第10話 大学日本拳法式危機管理

 上記「ゼミ その2」のように、夏休みの初めの2週間、昼休みは部室に籠り、社会調査ゼミのアンケート作りをしていました。

  ある日、ズシン・ズシンという重量級の足音が部室に近づいてきます(バラック建ての2階で、廊下は板張り)。朽ちかけた木の扉を勢いよく開けて入ってきたのは、身長185センチ、体重90キロ?、頭はパンチパーマ、耳は潰れ、顔は赤鬼のようなすさまじい形相で、レスリング部員だという。

  (彼らは耳が充血すると、針を刺して血を抜くんだそうです。「血の気が多い」とはこういう人たちを言うのですね。ちなみに、同じように血の気の多い柔道部員は、板橋の大病院で売血のアルバイトを、よくしていました)。


  私は彼のことを知らなかったのですが、彼は私が日拳であることを知っていて、昼休みに訪ねてきたのです。セレクションなら「補修授業」なんて関係ないはずなのですが、彼が言うには「語学は別」なんだそうです。

  そんなことを話しているうちに、彼のアルバイトの話になり、そのバイト先に飲みにいかないか(もちろんタダで)、と言う。

  その店は新宿の歌舞伎町に、当時増え始めていた、俗に「絨毯バー」(別名、ぼったくりバー)という個室のバーで、彼はそこの用心棒をやっているのだそうです。

  20~22時ころ、一杯飲んでいい気持になったサラリーマンを連れ込み、床も壁も分厚い絨毯でおおわれた薄暗い個室でピチピチギャルとお酒を飲んで「30万円」というシステム、つまり「強奪(ぼったくり)」です。

  営業時間は18時から24時までですが、ほろ酔い気分のサラリーマンがターゲット(カモ)ですから、20時頃からが実質的なお仕事。日当は5千円ですが、その日の水揚げ次第で、1万円もらえる日もあるそうです。(当時、学生アルバイトの時給(ウエイター・コック・皿洗い等)が450円、家庭教師が1,000~1,500円でした。)

  普段は奥の部屋でスルメやピーナツなんかのつまみを用意したりしていて、お客が会計の時に30万円の伝票を渡されて「サプライズ」した時に、あの鬼のような顔で「相談に乗る」。

  実際、用心棒としてお客にレスリングの技をかけるに至るのは今まで皆無。彼が登場した時点で、ほぼ全員がフォール負け、クレジットカーで円満決済となるそうです。

  店長さんによると「紳士と淑女の社交場」を看板にしているので、ご案内係(ポン引き)も、厳選されたジェントルマン(気の弱そうな素人さん)だけをお連れするので、はしたない大声をあげたり乱暴狼藉を働くような不心得者は、基本的に皆無だと。


  私は、前年の夏休み期間中は一ヶ月間休みなしだったのですが、この年は補習授業で頭を使うので疲れる(実際は全部寝ていた)ということで、週一日は休みをもらっていました。

ちょうど、翌日の木曜日は休みでしたので、きれいなおネエチャンと(タダで)お話しができる、とワクワク気分。絨毯バーで靴は関係ないのに、ナイキのスニーカーなんか履いて、ええとこのボンボンというよりも、ちょっとした遊び人スタイルで出かけました。

  後にして思えば、このスニーカーで命拾いしたのです。


新宿に着いたのは18時前でしたので、歌舞伎町のあたりの焼鳥屋で時間を潰そうということになりましたが、これがいけなかったのです。

  私も彼も酒が弱いので、二人でビール大ビン一本を空けるのが精一杯。私は日本拳法部の納会の時など、必ずと言っていいほど(トイレで)吐きまくっていました。レスリング部の彼も、化け物見たいな図体と顔つきのわりには、コップ一杯で酩酊状態。二人とも安上がりなんですね。

