出会い
もう歩き続けて2日……いや、3日か?
そんなことを考えながら、僕は歩く。
ここは魔物がウヨウヨいる危険な森だ。こんな場所に宿屋があるとは思えないが、立ち止まったら疲れで立ったまま寝てしまう。
ただ無心に歩き続ける。木の枝を踏んで折れる音が心地いい。
風で周りの大樹が葉を大きく揺らしている。
何だ?もしかして雨が降るのか?
急いで宿屋を探さなくちゃ……。
僕は疲れで弱りきった足を無理矢理動かし、辺りを見回す。
夜までに宿を見つけなければ……野宿だと疲れが取れない。たまにはベットへ横になりしっかり休息を取りたいものだ。
歩き続けて何時間経過しただろう。辺りが薄暗くなってきた。夜行性の魔物は特に危険だ。
自身の腰に引っ掛けてある白い指揮棒に触れながら警戒して歩く。
そんな時、遠くの方で明かりが一瞬見えた。
反射的に体が動く。走れる。疲れなんて一気に取れた。早く。早く休憩出来る場所が欲しい。
ランプを見上げて、その奥を見つめる。
「良かったー……」
宿屋だ。あったんだ。こんな場所にも。
しかしおかしい。目印のランプが点灯しているにも関わらず、宿屋の中には明かりが一切無い。
人がいる気配が全くないのだ。
もしかしてこの森の魔物に襲われたのか?いや、それはないだろう。
宿屋前を明るく照らしてくれているこの光は、魔物避けの道具だ。
宿主が襲撃されているなら、このランプを破壊してからじゃないと無理だよな……。
不気味に思いながらも、宿屋の板を踏む。
きしんでいる。古い。もう随分前に建てられた物っぽいな。
ドアを開けると、そこはもぬけの殻だった。
そう、本当に誰もいない。
「す、すみませーん。どなたかみえませんかー?」
声を掛けてみるも、返事は来ない。
「ぼ、僕、旅の者でしてー。だからあの、ここで1晩泊まらせてもらえないですかー?」
反応無し。誰もいないのか?
見回してみると、受付の机に1つの紙が置いてあるのに気付いた。
その紙をよくよく見てみる。
「廃墟撤去の請求書……か」
となると、どうもここは宿屋が潰れて宿主が請求書の額を払えず逃げたって感じか。そりゃあ、こんな危険な森に旅人なんてそうそう来ないもんな。
しかし、宿が無料ならば尚更都合がいい。
とりあえず僕は宿の中を探索してみることにした。
部屋はベットや家具と立派だが、全て埃まみれになっている。しばらくここにいたらむせそうだ。
「2階はどうなってるんだろう」
好奇心が疼き、危ない音を立てながら階段を登る。
次の段へ足をかけた瞬間、木製で出来た階段が割れ、真っ逆さまに落っこちた。
「いっで!!!」
幸い咄嗟に受け身を取って頭は打たなかったが、背中と首をやられた。動かす度、軋むように痛みが走る。
「探索はこの辺にして、とりあえず食事でもするか……」
痛む首を押さえながらリュックを肩から下ろし、この森で手に入れた鹿の肉が入ったケースを取り出す。
でも僕は肉が嫌いだ。生まれた時から魚ばかりを食べて育ったせいだろうか。
一階には一応キッチンらしき部屋があったので、コンロをつけてみた。当たり前だがつかない。
もうここは廃墟なんだ。
ライターを使おうとするも、ここは木製の宿屋だ。
何かしらの形で燃え移りでもしたら取り返しがつかなくなる。
仕方なく外に出て火を起こし、鹿の骨を肉に刺してじっくり焼いていく。
「これじゃあ野宿とほぼ同じじゃんか……」
そんな事を1人でブツブツ呟いていると、近くの草がガサガサと音をたてて揺れた。
何だ?兎か?ランプ前にいるから魔物ではないはずだ。
立ち上がって正体を確かめようとした時、ソレはこちらへ勢いよく飛び出て、焼いていた肉を奪い取ると一目散に逆方向へ走り出した。
「お……女の子!?」
慌てて僕も立ち上がり追いかける。速すぎて固まってしまったが、後ろに2つ結びの小さな女の子だった。
いやでも!こちとら、もう2日も食ってないんだぞ!それしか僕の食料ないんだぞ!!
「おい待て! 泥棒!」
食料泥棒は僕の声を無視して全力疾走。
走って追いかけるも、向こうの方が速いのか、どんどん離される。もう辺りは薄暗い。
このままじゃ見失う!
