05 回想:愚かさは何度でも(ドリス視点)

「逃げろ、逃げるんだ!!」

 朝から響いたその声に、町中が騒然となった。


 死界の侵攻が急激に早まり、一刻も早く町から逃げなければならないというのだ。既に貴族や中流の住人の避難は完了していたが、まだ町には多くの人が残っている。町は大混乱に陥った。


「荷物は諦めろ! 身一つで逃げろ!」

「早く行け! ここにとどまるな!!」

 死界討滅軍の駐留部隊や、残ってくれている貴族の私設軍が町を駆け回って声を掛けている。


「ドリス、行くわよ!」

「でも、魔導具とかどうするの!?」

「命の方が大事! 置いていきましょう!」

 母は魔法用の杖だけを片手に取り、私の手を引いて家を出た。


 外は大騒ぎだった。必死に町の西門に向かって走る者、ケガをしたのか倒れ込んでいる者、親とはぐれてしまったのか泣いている子供。まさにパニックだ。


 私はふと、東の方を見た。まるで嵐の日のような暗さだった。風が吹いているというわけではないが、ドス黒い色に東の方向全体が覆われている。


「あれが……死界!?」


 ときおり何かが光っているのが見える。恐らく死界討滅軍や私設軍が死界に突入してアンデッドと戦っているのだ。侵攻を少しでも遅くするために。


「乗るよ!」

 母が叫ぶと、私はハッとして前を見た。一台の馬車が走っている。既に満員に近いらしく、無理やり乗ろうとしている人々が振り切られている。


 母は杖を構えて風魔法が発動させ、私を抱えて飛んだ。上手く屋根に飛び乗ることができ、馬車はそのままスピードを上げて町を出た。


 その馬車以外にも多くの乗り物が道を走る。乗れなかった人も多いはずだが、私は考えるのを止めた。全員を乗せることはできないのだから……。


 町が見えなくなるくらいまで移動すると、喧騒は収まっていった。皆疲れたのだろう。母と私も、ゆっくりと馬車の中に入らせてもらった。


「お母さん……」

「大丈夫。大丈夫よ……」

 私が不安げな声を上げると、母は私を抱きしめてくれた。死界に迫られた恐怖や、多くの人を振り切って逃げてきたことへの罪悪感が、多少なりとも緩んでいく気がした。



    ◇



 全員が無我夢中で逃げ出し、車を牽引している馬の能力差もあるし、乗っている人数の差もあったため、乗り物は次第にバラけ、私たちが乗っている馬車以外には二台の乗り物だけが並走している状態になった。


 森林に囲まれた場所で野宿をすることになり、全員で準備をした。身一つで逃げた者が大半だったため食料など無いかと思われたが、うち一つが商人の車だったため、夕食が作られた。商人は料金は要らないと言ってくれた。


