24 誘う声(ウィル視点)

 アンデッド・ドラゴンが起因となった死界の急拡大で避難作戦を実行した僕たちはセンクタウンに戻ってきた。しかし、東方面の死界の侵攻が収まらないらしく、養成アカデミーの教師たちが死界討滅軍の作戦に参加している。僕たちは自主的に訓練を行っていた。


 アカデミーで訓練を終えたある日、僕はマヤに声をかけた。


「マヤ、帰ろう」

「ウィル……。ご、ごめん、今日は行くところが……」

「え……。そっか、分かった」

 マヤに予定があるらしく、僕は一人でアカデミーを出た。


 最近、二人きりになるのを避けられていないだろうか。気のせいではないと思う。僕はマヤに何かしてしまったのだろうか……。


 翌日も、その次の日も、マヤは僕との時間を作ってくれなかった。僕は胸がモヤモヤとしたまま、学生がよく利用している街の食堂に入った。店の人も僕の顔を覚えてくれているので、気楽に入れるところだ。しかし、店員から爆弾情報を受け取ることになった。


「なぁウィル。マヤちゃんなんだけどさ……」

「マヤがどうかしましたか?」

「なんかこう……、言いづらいんだが……」

 店員はバツが悪そうな顔をして、その先を口にした。マヤがこそこそと他の男と密会している現場を目撃してしまったというのだ。


「え、まさか!?」

 僕は思わず叫んでしまった。


 マヤが他の男と……? まさか!? マヤがそんな事をするはずがない!


 僕は食事を頼まず、店を出て街を歩いた。気を落ち着けたかったのだ。けれど、冷静に振り返れば振り返るほど、マヤが僕を避けている態度に合点がいってしまう。二人の時間を作ってくれないだけでなく、手を繋ぐとか簡単なスキンシップさえ、このところ避けられていたからだ。


「……」

 信じたくはなかったけれど、疑念はどんどんと高まり、その日の夜は眠ることができなかった。



    ◇



 翌日、僕は積極的にマヤとスキンシップを取ろうとした。これまでは自然とできていたことだ。しかし、やはりマヤは何かと理由を付けてやろうとしない。何とか手を取るくらいまではしても、それ以上は何もできなかった。


 帰りもマヤは一人でどこかへ行ってしまった。もう、僕の中で昨日の情報は確信に変わりつつあった。


 僕は帰るふりをして、マヤをけた。マヤは微妙に周囲を気にしながら歩いている。何気ない仕草だったけれど、ずっと一緒にいた僕だからこそ分かるのだ。そして、マヤが男と合流するところも見てしまった。


「あれは……」

 その男は、ベルビントという仮名の記憶喪失の男だった。この街に避難してきた避難民の一人。初めて会った時、よだれを垂らして痙攣している酷い状態だったが、まだ療養中の身のはずだ。


「……」

 もう間違いなかった。マヤはベルビントと腕を組みながら宿に向かい、入っていった。小型の望遠鏡を持ってきていたから覗いてみると、受付で待っている間、二人が口付けをしているのが見えてしまった。


「マヤ……、嘘だろ……」

 僕は逃げるようにその場を後にし、街を走った。


 マヤが……、浮気……。そんな、何でだ……。


 僕は何かをしてしまったのだろうか。マヤは僕に不満だったのだろうか。僕がマヤをよく見ているのが良かったのだとマヤは言っていたが、僕はそれに甘えすぎてしまっていたのか……!


 何よりも、今マヤがあの男と枕を共にしているのだと考えると、頭がおかしくなりそうだ! ルーツのおかげで強くなれたと思っていた僕は、ようやくマヤの隣に立てると浮かれていた! 一体何がいけなかったんだよ、マヤ!?


 急に悲しみが溢れてきて、僕は立ち止まり、背中をすぐ近く壁に当てて座り込んだ。頭を抱えて動きが止まる。そのまましばらく僕は動けなかった。



    ◇



 僕はマヤと関係を終わらせるために動いた。あの気高いマヤがすっかり男に狂ってしまっているようで、僕が張っているのも気づいていない。マヤとベルビントがキスをしているところを魔導具で記録して、後日マヤに見せた。マヤは素直に受け入れるかと思っていたが、予想に反して必死に僕に許しを請いた。


 綺麗な顔立ちをしているマヤの顔がくしゃくしゃに歪んで僕にすがる。けれど、この血色のいい桜色の唇も、美しい身体も、ベルビントに汚されたものだ。どうしても受け入れられない……。


 元々身分違いの恋だった。僕は遠くから見守っていればそれでいいと思っていた。それに戻るだけなのではないか。


 僕はそのままマヤを置いて養成アカデミーに向かった。せめて何かに没頭することで自分の心を慰めようと、自主訓練をした。


 けれど、その後のマヤは驚くほど僕に復縁を願った。ドリスも僕とマヤの仲直りを望んでいるようだった。ただ、マヤはベルビントとはもう縁を切ると言っていたが、僕にはどうもそれが引っかかった。頭の良かったはずのマヤがあそこまで男に狂ったのだ。そう簡単に忘れられるものだろうか。