「待てって言ってんだろ!」
反射的に指揮棒へ手が伸び、先を少女へ向ける。
その瞬間、指揮棒からは光の鞭が放たれ、蛇の様に森を駆け抜けると彼女を縛りつけ拘束した。
「えっ――ちょっ!」
少女は派手にすっ転び、抱えていた肉も地面に転がった。
鞭をほどこうともがく少女に、僕もようやく合流した。少女を見下ろすと、彼女は鋭い目で僕を睨みつけてきた。
「何なのよこれ! 早く外しなさいよ!」
「君が僕の食料を取ったからだろう」
「肉を見せびらかしながら焼いてる方が悪いのよ!」
彼女は僕の顔に唾を吐きかけた。イライラするが、ここは我慢だ。こんな小さな女の子を相手に怒るなんてみっともないじゃないか。
「どうして僕の食べ物を取ったの?」
「お腹空いてるからに決まってんでしょ! こっちは2日も肉食ってないのよ!」
2日……僕と同じだ。こんな少女が2日間も食べていないのか……。こんな5-6歳ぐらいの子が。
少女はだんだん涙目になって僕に訴えてきた。
「もう我慢の限界なのよ! 毎日毎日野菜スープばっかり! もううんざりなの! 私だって肉食べたいのに!」
少女の目から涙が溢れる。
そうだ。彼女だって好きで盗っ人してるんじゃない。
一応僕にだって人間の心ぐらいあるさ。気が付けば僕は彼女を縛り上げていた光の鞭を解いていた。
「……しょうがないな。肉半分分けてやるから泣くなよ」
「泣いてないわよ!! てか!今の眩しいやつ何なのよ!」
「そりゃ僕、光属性だし。君は足が速かったから風だと思うんだけど、違うのかい?」
少女は手を差し伸べようとした僕の手を引っぱたいて、転がっていた肉を拾うと僕に差し出してきた。
僕は持っていたナイフで均等に分けると、半分の肉を少女にあげた。
少女はもらうと同時に肉にかぶりついた。よほどお腹が空いていたのだろう。
しかし、1口食べるとすぐに手が止まった。
「ねえ、この肉味付けしてないの?」
「そりゃそうだろ。調味料を持ち歩く旅人がどこにいるんだよ」
「味なかったら食べてる気がしないわよ!」
少女は片手に肉を持つと、もう片方の手で僕の服を引っ張り、どこかへ連れていこうとする。
「何なんだよ急に。肉あげたんだからお前もう家帰れよ」
「近くに調味料がある場所知ってるのよ、あたし」
そう言って連れてこられたのはさっきまでいた廃墟となった宿屋だ。
彼女は中に入るなりすぐさま1階のキッチンへ走り、慣れた手つきでタンスを漁り始めた。
2-3個の調味料を取り出すと、それを肉にふりかけて美味しそうに食べ始めた。
「……その調味料、賞味期限は」
「5年前よ。でもあたし、お腹壊したことないから平気」
彼女は肉を平らげると、僕に調味料を差し出してきた。
「……本当に大丈夫なの?」
「味ないよりはマシでしょ」
少女の気持ちを無下にしてはいけないと、調味料を手に取り少しだけふりかけ、肉を口へ運んだ。
「美味しいでしょ?」
「うん……」
けれども2口、3口食べて手が止まった。
少女がこちらを羨ましそうに見上げている。
「何よ食べないの?」
「僕昔から肉が嫌いで、魚派なんだよ。それに腹はあまり減ってないんだ」
「食べないならそれ、よこしなさいよ」
「いいよ、あげる。でもゆっくり食べなよ。喉に詰まらせるといけないから」
「そんな事分かってるわよ」
食べかけの肉を彼女に手渡すと、彼女は勢いよく食べてあっという間に完食してしまった。
「……君、名前は」
「あたしアイネ。あんたは?」
「僕はクロハ。世界中を旅しているんだ。それにしても、どうしてこんな危険な森に君がいるんだ?親は」
「親なんていない。おばあちゃんしかいなかった」
「いなかった?」
「おばあちゃんも去年死んじゃったわ」
初対面なのにすごい地雷を踏んでしまった……。
急いで謝ったが、彼女は気にしていない素振りを見せた。
「あたしの家は貧しくてね。毎回この森でしか取れない薬草を取ってきて、町へ売って生活しているのよ。だけど、あんたが外で肉焼いてるの見て……羨ましくて」
「欲しいなら分けてくれって言えばいいじゃないか」
「そんな乞食みたいなことしたくないのよ!」
随分とプライドの高い女の子だな……。
そろそろ寝ようかとベッドへ向かい、埃を払った。埃が手にくっ付いて、一瞬で灰色に染まる。
「ここのベッドは使えそうにないな。床で寝るか」
「は?床!? 有り得ないわ!」
「しょうがないだろ。野宿するにしても魔物がいて危険だ。それにもうすぐ雨も――」
「そんなんだったらあたしの家に来て寝なさいよ。ここよりはうんとマシだわ」
「え?」
意外すぎる返しに閉じかけていた瞼がかっぴらいた。