 しかし、所詮は人里離れた場所だった。火を燃やせば動物はよってこないが、魔物は違う。死界から逃げ切れた私たちに、今度は魔物が襲いかかってきた。


「きゃあああ!!」

「お、おい! 誰か戦える奴はいねーのかよ!?」

 森の中から魔物の威嚇が聞こえ、周囲の人が悲鳴を上げる。


 一匹の魔物が飛び出し、一人に襲いかかろうとしたところを、母が魔法で撃退した。


「お母さん!」

「ドリス、気をつけて!」

「え!?」

 一匹が攻勢に出たのをきっかけに、他の魔物も次々と襲いかかってきた。母の警告のおかげでそれに気づけたため、私もつたないながら魔法で応戦を始める。


 他の者も戦い始めたが、母以上の使い手はおらず、段々と追い詰められていった。


「ぎゃああ……!!」

「うぁっ……!?」

 攻撃を喰らって次々と人が倒れていく。介抱しようにも、魔物を撃退する手を緩めたら全滅してしまいそうだった。


「うっ、ごほっ!!」

「お母さん!?」

 母が膝をついて咳き込み始め、私は慌てて母に駆け寄った。


「くっ、こんな……時に……」

 母はそう呟いてうずくまってしまった。私は母の前に立ち、魔物を迎え撃った。


「ドリス……!?」

 母が声を上げたのは聞こえた。目の前には私たちに飛びかかってくる魔物が二体。撃退できるだろうか、私の魔法で……。


 そもそも何でこんなことに。父が借金さえしなければ貴族の家から追放されることもなく、もっと早い便で脱出できていたというのに。


 全てがスローモーションに見える。周囲からも悲鳴が響いている。一番好戦していた母が崩れてしまったから、戦線は崩壊しているのだろう。


 こんなところで死ぬのか、私も、母も……。


 そう思った時、私の前を光が通り抜けた。


「えっ……?」

 私の目の前に迫っていた魔物が地面に倒れた。今の光で退治されたのだろうか。


 ゆっくりと光の来た方向を見ると、そこには一人の少女が立っていた。年端も行かない、子供といっていい。私と同年代なのではないかと思う。しかし、杖を掲げているから、彼女が魔法を撃ったことは理解できた。


「マヤ様に続けーー!!」

「おお!!」

「行くぞ!!」


 少女のいる方向から声が聞こえ、武装した集団が駆け込んできた。次々と魔物を制圧している。見れば複数の馬車がこちら向きに停車していた。


 重武装した兵士や大人の魔道士の中に一人少女が混じっているのは奇妙な光景だった。しかし、彼女は相当な手練のようで、魔物を次々と倒していった。


 やがて魔物の制圧が完了し、私たちは野宿を中断して彼らに護衛される形で西を目指すことになった。


 咳き込んでいた母も落ち着いたようで、二人で馬車の端に座らせてもらった。


 ふと、先ほどの少女が目に入った。護衛という名目なのか私たちの馬車に乗っている。向こうも私の視線に気づき、私と母の前に座り直した。


「こんばんは。私はマヤ。あなた、お名前は?」

「……ドリス」

「そう、よろしくねドリス!」

「うん……」


 マヤは西方の名門貴族の娘らしい。幼くして飛び抜けた魔力を持っていて、今回の救援作戦についてきたのだという。初めての実戦ではないらしく、先ほどの戦いでも堂々たる戦いぶりだったから、凄い同年代がいたものだと思う。


「マヤ、そんな歳で随分と強いのね?」

「こんな世の中だから、少しでも皆の役に立ちたくて訓練は頑張っているわ。でも、私の同級生にはもっと強い奴がいるよ」

「そうなんだ……」

 マヤのその返答は驚くべきことだ。大人顔負けのこの少女より強い同年代がいるとは。物語に出てくる勇者でも生まれたのだろうか。


「でも、ドリスだって凄いんじゃない?」

「え?」

「潜在的な魔力の強さ、感じるよ」

 私を見るマヤの目が青く輝いている。私の魔力を見ているということなのだろうか。


「そうね、きっとドリスは凄い魔道士になるわ」

「もう、お母さんまで……」

「成長を焦らなくていい。きっと、あなたは大丈夫」

 母が私の頭に触れながら言った。同年代のマヤの前で甘やかされるのは少し恥ずかしさもあったが、マヤは何も言わず笑みを浮かべていた。


 やがて小さな村が見えてきた。その村も避難対象だったため、今は死界討滅軍が駐留している。


 怪我人は臨時の救護所となっている教会に運ばれた。そして、私たちはそれぞれ寝床を与えられた。危険をかいくぐってここまで逃げてきたので、正直、今すぐに眠りたい。


 ベッドに入らせてもらうと、私の意識は急速に落ちていった。



    ◇



 ふと、物音がして目が覚める。


「お母さん……?」

 母が寝ているはずの隣のベッドを見ると、誰もいなかった。少し嫌な予感がした私は、他の人を起こさないようにこっそりとその家を出た。


 辺りを見渡すと、魔力が動いているのが見えた。あれは、母の得意な、姿を消す魔法だ。普通なら見えないのだろうけれど、同じ魔女の末裔である私には逆に距離があっても魔力が見えた。私はその後を追った。


