まった「金剛経」には、
「ガンジスの大河にあるかぎりの砂の数だけガンジス河があり、そして、それらの中にある砂の数ほどの世界があるとすれば、その世界は多いであろうか。」(岩波文庫33-303-1)
なんて話(問答)が、至るところに出てくる。
あのスケールのでかい中国人でもぶっ飛ぶくらい、途方もない古代インド人の思考世界といえるでしょう。(英国の植民地支配によって、19世紀の100年間バカになっていました。日本も、明治維新以来、天皇制というバカの道を歩んで100年が過ぎました。)
その一節にこんな言葉があります。
過去心不可得
現在心付加得
未来心付加得
常住不変な存在の根本的真理という立場から見れば、すべての流れ・変化はアナログ的であり、決して止(とど)まることはない。ゆえに過去も現在も未来も「有る」には有るが、その一瞬を「1・0」というようなデジタル的に切り取ることはできない、と言うのです(岩波文庫訳からの、私の解釈)。
しかし、大学日本拳法における面突きの一瞬とは「付加得」が「得」になる一瞬です。そこには意志と意志とのぶつかり合い(戦い)があるから。
そして、自分の意思で切り取った一瞬こそが、批判の余地のない「純粋理性」といえるのです。
◎ ドイツ人(ゲルマン民族)はカント哲学によって彼らの純粋理性を追求する。
◎ 中国人は中国古典籍の精神が流れる濃い血(と、それを励起させる太極拳のような触媒)によって、自分の中国人性を無意識に、しかし極めて強く認識している。
そして、
◎ 大学日本拳法人は「面突きの一瞬」を味わうことによって、外来種文化によって深く封じ込まれていた「在来種日本人性」に目覚めることができる。
*** 如来とは、生ずることはないという存在の本質の異名であり、存在の断絶 の異名(現象的な存在を超絶している)である。(岩波文庫註釈)
2023年5月28日
V.4.3
平栗雅人
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