「泥棒の家にお邪魔するのも……寝てる時に物盗られそうで嫌なんだが」
「そんな卑怯なことしないわよ! ほら行くよ!」
寝かけている体を無理矢理起こされ、次は家へ連れていかれた。勘弁してくれ。こっちはろくに寝ずに歩き続けて疲労困憊なんだぞ。
「てかあんたの親もどうかしてるわよ。何で旅の許可なんか出したの? あんた、どう見ても少年ぐらいにしか見えないわ」
「別にいいだろ趣味で旅してんだよ。それに一応成人してるから、俺」
「大人に見えないわ!!」
「よく言われる」
そんなこんなとくだらない会話をしながら山を下ると、小さな家がポツンと立っているのが見えた。
「あれが君の家?」
「君って呼ばないでよ。あたしの名前アイネだけど」
「アイネの家か?」
「ええ、そうよ」
アイネの家に着き、中に入ると、そこにはグツグツと煮込まれている釜のスープや、本棚がズラリと置いてあった。
スープのいい匂いが鼻をくすぐる。
「このスープも君……アイネが作ってるんだ?」
「そりゃそうでしょ。あたししか住んでる人いないんだから」
小さな部屋の隅に沢山の藁が敷かれている場所に案内された。
「ベッドはないけど、地べたで寝るよりはマシでしょ」
「何でこんなことしてくれるの?」
「肉くれたお礼よ。あたし、人に借りを作るのは嫌なの」
「……ありがとう」
お言葉に甘えて、藁に横になる。やっと眠れる……と思った時、首に激痛が走った。
ああそっか。そういえば階段から落ちて打ったんだった……流石に首は痛い。
刺すような痛みが走る首を押さえて悶えていると、アイネが僕の様子に気付いたようだった。
「ねえ、どうしたの? 大丈夫?」
「た……旅の途中で首と背中を……怪我しちゃって……痛っ――」
「え? それを早く言いなさいよ!!!」
アイネは僕の押さえている手をこじ開けて首を見る。
「酷い打撲だわ……ちょっと待ってて」
アイネはドタドタ音を立てながら部屋の奥へ走っていくと、茶色の瓶を2つ抱えてすぐにこちらへ戻ってきた。
瓶から白い液体を指で拭いとると、それを僕の首に擦り付けてきた。
「冷たっ――!」
「薬なんだからこれぐらい我慢しなさいよ」
「毒塗ってるんじゃないよな……?」
「もう看病してやんないわよ!!」
「ご……ごめんってごめん。ありがとうアイネ」
塗られた場所はとてもヒリヒリしていて冷たくて、染みるようだが、薬の瓶を目を凝らして見てみると「いたみどめ」と平仮名で書かれいた。
薬の調合も彼女が行ったのだろうか。
「お前、薬剤師向いてるんじゃないのか」
「おばあちゃんが薬剤師だったから。あたしはそれを教わっただけよ」
「本当にありがとう。見ず知らずの俺を藁で寝かせてくれて、看病も……」
「別に。とっとと出てって欲しいからやってるだけよ。居座られると困るの」
アイネは僕に顔を見られないようにか、後ろを向いて薬を塗ってくれていた。気のせいか、一瞬見えた横顔は赤く染まっているように見えた。
体を横にしていると、疲れがどっと出て、瞼がだんだん重くなっていく……。
首に薬を塗られている感触が、マッサージをされているみたいで気持ちいい。
アイネが何かを話しかけてくれているが、もう聞き取れない。
僕は気を失うようにそのまま眠りに落ちた。
―――――――
どれだけの時間眠っていたのだろう。
目が覚めると同時に勢いよく飛び起きた。
「朝……」
まずい、今夜は国際中央広場の酒場でアイツと打ち合わせがあるんだった。
急いで起きて寝癖を整えて荷物を持ち、家を飛び出した。
「あら、もう起きたの」
後ろから声をかけられる。アイネだ。
「首の調子はどうかしら」
「ありがとう。すごく楽になったよ。それじゃあ――」
駆け出そうとすると、腕を掴まれて後ろに引っ張られた。
アイネが下を向いてもじもじしていて、何か言いたげだ。
「ごめん、何か用? 今急いでるから」
「今からどこに行くのよ」
「国際中央広場だよ。そこで仲間と待ち合わせしてるんだ」
「これからも旅を続けていくつもり?」
「……え? そりゃ、うん」
「……ねえ、その旅、あたしも連れて行ってくれない?」
「は?」
あまりの衝撃にフリーズした。
何言ってるんだこの子……。
「く、首……まだ完治してないから! 仕方なく行ってやるって、言ってんの!」
「いや、首はほっとけば治るから大丈夫」
「また怪我したら看病する人いないんでしょ!」
「そんなのどうにでもなるし、旅ってのは常に危険が付きまとうんだぞ。おチビはここで薬剤師するのが妥当な判断だ」
「チビじゃないわよ!」
「いいから、とにかくアイネは連れて行けない」
「行くったら!!」
もしかして、まだお金に困っているのか……?