 母は森に姿を消した。いくら死界討滅軍が近くにいるとはいえ、魔物や獰猛な動物がいたら危ないではないか。そんなことを思っていると、母が誰かと落ち合ったのが見えた。


「ポルネ……?」

 母の前に現れたのは借金取りのポルネだ。深刻な顔をしている。


「ユーミ、すまない。お前の旦那、やっぱりまた借金を増やしちまってたよ」

「……」

 やっぱりそうなのか! 母の表情はそこから伺い知れなかったが、私は声が出てしまいそうなほど苛立ちが湧いた。


「金の流れなんだが、俺たちの組織とは違うんだ。奴ら、恐らくドリスを売り飛ばそうとするだろうよ……」

「そんな、どうにもならないの……?」

「……俺らの組織は、ユーミ、お前に死亡保険金をかけている。その金がありゃ、ドリスは救えるだろう」

「だ、駄目よそんなの!?」

 私は居ても立ってもいられず、母とポルネの前に飛び出した。


「ドリス……、バカ野郎、お前何でここに居んだよ……」

「お母さん! そんなの、絶対ダメだからね」

 私は必死に母に抱きつき、懇願した。


 父のせいで苦労させられてきたというのに、この上そのせいで死ぬなんて、そんなこと許されてたまるものか……!


 母は私の背に手を回し、落ち着かせるように背中をさすってくれた。


「おいドリス、落ち着け。俺だってそんなすぐに結論を出したりしねーよ。さっきの話はあくまでも最終手段だ。あのクソヤローの残した借金さえ払い切れる金を用意できればいいだけだ。かと言って時間はないけどな……」

 ポルネが私たちの側に来て言った。


「……」

 母は何も言わなかった。色々と考えていたのだと思う。もし本当に死亡保険金とやらを頼るしか道がないとしたら、私に不用意な希望を持たせるのを躊躇ためらったのかもしれない。


 そんな時、別の声が響いた。


「話は聞かせてもらったわ」

 私と母とポルネの顔が声のした方を向く。そこにいたのはマヤだった。


「何だ? 誰だ嬢ちゃん?」

「その件、うちの家で預からせてもらうわ」

「……は?」

 ポルネが素っ頓狂な声を上げる。私も母と顔を見合わせた。何で出会ったばかりのマヤがこの件を預かるというのだろうか。


「バカ言ってんじゃねえよ嬢ちゃん。赤の他人が関わるような話じゃない」

「知り合ったのだからもう他人じゃないわ。それに、ユーミさんやドリスが原因じゃないのに借金だけ背負わされるなんて、おかしな話じゃない!」

「だから助けるって?? 正義ごっこか? やめとけよ、嬢ちゃんの家とやらにも迷惑がかかるぞ……」

「何よ! うちを舐めないでよね!」

 マヤは頬をぷくっと膨らませてポルネに言い返した。


 正直、私もマヤの行動に唖然としている。ただの善意なのだとしたら本当に大バカだ。私たちなど、数ある不幸事例の一つに過ぎない。私たちの住んでいた貧困街にはもっと酷い事例も沢山あったものだ。だから、裏があると考えるのが普通だ。


 その時、母が急に咳き込み始めてしまった。


「お、お母さん!?」

 最近、よく咳をしていたのは知っていたが、今回の咳はかなり酷い。


「おいユーミ、お前薬はどうした!?」

 ポルネが母の肩を掴みながら怒鳴った。


 薬……? 何の話……? 母が薬を飲んでるなんて、私は知らない。


「衛生兵を呼んでくるわ!」

 マヤはそう言うと走っていった。


 私は必死に母の背中を擦るのが精一杯だった。



    ◇



 衛生兵に処置をしてもらい、薬を飲んだ母は落ち着いたようだった。部屋に私と母とポルネだけが残されたタイミングで、私は母に言葉を発した。


「お母さん……、薬って、何……?」

 とても嫌な予感がする。できれば聞きたくない話の気がする。それでも、聞かずにはいられなかった。


「もうそろそろ言わないといけないと思っていたわ」

 母が申し訳なさそうな顔をしている。


「仕方ねーな。俺から言おう」

 ポルネが私に向き合った。でも……、ああ、聞きたくないなぁ……。


 ポルネは語った。母は元々長くは生きられない身体だったということ。それは私が生まれた少し後に分かったことであり、薬はその時から飲み続けていること。私を心配させないために、薬を飲んでいるのは隠していたこと。


 そして、長くてあと一年という宣告を受けているということを。


「そんな……。そんなのってないよ……!」

 突然知らされたその事実に私は激しく動揺した。


 父のせいで母は苦労した。それは寿命を縮める結果になったのではないだろうか。いや、そもそも私がいなければ母はもっと身体をいたわってもっと長く生きられたのではないか。


 どうしてこう嫌なことばかり次々と起こるのか。


 沢山の感情が溢れて私は泣き出した。


 母は黙ってそんな私を抱きしめてくれた。

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