06 回想:恩人(ドリス視点)

 死界に町が飲み込まれた後、私たちは西に避難した。かなりの移動距離だったから、死界に追いつかれるのは相当未来の話になるのだと思う。


 そして、私と母はマヤの家、フォスター家にお世話になっている。


 マヤは、本当に父が作った借金をどうにかしてしまった。もちろん、全額を払ってくれたわけではない。契約の不備をつくなど、あの手この手で減額をした上で払わなければならない分は払ったという形だ。


「以上が報告だ。これで晴れて自由の身だな」

 ポルネが私と母に借金返済完了の連絡をしに来た時に言った言葉だ。


 ポルネは、祖父や伯父と繋がりがあったらしい。祖父も伯父も裏社会に口出しすることはできなかったが、ポルネを通じて私や母に融通をきかせるよう求めていたという。


 父は、あくまで学校レベルの成績で語るなら伯父より優秀だったそうだから、祖父も伯父もこんなことになるとは思っていなかったのではないか。母を迎え入れて巻き込んでしまったことを負い目に感じてはいたようだ。


 その祖父と伯父も先の死界攻勢で亡くなったそうだ。私はほとんど会ったことがなかったけれど、私たちを見捨ててはいなかったことと、人々を守って死んだその誇り高さに想いを馳せた。


 父はきっと、自分の野心など持たず、祖父や伯父の下で言われるままに働くべきだったのだ。そうすれば父も名高い貴族のままでいられたと思うし、母も苦労しないで済んだ。


「しっかしなぁ、あのマヤって嬢ちゃん、本当に裏なんか無さそうだぜ……。お花畑な貴族令嬢がいたもんだなぁ……」

 報告の最後にポルネはそう言った。念のため、何かの詐欺ではないか裏を取ってくれたのだという。しかし、マヤは本当に善意で動いただけのようだった。


 借金の件だけでなく、母に医者までつけてくれた。マヤの頭がお花畑だというポルネと同じ印象を私も持っている。少し、父と同じような危うさを感じるのだ。


「じゃあ、俺は行く。ユーミ、ドリス、お前らがもう俺みたいな人種と関わらないで済むことを祈ってるよ」

「ポルネ、今までありがとう」

「さようなら、ポルネ」

 ポルネの言葉に、母と私が答えた。ポルネは右手をひらひらさせながら去っていった。



    ◇



 私はマヤと同じ学校に通うことになった。死界討滅軍の避難活動に参加できるマヤの実力からして、彼女が学校に行く必要などあるのか疑問だったが、彼女の同級生に確かに同レベルかそれ以上の魔道士の男の子がいた。本当に世界は広いのだなと思う。


 マヤは、プライベートで私と母を旅行に連れ回した。本当に世話焼きというか何というか……。母がもう長くないから、私たちが沢山の思い出を作れるようにとか、そういう考えだろう。