そう思った僕は、リュックから金貨を数枚手に転がしてアイネに握らせた。
「ほら、これでしばらくは食っていけるだろ。看病の代金だ」
「え?」
「それじゃあ。僕もう急いでるから」
時間がない。ここから最短で国際中央広場までいけるのはクラクチョウくらいか。
走って乗り場へ行かなくちゃもう乗れなくなる……!
だけれど、走り出した途端に足がもつれ、転んでしまった。何だ、ツタか。こんな時に!
ツタを取ろうと足に手を伸ばしたら、柔らかいものに触れた。髪の毛……?
「クロハ!!」
ふと見てみると、アイネが僕の左足にガッシリしがみついていた。
「あたしを連れて行けって言ってんのよ!」
「しつこいぞ! 無理だってのが分からないのか! 旅に子守りなんてごめんだ!」
「重りになんてならないわよ!!」
「お前薬剤師になるんだろ!」
「そんなのどうでもいい!!」
足を振ってなんとかアイネを振り落とそうとするも、頑丈で全然離れない。
クラクチョウは夜行性だ。次のに乗れなかったら丸1日またここに居なくちゃいけなくなる……!
「いい加減にしろ!」
焦りで頭に血が登り、気が付けば腰にさしていた指揮棒を手に取り、アイネへ向けていた。
途端にアイネは目につぶり、怯えた表情をとった。
……違う。違うだろう。子供を脅すために指揮棒を使うんじゃない。こんな使い方、間違っている。
誰よりも1番僕が理解している。
でも……この子の為と思えば……。
「わ、悪いんだけど……本当に旅は危険だから。だから痛い思いしたくなかったら、離れて」
自分の行動の罪悪感。幼い子供を怖がらせてしまった自分への嫌悪。
それが形になって現れたのか、声が掠れて上手く喋れない。
「足、離さないと……痛い思いするよ?」
それでも彼女は僕の足を離さない。いつ痛い思いをしてもいいように、ギュッと目を瞑り、黙ったままだ。
もうダメだ。この子は何を言っても離さないだろう。
静かに指揮棒を下ろして、彼女に問いかけた。
「どうして僕に……そんなこだわるんだよ」
彼女は震えて、震えた声で、絞り出すように答えた。
「初めて……優しくされたから。好きなの」
その言葉を聞いた瞬間、今までの彼女の環境が見て取れた。
僕は彼女に肉を分けただけだ。なのに、それだけでこんなにも懐かれるということは、それなりの仕打ちを周りからされてきたのだろう。
だからこんな森に家を建てて、人目の付かない場所で育ったのだろうか?
何か事情があるのだろうか?
……いや、人様の家の事情をズカズカ聞くのも失礼だ。
「あたし、一生一人ぼっちなんて耐えられない。見栄張ってたけど、本当は1人が孤独で辛かった。優しくされて嬉しかった。ヘロヘロだった癖に、お腹空いてないなんて言って嘘ついて、あたしにほぼ全部くれて。あたしの甘えなんだろうけど、もう寂しい思いしたくない」
彼女が初めてこちらに顔を向けた。掴んでいた足から手を離し、嗚咽を上げながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔をなんとか手で直そうとしている。
「もう……1人にしないで」
彼女が体制を立て直そうとしたその時、首から何か光るものが垂れた。
金色の、珍しい形をしたペンダントだ。古そうな物で、星や人の形をした物体が白く描かれていた。
「そのペンダント……」
「え、あ。これは……おばあちゃんの形見で」
クロハはしばらく黙り込むと、静かに口を開いた。
「それ、ちょっと見せてもらっていい?」
「え?いいけど……」
アイネがクロハにペンダントを渡すと、クロハはそれをまじまじと見つめた。
「それがどうしたってのよ」
「いやこれ……売ったらかなり儲かりそうだなと」
「売らないわよ! 形見って言ってんでしょ!」
「しょうがないなー……もう」
ペンダントを返すと、クロハは立ち上がり、アイネを見下ろした。
「おい、来るんだろ。クラクチョウ乗り場まで走るぞ」
「え……いいの?」
「もう時間ないって言ってんの! 言っとくけど旅は険しいからな! ベソなんかかいてる暇ねえぞ!」
そう言うとクロハは乗り場まで一目散に走り出した。
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
アイネも顔を拭うのをやめ、クロハを追いかけ走り出した。
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