 で、数分歩いて、あるビルの中の(彼の働く)店に入ると、彼は「アレー、 ○○さんはぁー ?」なんて、ろれつが回らない状態で言う。店員は(なぜか)彼の姿に一瞬驚いているようでしたが、そこは商売人「どうぞ、どうぞ」と奥へ通される。薄暗い絨毯貼りの狭い部屋で、すかさず奇麗どころのお姉さんと酒が出る。

  水割りというのは口当たりがいいし、美人の香水に包まれて2人とも、つい3・4杯と杯を重ねる。気がつけば、もう1時間経っているのでお開きとなりました。


女の子に付き添われて店の入り口まで来ると、恰幅のいい背広姿のキリッとしたお兄さんから「ありがとうございました」なんて言われながら紙切れを渡されたのですが、そこには「三十万円」の文字が。

ほろ酔い気分が一気にマイナス40度まで急降下、隣でオネエちゃんとベタベタしているレスリング部に「オイ !」と言いながら見せると、入店時以上に頼りない声で「アレー、 ○○さんはぁー ?」を繰り返すだけ。


「もはやこれまで」。場の状況を悟った私は観念しました。ここに至っては、無念無想の境地。

そこで、大学日本拳法部員らしく、目の前に迫る強面のお兄さんたち3人を殴り飛ばし蹴散らして一目散にトイレへ駆け込み、大の個室に入るやロックをし(体重60キロ当時の私ならギリギリ這い出せる)小窓を開け、隣のビルとの隙間(約50センチ)に這い出す(1時間の歓談中、トイレで一時退席した時に見ておいたのです)。

  コンクリートの固まりやら、釘の出た板切れなどが転がっているので、普段履いているビーチサンダルではケガをするところ、その時は運動靴でしたので、すぐに表の通りに駆け出ることができました。

  後は、疾きこと風の如し。普段、新宿へ行けば必ず立ち寄る「熊本ラーメン」を横目で見て素通りし、電車に乗るまで5分かからなかったかもしれません。

  50年前のあの身軽さ・迷いの無さこそ、自分が本当に自分であった時代、大学日本拳法の証明といえるでしょう。


  翌日の昼休み、相変わらずインクまみれになってアンケート用紙を印刷していると、再び「ズシン、ズシン」という足音と共に「ヨーォ !」なんて明るい声で、あいつが顔を出します。

「テメエ、どの面下げて来やがって!」と、南部鉄製の灰皿をつかもうとすると、

「イヤー、それがよ・・・。」と、畳に座り込み、タバコに火をつけながら昨日の顛末を話し始めました。

  私が逃走した後、「お連れさんがいなくなってしまったんで」ということで、彼に「30万円」が回ってきたのですが、奴は「○○さんはぁー ?」を繰り返しているばかり。

  すると、一人の舎弟(従業員)が「あにき(店長)、こいつが言ってる○○さんていうのは、楊貴妃の店長のことじゃないんですか」と注進したらしい。

で、そこへ若い衆を行かせて見ると、案の上、ということに。

彼が働いている店は「楊貴妃」で、今回私と(間違って)入店したのは「クレオパトラ」という名前の、全く同じ店構え・システムの店だったのです。内装を安くあげるために、あの辺りの店は、皆同じ内装・調度家具が使われ、店の看板だけが100店100様なんだそうです。

で、お気楽男は「いやー、店の名前も格好も似てたから、ぜんぜん気がつかなかった」なんて、とぼけたことを言ってガハハと笑っている。

更に「楊貴妃の店長がよ、お前のことを気に入って(用心棒として)働かねえかって言ってたぜ。」なんて言う。

「 ??? 」「楊貴妃ってのはお前の店じゃねえのかよ」と返すと、

「ああ、そうだ、クレオパトラだよ。似たような名前だから、こんがらがっちまうぜ。」

「お前なぁ、漢字とカタカナで、ぜんぜん違うじゃねえか」と、言いかけましたが、ここもやはり、何を言っても無駄。「無念無想」の境地で、黙って私はガリ版印刷を再開しました。



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