 マヤは異常に優秀で将来有望だったから、彼女の両親もマヤのわがままを認めているようだった。


 一般人が知らないような山の秘湯、味わったこともない珍味、見たことのない絶景。私が知らなかった沢山のことを、母と一緒に見ることができた。


 何より、母は穏やかな顔をしていた。楽しそうだった。私はそれが嬉しかった。


 魔導具を作る仕事はやめなかったけれど、借金返済に負われてやっていた頃とは違い、好きにやっていたと思う。マヤが使い始めた新しい杖は母の手作りだ。


 あんまり穏やかな日々が続くものだから、母の病気のこともなかったのではないかと錯覚するほどだった。しかし、もちろんそんなことはなく、母は少しずつ弱っていった。


 まだ動けるうちに海に行くことになった。いつものようにマヤやお付きの者たちがついてきたが、二人の時間を作ってくれるのもいつものことだ。


 母はもう歩けなくなっていたから、私が車いすを押した。


「まだ海に入れる季節じゃないのが残念ね」

「泳ぎたかったの、お母さん?」

「いいえ。去年、散々泳いだでしょ」

「そうかも……。ふふ」

 昨年の夏も海に行った。その時は海水浴をした。母は病気なのが嘘のように、元気に遠泳大会に参加していたものだ。私も思いっきり泳いだ。


「楽しかったなぁ……」

「きっとこれからも楽しいわよ。ドリスなら大丈夫」

「……うん」

 言外に、そのこれからに母がいないことを感じ取ってしまう。春の気配が強い匂いの中、夕暮れで赤く染まる海が悲しい。


「ちょっと浜辺に行こうよ」

 そう言うと、私は母をおんぶした。砂浜向きの車いすではなかったし、そうしたい気持ちもあったのだ。


「重くない?」

「平気よ。私だって魔女の端くれよ?」

「あら、言うわね」

「お母さんにはまだまだ及ばないけどね」

 土魔法と風魔法を応用して筋力を補助する。こうすれば大人の男性だって運べるはずだ。


 母の身体は軽かった。が近づいているのだと痛感させられてしまう。


「……」

 私はゆっくりと砂浜を歩いた。


「良い景色ね」

「ホントにね。死界に追い詰められているとはいえ、世界もまだまだ美しいってことよね」

 いつも通り、他愛のない話をする。それでいいのだと思う。無理に特別なことをする必要はないのだから。


 けれど、母のぬくもりを背中に感じながら、私はずっと考えていたその疑問を口にしてしまった。


「お母さんはさ……」

「ん?」

「苦労したよね……。私がいなかったら、お父さんのこと、もっと早く見限ることができたんじゃない……?」

 私の声は少し震えていたように思う。


 母が私の存在をうとんだと感じたことは一度もない。だけど、やっぱり答えを聞くのは怖いのだ。


「バカね……」

 母が私に捕まっている腕の力を強めた。


「ドリスが生まれてきた時、幸せだったよ……」

「…………」

「成長を見守ってこれたことも幸せだった。ありがとうね。本当はもっと見ていたかったけれど……。それが心残り……。ドリスにも、色々と背負わせてしまってごめんなさい」

「お母……さん……」


 私はそのまま泣き出した。


 母の作るご飯が美味しかった。魔法に精通した魔女の末裔である母が誇らしかった。私を優しく導いてくれた。それが、まもなく失われてしまうのだ。


 ごめんなんて言わないでほしい。私はいっぱい感謝してる。それを伝えたくて、嗚咽おえつが止まらない口を鼓舞し、私は『ごめん』を否定し、『ありがとう』を口にした。


 母は優しく私を抱きしめてくれていた。



    ◇



 旅行から帰って少し経った後、母の容態が急変し、母は息を引き取った。苦しむことはなかった。まるで眠るように旅立った。


 あと一年は持たないと宣告されてから二年が経っていた。


 葬式の間、私は泣きっぱなしだった。しかし、私の隣でマヤも一緒に大泣きしていた。自分の母ではないだろうに、どうしてこのはこうなのか……。確かにマヤは母とも仲良くしてくれていたけれど……。


 マヤは、私たちを助けたのは自分のエゴだと言っていた。私たちの境遇を聞いて、助けなければ気が済まなかったのだと。別に困っている人を全部助けたいと思い上がっているわけではないと。


 しかし、やはりマヤにはこうと決めたらそのまま突き進むところがある。間違った時にそれを止めることができるかは分からない。父のようになってほしくはない。


 私は、かつて母から聞いた言葉を思い出した。


「マヤちゃんのこと、助けてあげて。私たちが助けられたからというだけじゃない。あのは、ちょっと危うい面も持っているから」


 母も私と同じ気持ちだったのだと思う。マヤが父と同じ誤ちを犯すようなことになってほしくなかったのだ。


 私の心は決まっている。


 マヤのしたことはエゴだったかもしれない。青臭い正義心だったのかもしれない。けれど、それは私たちを救ってくれた。母は最後に穏やかな時間を過ごすことができた。


 マヤに何かあったら必ず助ける。彼女は恩人なのだから。

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