 ただ、仲直り自体はしないといけないのだ。僕たちが死界との戦いに投入される可能性は高いと思う。マヤともきちんと連携する必要があるからだ。デルロイやドリス、ルーツも僕を励ましてくれた。


 やがて僕たちは東の最果てを目指す作戦に志願することになった。



    ◇



 センクタウン北の大聖堂から東の最果て近くの教会への大転移。それにより、僕たちは未踏の地、死界の発生源である東を攻略することになった。死界討滅軍の正規兵や志願者がローテーションで地図を作ってきたが、最後は僕たちのグループしか残らなかった。


 それでも、僕たちはついに東の最果てに到達した。そこには、かつて避難作戦で遭遇したアンデッド・ドラゴンが待ち受けていた。背中から触手を生やしたその異形は、かつてよりアンデッド化が進んでいることを示していた。


「デルロイ、出すぎるな!」

「わーってるよ!」

 ルーツがデルロイに叫んだ。マヤとドリスも声を出しながら皆と連携している。僕も相手の魔力の動きを見極めながら魔導具で援護攻撃をした。


「うっ!?」

 ドラゴンの火炎ブレスが僕の方に飛んできた。回避のために風魔法ユニットを作動しようとしたが、眼前にルーツが飛び込んできて火炎ブレスを吹き飛ばした。


「ルーツ、ありがとう!」

 僕が言うと、ルーツは頷いて再び跳んだ。ドリスが合流して何やら話している。


「ルーツ、一人で突っ込まないでよ」

「大丈夫だ。こないだのような失態はしないよ」

 ドリスにルーツが答えた。この二人にも何か絆が出来つつあるらしい。僕はマヤとのことで頭がいっぱいで、友人のことも見えていなかったのか。


 アンデッド・ドラゴンは強敵だった。少しずつ削ってはいたが、果たして倒しきれるかどうか。そんなことを思ったその瞬間、僕の頭に声が響いた。


『おやおやウィル、どうしたどうした。君を裏切った女と一緒に戦って』

「だ、誰だ!?」

 僕は周囲を見渡した。誰もいない。そして他の皆は反応していない。僕にしか聞こえなかったのか?


『マヤはベルビントとの肉体関係をそれはそれは楽しんでいたようだぞ。君という恋人がいたというのに。悔しいだろう? 憎いだろう?』

「……や、やめろ!」

 今は大事な戦いの時だ! 僕の心を乱すのはやめろ!


『見よ、目の前のドラゴンの力を。憎しみの強い者はより強いアンデッドになれる。君にもその資格がある。アンデッドとなれば、マヤに復讐できるぞ?』

「復讐なんて、僕は望まない!」

『なら提案を変えようか? ただの力だけではない、暗黒の力が手に入るのだ。それを使ってマヤを支配することもできる。マヤがベルビントとの関係を忘れるくらいことだって可能なのだぞ?』

「ふ、ふざけるな!」

『我慢するな、受け入れよ、死界の力を……』

「な……に……」


 心の中にドス黒い何かが湧くような感覚がした。言われたことのいくつかが図星なようで、否定しきれない。抵抗できなければ闇に落ちてしまいそうだった。


「嫌だ!」

『おや?』

 僕は気合を入れてその心の中のドス黒いものを振り払った。幻覚でも見ていたのだろうか、現実では依然として戦いは続いている。僕は聞こえてきたおかしな声の分析は後回しにして、マヤたちの援護に戻ろうとした。


『くっくっく、駄目だったか。けれどなウィル。君の心はどんどんと闇に近づいてきているぞ。楽しみにしている』

「次……?」

 一瞬その言葉に気を取られた。その次の瞬間、胸に痛みが走った。


「え……?」

 地面から飛び出した何かが僕の胸に突き刺さっている。ドラゴンとは別のアンデッドの攻撃のようだ。しかし、その物体は僕の胸の前でそれ以上進まずに止まっている。ルーツが何かの魔法でそれを止めてくれているようだった。


『ちっ、この不意打ちに気づくとは。まあいい、彼は優れた魔道士のようだが、一人の力では限界があるものだ』

 その声が響いた後、ルーツの魔法が消失した。


「ぐはっ!?」

 今度こそ胸に激痛が走る。


「ウィル!?」

「畜生、どけこの野郎!」

「そ、そんな!?」

 マヤとデルロイとドリスの声がする。僕は、地面に倒れたようだ。ああ、僕はここで死ぬのか……。


 何かに抱き締められたのを感じた。


「ウィル!! いやあ!! ウィル!!」

 マヤ……、君か……。


 さっき変な声に惑わされたけど……、やっぱり僕は君が好きらしい……。ああ、悔しいなぁ、ベルビントに負けたのが悔しい。やり直したい、やり直したい……よ。


 ふと、ドリスが何かを叫んだのが聞こえた。


「発動せよ、ジルヴァディニド!!」



 ……。


 …………。


 ………………。



「はっ!?」


 あ、あれ……? ここは、どこだ……?


 アカデミーの教室? ああ、そうか、授業中だった。


 夢を見ていたような気がする。もしかして寝てしまっていたのだろうか。いけない、僕には余裕なんて一切ないはずだ。どうやら僕の成績は落第寸前のところらしいから、もっともっと頑張らないといけないのだから。

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